1963-1964シーズンのNBA
1963-1964シーズンのNBA | ||
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ボストン・セルティックス | ||
期間 | 1963年10月16日-1964年4月24日 | |
TV 放送 | ABC | |
観客動員数 | 1,795,665人 | |
ドラフト | ||
レギュラーシーズン | ||
トップシード | ボストン・セルティックス | |
MVP | オスカー・ロバートソン | |
スタッツリーダー | ||
得点 | ウィルト・チェンバレン | |
プレーオフ | ||
イースタン 優勝 | ボストン・セルティックス | |
シラキュース・ナショナルズ | ||
ファイナル | ||
チャンピオン | ボストン・セルティックス | |
<1962-63 |
1963-1964シーズンのNBAは、NBAの18回目のシーズンである。シーズンは1963年10月16日に始まり、1964年4月24日に全日程が終了した。
シーズン前
[編集]ドラフト
[編集]ドラフトではアート・ヘイマンが、ニューヨーク・ニックスから全体1位指名を受けた。またネイト・サーモンド、エディ・マイルズ、ガス・ジョンソン、ジム・キングらが指名を受けている。
その他
[編集]- シラキュース・ナショナルズはニューヨーク州シラキュースから、ペンシルベニア州フィラデルフィアに本拠地を移転し、フィラデルフィア・76ersに改称した。
- シカゴ・ゼファーズがイリノイ州シカゴから、メリーランド州ボルティモアに本拠地を移転し、ボルティモア・ブレッツに改称した。
シーズン
[編集]オールスター
[編集]- 開催日:1月14日
- 開催地:ボストン
- オールスターゲーム イースト 111-107 ウエスト
- MVP:オスカー・ロバートソン (シンシナティ・ロイヤルズ)
イースタン・デビジョン
[編集]チーム | 勝 | 負 | 勝率 | ゲーム差 |
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ボストン・セルティックス | 59 | 21 | .738 | - |
シンシナティ・ロイヤルズ | 55 | 25 | .688 | 4 |
フィラデルフィア・76ers | 34 | 46 | .425 | 25 |
ニューヨーク・ニックス | 22 | 58 | .275 | 37 |
ウエスタン・デビジョン
[編集]チーム | 勝 | 負 | 勝率 | ゲーム差 |
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サンフランシスコ・ウォリアーズ | 48 | 32 | .600 | - |
セントルイス・ホークス | 46 | 34 | .575 | 2 |
ロサンゼルス・レイカーズ | 42 | 38 | .525 | 6 |
ボルチモア・ブレッツ | 31 | 49 | .388 | 17 |
デトロイト・ピストンズ | 23 | 57 | .288 | 25 |
スタッツリーダー
[編集]部門 | 選手 | チーム | 記録 |
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得点 | ウィルト・チェンバレン | サンフランシスコ・ウォリアーズ | 2,948 |
リバウンド | ビル・ラッセル | ボストン・セルティックス | 1,930 |
アシスト | オスカー・ロバートソン | シンシナティ・ロイヤルズ | 868 |
FG% | ジェリー・ルーカス | シンシナティ・ロイヤルズ | .527 |
FT% | オスカー・ロバートソン | シンシナティ・ロイヤルズ | .853 |
※1969-70シーズン以前はアベレージよりも通算でスタッツリーダーが決められていた。
各賞
[編集]- 最優秀選手: オスカー・ロバートソン, シンシナティ・ロイヤルズ
- ルーキー・オブ・ザ・イヤー: ジェリー・ルーカス, シンシナティ・ロイヤルズ
- 最優秀コーチ賞: アレックス・ハナム, サンフランシスコ・ウォリアーズ
- All-NBA First Team:
- All-NBA Rookie Team:
