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スティーブ・ハンセン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

スティーブン・ウィリアム・ハンセンStephen William Hansen, CNZM, 1959年5月7日 - )は、ニュージーランドラグビー指導者。ラグビーニュージーランド代表元ヘッドコーチ。現在ジャパンラグビーリーグワントヨタヴェルブリッツのディレクターオブラグビーを務めている。

来歴

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スティーブ・ハンセン

ダニーデン生まれ。タイエリ・カレッジ、クライストチャーチ・ボーイズ・ハイスクール卒。現役時代のポジションはセンターフルバック

カンタベリー州代表選手として15年間の競技生活を送るもラグビーニュージーランド代表(オールブラックス)に招集された経歴はなく、指導者としてのキャリアが長い。

1990年にフランスのラグビークラブ「ラ・ロシェル」にコーチとして1年間在籍。プロラグビーコーチ転身前は、ニュージーランド警察に所属する警察官であった。そのためメディアでは「元警察官のハンセン」と紹介されることが多い。プロラグビーコーチ転身後は、王立ニュージーランド警察学院臨時コーチ、国際ラグビーアカデミー(IRANZ)特別教官を歴任。

カンタベリー州代表・クルセイダーズアシスタントコーチ

1997年、ロビー・ディーンズのアシスタントとしてカンタベリー州代表アシスタントコーチに就任。当初はバックス担当コーチ、その後フォワード担当コーチを務める。2000年からはクルセイダーズヘッドコーチを兼任するディーンズのアシスタントを2シーズン務める。同年、ジュニア・オールブラックス(ラグビーニュージーランド代表Aチーム)ヨーロッパ遠征アシスタントコーチに就任。

ウェールズ代表アシスタントコーチ

2001年、グラハム・ヘンリーラグビーウェールズ代表ヘッドコーチ(当時)の要請を受けウェールズ代表アシスタントコーチに就任。

ウェールズ代表ヘッドコーチ

2002年シーズンから3年契約でカンタベリー州代表ヘッドコーチに内定していたが、2002年2月、ヘンリーの退任に伴いウェールズ代表ヘッドコーチに昇格。シックス・ネイションズ2002は5戦1勝4負、対イングランド戦では10対50と大敗。当初はシックス・ネイションズ終了時までの短期契約であったが同年4月、ウェールズラグビー協会と2003 - 2004シーズンまでの契約延長に合意。しかし翌年のシックス・ネイションズ2003では5戦5負、親善試合を含め11連敗を記録。ラグビーワールドカップ2003では4戦3勝1負で予選プール2位通過(1位はニュージーランド代表)、決勝トーナメントへ進出するも準々決勝対イングランド戦で敗北。2003年11月、シックス・ネイションズ2004終了後の退任を発表。シックス・ネイションズ2004は5戦2勝3負。2004年6月、ウェール代表ヘッドコーチを退任。ウェールズ代表での通算成績は31戦11勝20負。

ニュージーランド代表アシスタントコーチ

2004年、ヘンリーのニュージーランド代表ヘッドコーチ就任に伴いアシスタントコーチに就任(担当はフォワード)。ニュージーランド代表は順調に戦歴を重ねラグビーワールドカップ2007では予選プール4戦4勝で1位通過するも、決勝トーナメント準々決勝対フランス戦で敗北。同年12月、ヘンリーの留任が決定しハンセンもアシスタントコーチ職に留まる。2009年、ロビー・ディーンズのラグビーオーストラリア代表ヘッドコーチ就任に伴い空席となったクルセイダーズヘッドコーチ就任が噂されたが、NZRUはクラブチームと代表チームの兼任を認めずクルセイダーズヘッドコーチにはトッド・ブラックアダーが就任。ラグビーワールドカップ2011で24年ぶりにニュージーランド代表が優勝。同年11月1日、ヘンリーのオールブラックスヘッドコーチ勇退が発表される。ヘンリーからの強い推薦もあり、同年12月16日、NZRUはハンセンをオールブラックス・ヘッドコーチ職へ昇格させる人事案を発表した(契約期間は2年)。ジョン・ハートグラハム・ヘンリーに続き3人目となるオールブラックス選出経験のないヘッドコーチに就任。

ニュージーランド代表ヘッドコーチ
  • 2012年シーズン

シーズン前哨戦となるスタインラガー・シリーズ(対アイルランド代表)を3戦3勝で飾り、ラグビーチャンピオンシップ6戦6勝で優勝、ブレディスローカップ優勝、北半球遠征ツアー5戦3勝1分1負でシーズンを終える。IRB年間最優秀監督賞を受賞。

