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ラグビーニュージーランド代表

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ラグビーニュージーランド代表
ユニオン ニュージーランドラグビー
愛称 オールブラックス
エンブレム シルバー・ファーン
ヘッドコーチ ニュージーランドの旗 スコット・ロバートソン
主将 スコット・バレット
最多キャップ サム・ホワイトロック (153)
最多得点選手 ダン・カーター (1598)
最多トライ選手 ダグ・ハウレット (49)
ファースト
ジャージ
セカンド
ジャージ
初国際試合
 オーストラリア 3–22 ニュージーランド 
(1903年8月15日)
最大差勝利試合
 ニュージーランド 145–17 日本 
(1995年6月4日)
最大差敗戦試合
 オーストラリア 28–7 ニュージーランド 
(1999年8月28日)
 オーストラリア 47–26 ニュージーランド 
(2019年8月10日)
ラグビーワールドカップ
出場回数 10 (1987年初出場)
最高成績 優勝 (198720112015)
テンプレートを表示

ラグビーニュージーランド代表英語: New Zealand national rugby union team)は、ニュージーランドラグビーユニオンナショナルチーム。愛称は「オールブラックス」 (英語: All Blacks)。エンブレムはシルバー・ファーンシダの葉)。

概要

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次の優勝歴がある。

現在、テストマッチで全ての対戦相手に勝ち越している唯一のチームである。これまでに行われた試合の約4分の3の試合に勝っており、勝率はサッカーのブラジル代表を上回る[1]

試合の前にニュージーランドの先住民であるマオリの伝統舞踊「ハカ」(カマテ、カパオパンゴ)を行う。

1996年からラグビー南アフリカ代表(スプリングボクス)およびオーストラリア代表(ワラビーズ)との国際対抗戦トライネイションズを開催し、2012年からは新たにラグビーアルゼンチン代表を加えたザ・ラグビーチャンピオンシップを開催している[2]

1925年から1999年まで75年間に渡りカンタベリー・オブ・ニュージーランドと公式サプライヤー契約を結んだが、1999年シーズンからアディダスと公式サプライヤー契約を、1998年シーズンからニュージーランド航空、加えて2012年シーズンからAIGと公式スポンサー契約を締結している。

代表資格とサバティカル

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海外チームでプレーする選手は、ニュージーランド代表資格を持てないというニュージーランド協会独自の規定がある。その例外規定として「サバティカル(sabbatical、日本語の『長期休暇』に相当)」があり、1年間の休暇を利用して海外でプレーをすることができる。これを利用し、季節が半年ずれている日本のリーグワンなど北半球で、多くのオールブラックス選手が活躍している[3][4][5][6]

歴史

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ラグビー王国の誕生

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1905年 - 1906年に北半球遠征を行ったオリジナル・オールブラックスメンバー。
1905年に掲載された英国の風刺漫画雑誌パンチの1ページ。当時の風刺画ではブリテン諸島代表を強靭なライオン、オールブラックスを足の速いピューマに見立てた。
オールブラックス対イングランド、 トゥイッケナム・スタジアム( 2006年)

ニュージーランドへのラグビー伝来は医学者で政治家のデビッド・モンロ(出身はスコットランドエジンバラ)の息子であるC.J.モンロにより伝えられた説が有力である[7]。C.J.モンロは留学先のロンドンでラグビーと出会い1860年代後半にニュージーランドへ伝えたとされている[8]。1870年5月にネルソン・カレッジとネルソン・クラブとの間でラグビーの試合が開催された[9] 。1882年にサザンラグビー協会(現:ニューサウスウェールズ州ラグビー協会)がニュージーランド遠征を行い[10]、1888年にブリテン諸島チーム(イングランド、スコットランドおよびウェールズの選手から構成)がニュージーランド遠征を行った[11]

1892年にニュージーランド・ラグビーフットボール協会(NZRFU、現在のニュージーランド・ラグビー協会(NZRU))が設立され、1893年にニューサウスウェールズ州へ遠征。翌年にはニューサウスウェールズを招き初のホーム試合を開催。公式な初のテストマッチは1903年にシドニーで開催されたラグビーオーストラリア代表(ワラビーズ)との試合になる。

1905年から1906年にかけ初の北半球遠征(ブリテン諸島フランスアメリカ合衆国)を行った際にオールブラックスと呼ばれるようになったとされる(詳細は#ニックネームを参照)。この北半球遠征に帯同したメンバー27名は“オリジナル・オールブラックス”と呼ばれ、伝説のチームとされている。この遠征成績は35戦34勝1敗、うちテストマッチ5戦4勝1敗。

1921年にラグビー南アフリカ代表(スプリングボクス)がニュージーランド遠征を行い、1928年にはオールブラックスが南アフリカへ遠征。この遠征試合はともに引き分けとなった。

1924年から1925年にかけて行われたブリテン諸島・フランス・カナダ遠征では32戦全勝(うちテストマッチ4戦全勝)を達成。この遠征メンバーは“インヴィンシブル(無敵艦隊)”と称された。

1932年よりワラビーズとの国際対抗戦「ブレディスローカップ」を開催。

1965年から1969年にかけてテストマッチ17連勝を達成。

1976年に当時人種隔離政策(アパルトヘイト)により国際社会から強い批判を受けていた南アフリカへオールブラックスを派遣したことからアフリカ諸国がモントリオールオリンピックをボイコットするなど国際問題へ発展。