- ジェリー・ルーカス, シンシナティ・ロイヤルズ
- ネイト・サーモンド, サンフランシスコ・ウォリアーズ
- ロッド・ソーン, ボルチモア・ブレッツ
- ガス・ジョンソン, ボルチモア・ブレッツ
- アート・ヘイマン, ニューヨーク・ニックス
シーズン概要
[編集]- 最優秀コーチ賞とオール・ルーキー・チームが新設され、初代最優秀コーチ賞にはサンフランシスコ・ウォリアーズのアレックス・ハナムが選ばれた。
- シンシナティ・ロイヤルズが大幅に勝率を伸ばし、独走状態だったボストン・セルティックスに肉薄した。1962年にドラフト指名されたジェリー・ルーカスがようやくチームに合流し、オスカー・ロバートソンにウェイン・エンブリー、ジャック・トゥィマンにルーカスを加えたロイヤルズのオフェンスは、リーグトップの得点力を誇った。ロバートソンはシーズンMVPを、ルーカスは新人王を獲得した。
- ウエスタン・デビジョンではサンフランシスコ・ウォリアーズがようやく西海岸の水に慣れ、デビジョン首位の座につき、ロサンゼルス・レイカーズとセントルイス・ホークスの二強時代に割って入った。
NBPAの決起
[編集]1954年に結成されたNBPA(選手会)は各球団オーナーから正式な交渉の窓口として認められていなかったため、この10年間を大きな成果を挙げられぬまま過ごしていた。しかしこのシーズン、初めてテレビ中継されるオールスターゲームを2代目会長のトム・ヘインソーンは絶好の機会と捉えた。オールスター選出選手らと結束しオールスターゲームをボイコットする構えを見せることで、強引に交渉の場を築いたのである。このボイコット騒動で肝を冷やした球団オーナーとリーグはようやくNBPAを正式な選手の団体交渉代表として認めた。また日当の8ドル加増と年金制度の充実化が約束された。
デビジョン準決勝 | デビジョン決勝 | ファイナル | |||||||||||
1 | ウォリアーズ | 4 | |||||||||||
Western Division | |||||||||||||
2 | ホークス | 3 | |||||||||||
3 | レイカーズ | 2 | |||||||||||
2 | ホークス | 3 | |||||||||||
W1 | ウォリアーズ | 1 | |||||||||||
E1 | セルティックス | 4 | |||||||||||
1 | セルティックス | 4 | |||||||||||
Eastern Division | |||||||||||||
2 | ナショナルズ | 1 | |||||||||||
3 | 76ers | 2 | |||||||||||
2 | ナショナルズ | 3 |
セルティックスVSウォリアーズ再び
[編集]六連覇を目指すボストン・セルティックスの前に、かつてはイースタン・デビジョン最大のライバルチームだったフィラデルフィア・ウォリアーズが、サンフランシスコ・ウォリアーズと名前を変え、ウエスタン・デビジョンの覇者として立ちはだかった。
セルティックスはビル・シャーマン、ボブ・クージーが引退し、ビル・ラッセルとサム・ジョーンズ、トム・ヘインソーン、K.C.ジョーンズが中心選手となり、さらにベテランのクライド・ラブレットやウィリー・ナオルスを獲得した新たな体制でウォリアーズを迎え撃った。ウォリアーズはウェイン・ハイタワーやトム・メシェリーらが脇を固めるが、ほぼウィルト・チェンバレンのワンマンチームであり、ネイト・サーモンドはまだ期待のルーキーに過ぎず、王者セルティックスに挑むには戦力不足だった。結局イースタン・デビジョン時代と状況は変わっておらず、チェンバレン率いるウォリアーズはまたもやセルティックスの前に敗退し、セルティックスの連覇記録がまた一つ更新されることとなった。
ラストシーズン
[編集]- ドルフ・シェイズ (1949-64) 1940年代からNBAで活躍した最後の選手。
- クライド・ラブレット (1953-64) ルーキーイヤーのミネアポリス・レイカーズ時代に優勝を経験。以来、優勝には恵まれなかったが、キャリア終盤にボストン・セルティックスに移籍し、2度目の優勝を飾った。
- フランク・ラムジー (1954-64) ボブ・クージーやビル・シャーマンらとともに初期のセルティックス王朝を支えた。7回の優勝とともに引退。