ジョージ・ガービン
1970年代のガービン | |
基本情報 | |
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愛称 | Iceman |
国籍 | アメリカ合衆国 |
生年月日 | 1952年4月27日(72歳) |
出身地 | ミシガン州デトロイト |
身長 | 201cm (6 ft 7 in) |
体重 | 81kg (179 lb) |
キャリア情報 | |
高校 | マーティン・ルーサー・キング高等学校 |
大学 | 東ミシガン大学 |
NBAドラフト | 1974年 (英語版) / 3巡目 / 全体40位[1] |
フェニックス・サンズから指名 | |
プロ選手期間 | 1972年–1990年 |
ポジション | SG / SF |
背番号歴 | 44, 8 |
永久欠番 | スパーズ 44 |
指導者期間 | 1992年–1994年 |
経歴 | |
選手時代: | |
1972–1973 | ポンティアック・シャパラル |
1973–1974 | バージニア・スクワイアーズ |
1974–1985 | サンアントニオ・スパーズ |
1985–1986 | シカゴ・ブルズ |
1986–1987 | バンコ・ディ・ローマ |
1989 | クワッドシティ・サンダー |
1989–1990 | TDKマンレサ |
コーチ時代: | |
1992–1994 | サンアントニオ・スパーズ (AC) |
受賞歴 | |
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NBA・ABA通算成績 | |
得点数 | 26,595 (25.1 ppg) |
リバウンド数 | 5,602 (5.3 rpg) |
アシスト数 | 2,798 (2.6 apg) |
Stats Basketball-Reference.com | |
バスケットボール殿堂入り選手 (詳細) | |
カレッジバスケットボール殿堂入り (2006年) |
ジョージ・ガービン (George Gervin, 1952年4月27日 - ) は、アメリカ合衆国ミシガン州デトロイト出身の元プロバスケットボール選手である。ABA、NBAで活躍した往年の名選手である[1]。フィンガーロールを武器に1970年代後半から1980年代前半のサンアントニオ・スパーズの黄金期を支え、スパーズの5回のディヴィジョン優勝の原動力となった。1996年にバスケットボール殿堂入りした。愛称は「アイスマン」。
経歴
[編集]大学時代
[編集]ガービンは地元のマーティン・ルーサー・キング高校を1969年に卒業すると、ロングビーチ州大学に2年、東ミシガン大学に2年在籍した。高校時代はアメリカ高校代表メンバーにも選ばれた彼は、大学でも1972年にアメリカ学生代表に選ばれる。イースタンミシガン大学在籍の2年間で12,044ポイント、ゲーム平均26.8ポイント、14.4リバウンドをマークし、彼の背番号24番は1986年1月22日に永久欠番になる。
ABA
[編集]大学卒業後の1972年にABAのバージニア・スクワイアーズに入団する。スクワイアーズではあまり出場時間はなかったが、ABAルーキーオールチームに選出される。その後、1974年に当時ABAに所属していたサンアントニオ・スパーズに移籍した。
スパーズ移籍後はチームの中心選手となり、ゲーム平均20ポイント以上を獲得し2年連続でオールスター出場、オールセカンドチーム選出された。ABAは1976年に解体されるが、スパーズはそのままNBAに編入され、以後ガービンはNBA所属の選手となる。
NBA
[編集]ABA解散時に解体することなくそのままNBAへ編入したスパーズであったが、ガービンを中心に最初の黄金期を築きつつあった。スパーズは5回に渡って地区優勝しプレーオフの常連となり、強豪と呼ばれるチームになった。ガービン自身も4回得点王に輝き、1980年にNBAオールスターゲームのMVPを獲得するなどチームの「顔」となっていった。NBA史上で4回以上得点王を受賞したのはウィルト・チェンバレン、マイケル・ジョーダン、アレン・アイバーソン、ガービンの4人だけである。
ガービンは引退前の1年をシカゴ・ブルズで過ごしたが、10年以上にわたってスパーズを牽引した。
スパーズ時代の1978年4月9日に行われたニューオーリンズ・ジャズ(現在のユタ・ジャズ)戦の第2クオーターで叩き出した1クオーター間のみで33得点という驚異的な当時のNBA記録は、2015年に37得点を記録したクレイ・トンプソンに更新されるまで37年もの間破られる事が無かった。更にこの大記録は奇しくも記録した翌年の1979年に改定される事になるスリーポイントライン制度の導入前であった事から、どこから得点してもツーポイントしか加算されない当時のNBAルール下で生み出された記録であり、9本のスリーポイントを含んだトンプソンの新記録が誕生した際には、トンプソンへの賛辞の言葉と共に「私の記録が破られたとは感じないよ。彼は"新しいNBA"に"新しい記録"を作ったんだ」とコメントしている。(2008年にカーメロ・アンソニーがタイ記録となる1クオーター間33得点を記録しているが、こちらもスリーポイント制度導入後であり、ガービンが記録した30年後の話である。)