  • 2013年シーズン

2013年4月、NZRUとラグビーワールドカップ2015終了までの契約延長に合意。シーズン前哨戦となるスタインラガー・シリーズ(対フランス代表)を3戦3勝、ラグビーチャンピオンシップ6戦6勝で優勝、ブレディスローカップ優勝。北半球遠征ツアー4戦(日本・フランス・イングランド・アイルランド)全勝と1試合も落すことなくシーズンを終える。この年のニュージーランド女王誕生日に女王よりニュージーランド・メリット勲章(コンパニオン)が授与された。IRB年間最優秀監督賞を受賞(二度目)。

  • 2014年シーズン

スタインラガー・シリーズ(対イングランド代表)を3戦3勝で終え、ラグビーチャンピオンシップ初戦(対オーストラリア代表、シドニー)を迎えるも、12-12で引き分けとなり、18試合連勝記録が途切れる。対南アフリカ代表戦(現地時間10月5日、ヨハネスブルグ)では25-27で敗北し、22試合ぶりの負けを記録。ラグビーチャンピオンシップは6戦4勝1分1負で優勝、ブレディスローカップの防衛に成功し、北半球遠征(アメリカ・イングランド・スコットランド・ウェールズ)では4戦4勝でシーズンを終える。オールブラックスヘッドコーチ就任3シーズン42戦38勝の成績が評価され、同年12月にNZRUと2017年シーズンまでの契約延長に合意。ワールドラグビー(旧・IRB)年間最優秀監督賞を受賞(三度目)。

  • 2015年シーズン

ニュージーランド代表初となるサモア遠征を行い、25対16で快勝。ラグビーワールドカップ2015では予選プールから全勝で決勝戦へ進出。最大のライバルチームであるオーストラリア代表に34対17で勝利し2大会連続のワールドカップ制覇を達成。このシーズンは12戦11勝1負。ブレディスローカップの13期連続防衛に成功。

  • 2016年シーズン

2012年のオールブラックスヘッドコーチ就任から57戦52勝の成績が評価され、ニュージーランドラグビー協会(NZRU)と2019年W杯終了までの契約延長に合意(同年7月)。ヘンリー・ハンセン体制で代表チームを支えてきたベテラン選手がチームから引退し、2019W杯を見据えた新チーム体制を発足させた。新チームが発足してもニュージーランド代表の快進撃は止まらず、ウェールズ代表のニュージーランド訪問ツアーでは3戦3勝、ラグビーチャンピオンシップでは6戦6勝で優勝、北半球遠征(アイルランド(2戦)・イタリア・フランス)ではアイルランド代表(会場はシカゴ)に敗北し18戦連続勝利が途絶える(この北半球遠征では海外プロモーションの一環としてシカゴでアイルランド代表と対戦した)。ブレディスローカップの14期連続防衛にも成功。ワールドラグビー(旧・IRB)年間最優秀監督賞を受賞(四度目)。

  • 2018年シーズン

今シーズンのニュージーランド代表は10戦9勝1敗の成績を残しブレディスローカップ16期連続防衛に成功。北半球遠征では日本代表、イングランド代表、イタリア代表に勝利するもアイルランド代表には2敗目。この年の暮れに、2019年W杯終了後に、ニュージーランド代表ヘッドコーチを退任すると発表。

  • 2019年シーズン

ラグビーW2019杯開催のこの年、ザ・ラグビーチャンピオンシップは4戦2勝1分1負。対オーストラリア代表戦で1勝1負の試合規定からブレディスローカップの17期連続防衛に成功。対南アフリカ代表戦では1994年シーズン以来の引き分け試合となる。同年4月、ラグビーW杯2019終了後に、トヨタ自動車ヴェルブリッツディレクター・オブ・ラグビー(DoR, 相談役級)に就任する予定と報道される(同年10月にクライストチャーチの自宅が売りに出される)。同年9月にはニュージーランド代表の合宿地である大分県別府市で別府署の1日署長を務めた。20年ぶりに制帽を手にして「めったにできない経験。敬意を持って務める。」と語った。

2019年12月2日付で、トヨタ自動車ヴェルブリッツDoR正式就任が発表された[1]

脚注

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  1. ^ 2019年度新入団スタッフ(追加)のお知らせ