バーナード・キング
テネシー大学でのキング (1976年) | |
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
生年月日 | 1956年12月4日(67歳) |
出身地 | ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン区 |
身長 | 201cm (6 ft 7 in) |
体重 | 93kg (205 lb) |
キャリア情報 | |
高校 | フォート・ハミルトン高等学校 |
大学 | テネシー大学 |
NBAドラフト | 1977年 / 1巡目 / 全体7位[1] |
ニューヨーク・ネッツから指名 | |
プロ選手期間 | 1977年–1993年 |
ポジション | SF |
背番号歴 | 22, 30 |
経歴 | |
1977–1979 | ニュージャージー・ネッツ |
1979–1980 | ユタ・ジャズ |
1980–1982 | ゴールデンステート・ウォリアーズ |
1982–1987 | ニューヨーク・ニックス |
1987–1991 | ワシントン・ブレッツ |
1993 | ニュージャージー・ネッツ |
受賞歴 | |
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NBA通算成績 | |
得点 | 19,655 (22.5 ppg) |
リバウンド | 5,060 (5.8 rpg) |
アシスト | 2,863 (3.3 apg) |
Stats Basketball-Reference.com | |
バスケットボール殿堂入り選手 (詳細) |
バーナード・キング(Bernard King, 1956年12月4日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ブルックリン出身の元プロバスケットボール選手。ポジションはスモールフォワード。1980年代のNBAを代表するスコアラーの1人で、1985年に得点王を獲得した。2013年にバスケットボール殿堂入り。
弟のアルバート・キングもNBAで534試合に出場した。
キャリア
[編集]テネシー大学出身。1977年のNBAドラフト全体7位でニューヨーク・ネッツに指名されて入団した。チームはその数ヵ月後ニュージャージー州に移転してニュージャージー・ネッツとなった。1年目の1977-1978シーズン、彼はチーム記録となる1909得点(1試合平均24.2得点)をあげた。その後1983-1984シーズンには自己の記録を更新する2027得点をあげて2年連続でオールNBAファーストチームに選ばれた。
1984年1月31日の試合で彼はNBAでは1964年以来の記録となる2試合連続で50得点以上をあげる快挙を達成した。1月30日のサンアントニオ・スパーズ戦で23本中20本のシュートを決めフリースロー10本を成功し50得点をあげていた彼は31日の試合では28本中20本のシュートを決めフリースロー10本を成功し50得点をあげチームはロード[要曖昧さ回避]で連勝した。1984年12月25日の試合では60得点をあげて史上10人目となる1試合60得点以上をあげた選手の仲間入りを果たした。キャリアのピークを迎えていた[1]彼は1985年3月23日にカンザスシティで行われたカンザスシティ・キングスとの試合で右ひざの前十字靭帯を損傷し翌1985-1986シーズンも全休した。復帰後6試合で平均22.6得点をあげたものの爆発的な得点力を失った彼は1987年シーズン終了と共にニックスから放出されワシントン・ブレッツに移った。ブレッツに移ってから彼は年ごとに平均得点を回復させ1991年にはNBAオールスターゲームに6年ぶり4度目となる出場を果たした。その後ネッツに復帰した彼は1993シーズン終了と共に現役を引退した。通算874試合に出場、19665得点(1試合平均22.5得点)で現役引退時点では歴代16位の得点であった。彼よりも少ない出場試合数で通算得点が多いのはジョージ・ガービン、ボブ・ペティット、エルジン・ベイラーのみであった。
2006年のNBAオールスターゲームの際にTNTのマーブ・アルバートによって10年前の1996年に選出されたNBA50周年記念オールタイムチームに次ぐ10人の1人にあげられた[2]。
2007年2月13日、テネシー州ノックスビルのトンプソン=ボーリング・アリーナ(テネシー大学の本拠地)で行われたケンタッキー大学(NCAAの強豪だが彼の在学中チームは対戦成績で史上2位の5連勝を果たしている。)との試合の際に彼の背番号53番が大学初の永久欠番となるセレモニーが行われた(後に彼のチームメートのアーニー・グランフェルドの背番号も永久欠番となった。)[3]
2013年バスケットボール殿堂入り。
個人成績
[編集]- NBAファーストチーム(1984、1985)
- NBAセカンドチーム(1983)
- NBAサードチーム(1991)
- NBAオールルーキーファーストチーム(1978)
- 得点王(1985)
- オールスター出場(1982, 1984, 1985, 1991)
- 50得点以上をあげた試合が8回
- 19655得点
- 5060リバウンド
- 2863アシスト
脚注
[編集]- ^ 1984-1985シーズン彼は1試合平均32.9得点(NBA歴代21位の記録)をあげていた。
- ^ TNT showcases the NBA's "Next 10" greatest players
- ^ UNIVERSITY OF TENNESSEE RETIRES BERNARD KING'S NUMBER @ UTsports.com
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- NBA stats @ basketballreference.com
- Bernard King bio @ NBA.com
- "The Incandescent King" @ ニューヨーク・タイムズ