キャリア平均26.2ポイントというNBA歴代8位の記録を残して1986年にガービンは引退したが、その後はヨーロッパに渡りイタリアやスペインでプレーをした。
1996年にNBA史上最も偉大な50選手に選出され、同年に殿堂入りした。
人物
[編集]ガービンはコート上では動揺を顔に出さず、表情を変えない選手だった。闘志を内面に秘めて黙々とプレーをするため、「アイスマン」のあだ名で呼ばれ、相手チームに恐れられた。逆にチームからは頼りにされチームの精神的支柱ともなり、また、スパーズを代表する選手として多くのスパーズファンに愛された。強いスパーズを象徴する選手として"提督"デビッド・ロビンソンとともに今でもファンに愛されている。ガービンもサンアントニオを愛し、引退後はサンアントニオに居を構え、「ジョージ・ガービン・ユースセンター (George Gervin Youth Center) 」を設立して若者を数多の危険や誘惑から救おうという活動を続けるなど、コミュニティに貢献している。
弟のデリック・ガービンもNBA選手で1989年から1991年までニュージャージー・ネッツで72試合に出場した[1]。
個人成績
[編集]* | リーグ1位 |
太字 | キャリアハイ |
レギュラーシーズン
[編集]Season | Team | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | PPG |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1972–73 | VIR | 30 | – | 23.0 | .472 | .231 | .814 | 4.3 | 1.1 | – | – | 14.1 |
1973–74 | 49 | – | 35.3 | .472 | .160 | .799 | 8.5 | 2.0 | 1.5 | 1.8 | 25.4 | |
SAS | 25 | – | 31.3 | .468 | .000 | .853 | 8.2 | 1.8 | 1.0 | 1.4 | 19.4 | |
1974–75 | 84 | – | 37.1 | .474 | .309 | .830 | 8.3 | 2.5 | 1.6 | 1.6 | 23.4 | |
1975–76 | 81 | – | 33.9 | .499 | .255 | .857 | 6.7 | 2.5 | 1.4 | 1.5 | 21.8 | |
1976–77 | 82 | – | 33.0 | .544 | – | .833 | 5.5 | 2.9 | 1.3 | 1.3 | 23.1 | |
1977–78 | 82 | – | 34.8 | .536 | – | .830 | 5.1 | 3.7 | 1.7 | 1.3 | 27.2* | |
1978–79 | 80 | – | 36.1 | .541 | – | .826 | 5.0 | 2.7 | 1.7 | 1.1 | 29.6* | |
1979–80 | 78 | – | 37.6 | .528 | .314 | .852 | 5.2 | 2.6 | 1.4 | 1.0 | 33.1* | |
1980–81 | 82 | – | 33.7 | .492 | .257 | .826 | 5.1 | 3.2 | 1.1 | .7 | 27.1 | |
1981–82 | 79 | 79 | 35.7 | .500 | .278 | .864 | 5.0 | 2.4 | 1.0 | .6 | 32.3* | |
1982–83 | 78 | 78 | 36.3 | .487 | .364 | .853 | 4.6 | 3.4 | 1.1 | .9 | 26.2 | |
1983–84 | 76 | 76 | 34.0 | .490 | .417 | .842 | 4.1 | 2.9 | 1.0 | .6 | 25.9 | |
1984–85 | 72 | 69 | 29.0 | .508 | .000 | .844 | 3.3 | 2.5 | .9 | .7 | 21.2 | |
1985–86 | CHI | 82 | 75 | 25.2 | .472 | .211 | .879 | 2.6 | 1.8 | .6 | .3 | 16.2 |
