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スチュワート・ダウニング

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
スチュワート・ダウニング
ミドルズブラ時代のダウニング (2016年)
名前
ラテン文字 Stewart DOWNING[1]
基本情報
国籍 イングランドの旗 イングランド
生年月日 (1984-07-22) 1984年7月22日(40歳)
出身地 ミドルズブラ
身長 180cm
体重 68kg
選手情報
ポジション MF
利き足 左足
ユース
0000-2001 イングランドの旗 ミドルズブラ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2009 イングランドの旗 ミドルズブラ 181 (17)
2003 イングランドの旗 サンダーランド (loan) 7 (3)
2009-2011 イングランドの旗 アストン・ヴィラ 63 (9)
2011-2013 イングランドの旗 リヴァプール 65 (3)
2013-2015 イングランドの旗 ウェストハム 69 (7)
2015-2019 イングランドの旗 ミドルズブラ 153 (9)
2019-2021 イングランドの旗 ブラックバーン 59 (2)
通算 597 (50)
代表歴
2004-2005  イングランド U-21 8 (0)
2007 イングランドの旗 イングランド B 1 (2)
2005-2014 イングランドの旗 イングランド 35 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

スチュワート・ダウニング(Stewart Downing, 1984年7月22日 - )は、イングランドミドルズブラ出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー

経歴

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ミドルズブラ

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ミドルズブラ育ちであり、幼い頃からのミドルズブラ・サポーター。ミドルズブラFCの下部組織で育つ。2002年4月24日イプスウィッチ・タウンFC戦にて17歳でプレミアデビューを果たした。その後、地元のライバルサンダーランドAFCへのローン移籍を経験。1年で復帰するもボウデヴィン・ゼンデンなどの活躍で出場機会は限られたものとなっていたが、2004-05シーズンから頭角を現し、このシーズンはカップ戦などを含め48試合に出場し6ゴールを上げ、多くのアシストも記録した。この活躍がエリクソン監督の目に留まり、2005年2月9日オランダ戦でイングランド代表デビューを果たした。

2005-06シーズンは膝の怪我の影響でリーグ戦は12試合の出場に止まるが、UEFAカップでは準決勝ステアウア・ブカレスト戦のセカンドレグにおいて3アシストと活躍し、決勝進出に貢献するが、決勝ではセビージャFCに0-4で敗れ準優勝だった。

2008年2月26日にミドルズブラと2013年までの5年契約にサインした[2]。また、シーズン終了後にマーク・シュワルツァーフラムFCに移籍したことに伴い、ブラッド・ジョーンズに次ぐチーム2番目の古株になった。しかし、2008-09シーズンは混乱の年となった。ミドルズブラはシーズン序盤は好調なスタートを切り8位に付けたが、11月9日アストン・ヴィラFC戦以降14試合連続で勝利から見放され降格圏内に低迷した。このことからダウニングは年明けにチームを去りたい意向を伝えるが却下された。さらに、2009年5月16日のアストン・ヴィラFC戦でスティリアン・ペトロフに足を踏まれて骨折し、最終節のウェストハム・ユナイテッドFC戦も敗れて19位に終わり2部降格となった。

アストン・ヴィラ

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ミドルズブラの降格に伴い、7月16日に移籍金1200万ポンド(約18億6000万円)でアストン・ヴィラFCへ4年契約で移籍した[3][4]。骨折の影響から2009-10シーズンの開幕には間に合わなかったが、11月21日バーンリーFC戦で70分からスティーヴ・シドウェルと交代、移籍後初出場を果たした。12月1日カーリング・カップ準々決勝のポーツマスFC戦で移籍後初得点を決めた。復帰後はジェイムズ・ミルナーがセントラルなポジションにコンバートされたことに伴い右サイドでプレーすることになった。左サイドのアシュリー・ヤングと共にサイド攻撃を担うと、リーグ戦で6位に入りUEFAヨーロッパリーグの出場権獲得に貢献した。

リヴァプール

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2011年7月16日、古豪復活を誓うリヴァプールFCに加入した。移籍金は推定2000万ポンド(約22億2500万円)以上と見られている。移籍に際して、「クラブが僕に興味を持っていると知ってからは、他の行き先は考えられなくなったよ。アンフィールドを駆けるのは最高の気分だろうね」と語った[5]

しかし2011-12シーズンは移籍金と周囲の期待に見合った活躍ができず、リーグ戦では0ゴール0アシストという低調な結果に終わり、順位も8位と低迷した。監督がケニー・ダルグリッシュからブレンダン・ロジャーズに変わった2012-13シーズンは開幕戦こそスタメンに名を連ねるも、ラヒーム・スターリングの台頭もあり、前年よりも出場機会は減少。一時は本職ではない左サイドバックで出場することもあった。しかし、ミッドウィークのヨーロッパリーグでの好調と、スターリングの怪我による離脱もあり、年末頃からスタメンに復帰し、3ゴールを挙げるなど、リーグ後半戦のチームの復調に貢献した。

ウェストハム

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2013年8月13日ウェストハム・ユナイテッドFCに移籍が決定[6]。リヴァプール時代のチームメイトであるアンディ・キャロルジョー・コールと再会することになった。

ミドルズブラ復帰

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2015年7月16日チャンピオンシップ所属の古巣ミドルズブラFCへ6年ぶりに復帰[7]。2015-16シーズンには45試合に出場しクラブのプレミアリーグ昇格に貢献した。

ブラックバーン・ローヴァーズ

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2019年6月、ブラックバーン・ローヴァーズFCと1年契約を結んだ[8]。2020年11月に再契約し[9]、2020-21シーズン限りで退団した[10]

2021年8月2日、現役引退を発表した[11]

イングランド代表

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19歳から各世代の代表に招集されている。フル代表では、前述のオランダ戦でイングランド代表に初招集され、その試合の後半にショーン・ライト=フィリップスと交代しフル代表デビューを果たした。

2005年5月のアメリカ遠征中の怪我で一時期代表を離れていたが、2006 FIFAワールドカップイングランド代表メンバーに招集された。グループリーグのパラグアイ戦においてマイケル・オーウェンと、トリニダード・トバゴ戦においてジョー・コールと交代し途中出場している。

エピソード

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サッカー以外でもいくつかの慈善事業などに参加している。2008年2月にボクサーのリッキー・ハットンと共にニューカッスル・アポン・タインにある王立ヴィクトリア病院の資金を集めるためにチャリティーディナーを開催した。この病院は1993年に4歳で亡くなったダウニングの妹が白血病の治療をしていた病院である。

2007年に地元のクラブでDJデビューをしており、ゴールパフォーマンスDJのパフォーマンスをすることがある。

タイトル

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クラブ
ミドルズブラ

脚注

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  1. ^ Premier League clubs submit squad lists (PDF) (英語)
  2. ^ ミドルスブラ、ダウニングとの5年契約が完了 - ゲキサカ 2008年2月27日
  3. ^ スポーツナビ (2009年7月16日). “アストン・ビラ、ミドルズブラのダウニング獲得で合意”. 2009年7月17日閲覧。
  4. ^ uefa.com (2009年7月16日). “アストン・ビラがダウニングを獲得”. 2009年7月17日閲覧。
  5. ^ uefa.com (2011年7月16日). “リバプールがダウニングとドニを獲得”. 2011年8月10日閲覧。
  6. ^ Goal (2013年8月13日). “ウェスト・ハムがダウニング獲得を発表”. 2013年8月14日閲覧。
  7. ^ ダウニング、6年ぶりにミドルスブラの選手に - Goal.com 2015年7月17日
  8. ^ Stewart Downing: Blackburn Rovers sign former Middlesbrough winger”. BBCスポーツ (2019年6月21日). 2019年8月16日閲覧。
  9. ^ Stewart Downing: Blackburn Rovers re-sign former England midfielder”. BBCスポーツ  (2020年11月2日). 2021年8月2日閲覧。
  10. ^ "Rovers confirm Retain List" (Press release). ブラックバーン・ローヴァーズFC. 15 May 2021. 2021年8月2日閲覧
  11. ^ "Boro Legend Announces His Retirement" (Press release). ミドルズブラFC. 2 August 2021. 2021年8月2日閲覧

外部リンク

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