Career | 1,060 | 377 | 33.6 | .504 | .271 | .841 | 5.3 | 2.6 | 1.2 | 1.0 | 25.1 | |
All-Star | 12 | 7 | 23.5 | .469 | .400 | .780 | 4.2 | 1.6 | 2.0 | 1.3 | 14.8 |
プレーオフ
[編集]Year | Team | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | PPG |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1973 | VIR | 5 | – | 40.0 | .442 | .200 | .706 | 7.6 | 1.6 | – | – | 18.6 |
1974 | SAS | 7 | – | 32.3 | .496 | 1.000 | .935 | 7.4 | 2.7 | .7 | 1.1 | 20.6 |
1975 | 6 | – | 46.0* | .462 | .250 | .827 | 14.0 | 1.3 | 1.0 | 1.3 | 34.0* | |
1976 | 7 | – | 41.1 | .499 | .000 | .812 | 9.1 | 2.7 | .6 | 2.0 | 27.1 | |
1977 | 2 | – | 31.0 | .432 | – | .800 | 5.5 | 1.5 | .5 | 1.0 | 25.0 | |
1978 | 6 | – | 37.8 | .549 | – | .768 | 5.7 | 3.2 | 1.0 | 2.7 | 33.2* | |
1979 | 14 | – | 36.6 | .536 | – | .808 | 5.9 | 2.5 | 1.9 | 1.0 | 28.6* | |
1980 | 3 | – | 40.7 | .500 | .000 | .867 | 6.7 | 4.0 | 1.7 | 1.0 | 33.3* | |
1981 | 7 | – | 39.1 | .500 | .000 | .800 | 5.0 | 3.4 | .7 | .7 | 27.1* | |
1982 | 9 | – | 41.4 | .452 | .000 | .831 | 7.3 | 4.6 | 1.1 | .4 | 29.4* | |
1983 | 11 | – | 39.7 | .487 | .000 | .884 | 6.7 | 3.4 | 1.1 | .4 | 25.2 | |
1985 | 5 | 5 | 36.6 | .532 | .000 | .794 | 3.6 | 2.8 | .6 | .6 | 22.2 | |
1986 | CHI | 2 | 0 | 5.5 | .000 | – | – | .5 | .5 | .0 | .0 | .0 |
Career | 84 | 5 | 38.0 | .501 | .147 | .820 | 6.9 | 2.9 | 1.1 | 1.0 | 26.5 |
脚注
[編集]- ^ a b “Right Name, Wrong Genes: The Top 50 Less Talented Relatives of Superstars”. bleacherreport.com (2010年9月7日). 2012年3月25日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 選手の通算成績と情報 NBA、NBA日本、Basketball-Reference
- バスケットボール殿堂公式サイト ジョージ・ガービン功績
- George Gervin Youth Center official HP
- NBA50周年記念オールタイムチーム
- 20世紀のアフリカ系アメリカ人のスポーツ選手
- 21世紀のアフリカ系アメリカ人
- アフリカ系アメリカ人のバスケットボール選手
- アメリカ合衆国の男子バスケットボール選手
- 在イタリア・アメリカ人のバスケットボール選手
- シューティングガード
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- スモールフォワード
- ネイスミス・メモリアル・バスケットボール殿堂入り
- 東ミシガン大学出身のバスケットボール選手
- フェニックス・サンズのドラフト指名選手
- バージニア・スクワイアーズの選手
- サンアントニオ・スパーズの選手
- シカゴ・ブルズの選手
- パラカネストロ・ヴィルトゥス・ローマの選手
- バスケット・マンレサの選手
- NBA永久欠番保持者
- NBAオールスターゲーム選出選手
- デトロイト出身の人物
- 1952年生
- 存命人物