1978年の北半球遠征ではホーム・ネイションズの4チームと対戦し全勝、グランドスラムを達成。

初開催となるラグビーワールドカップ1987で優勝。ジョン・カーワンとクレイグ・グリーンが6トライを挙げトライ王に輝く。ラグビーワールドカップ1991では準決勝でワラビーズに敗れ3位に終わる。

ラグビーワールドカップ1995では優勝候補から外れ、ヘッドコーチのローリー・メインズはベテランのグレアム・バショップ、ジンザン・ブルックを復帰させる一方、新戦力のジョナ・ロムーアンドリュー・マーティンズジョシュ・クロンフェルドらを起用し新旧融合チームを結成。下馬評を覆し決勝へ進出。決勝はスプリングボクスと大会初となる延長戦に突入するも3点差で2位に終わる。メインズは辞任し、ヘッドコーチにノンキャップの知将ジョン・ハートが就任。

ハート就任後は1996年から始まったトライネイションズで2年連続全勝優勝するなど若手とベテランが噛み合ったラグビーワールドカップ1995での好調を維持する。

低迷期

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長らくチームを支えたショーン・フィッツパトリック、ジンザン・ブルック、マイケル・ジョーンズ、フランク・バンス等のベテランが次々と代表を引退すると、1998年にブレディスローカップをワラビーズに明け渡すなど低迷期に突入、1998年から1999年の対ワラビーズは5戦1勝4敗と負け越す。ラグビーワールドカップ1999は準決勝でフランスに、3位決定戦でもスプリングボクスに敗れ4位に終わる。ハートは辞任しヘッドコーチにウェイン・スミスが就任。

スミス就任後の2000年、2001年のトライネイションズは2位に終わりブレディスローカップの奪回に失敗。スミスは更迭され当時37歳のジョン・ミッチェルがヘッドコーチに就任。ミッチェルは若手選手を中心にチーム編成を行い2002年・2003年のトライネイションズ優勝、2003年には5季ぶりにブレディスローカップの奪回に成功した。しかしラグビーワールドカップ2003は準決勝でワラビーズに敗れて3位。ミッチェルは辞任しグラハム・ヘンリーがヘッドコーチに就任。

復活

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2004年にヘンリーがヘッドコーチに就任してから2006年までのテストマッチは33勝4敗、2004年11月以降は27勝2敗と圧倒的な強さを取り戻す。2005年11月の北半球遠征でホーム・ネイションズの4チームを相手に27年ぶり2度目のグランドスラム(全勝)を達成。その初戦ウェールズ戦と続くアイルランド戦では先発メンバーを全員入れ替えながらともに38点差で圧勝した。ラグビーワールドカップ2007は優勝の大本命とされたが、準々決勝でホスト国のフランスに敗れた。NZRUは新ヘッドコーチの選考を行うと表明し、ロビー・ディーンズとの指名争いが展開されたが、最終的にヘンリーの再任人事を発表。敗れたディーンズはワラビーズのヘッドコーチに就任した。この決定は賛否両論の議論を招いたが、2008年・2010年のトライネイションズ優勝と北半球遠征でグランドスラム達成、ブレディスローカップ3季連続防衛に成功するなど、勝率9割以上を言われるヘンリーの戦術は高い評価を得た。

2007年大会と同じく優勝候補の大本命とされたラグビーワールドカップ2011は圧倒的な強さで決勝まで進み悲願の優勝を果たした。この大会中、スタンドオフに3名の怪我人を出しながら優勝を果たし選手層の厚さを証明した。2011年シーズン終了後にヘンリーの勇退が発表され、ラグビーウェールズ代表時代から9年間に渡りヘンリーのアシスタントを務めたスティーブ・ハンセンがヘッドコーチに昇格した。

ハンセン就任後もオールブラックスの快進撃は止まらず、2013年には年間全勝となるテストマッチ14戦全勝を達成するなど、ブレディスローカップとザ・ラグビーチャンピオンシップ3季連続防衛に成功、2015年はザ・ラグビーチャンピオンシップの優勝こそワラビーズに奪われるもののブレディスローカップは防衛。本命視されて臨んだラグビーワールドカップ2015において優勝。ラグビーワールドカップ史上初の連覇を達成した。

ラグビーワールドカップ2019ではプールBを4戦全勝で1位通過。この中には、後に同大会を優勝するスプリングボクス戦が含まれていた。しかし、準決勝でイングランドに19-7で敗れ、ワールドカップ3連覇とはならなかった。3位決定戦ではウェールズ代表に40-17で勝利し3位が確定した。

フォスターHC時代

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2019年12月11日(現地時間)、ハンセンのアシスタントを8年間務めたイアン・フォスターがヘッドコーチに就任した。

2022年7月9日、アイルランドに敗れ、世界ランキングはそれまでの2位から史上ワーストの4位に転落[12]。翌週7月16日もアイルランドに敗れた。

2022年南半球四カ国対抗ザ・ラグビーチャンピオンシップにおいて、8月7日の開幕戦で南アフリカに敗れた。これでテストマッチ3連敗となり、8月8日付の世界ランキングはチーム史上最低を更新し5位になった[13]

その後4位に戻したものの、8月27日に自国開催のアルゼンチン戦で歴史的敗北を喫し、8月29日付の世界ランキングで再び5位に落たが[14]、翌週には4位に戻した。

2022年10月29日、ランキング10位の日本代表と4年ぶり7回目の対戦を行い、38-31で辛勝した[15]

世界ランキングと成績

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世界ランキング

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2009年11月16日付から2019年8月12日付まで、509週連続で1位を記録していた。2019年8月17日に2位ウェールズが4位イングランドに勝利し、その前週に1位ニュージーランドが3位オーストラリアに敗れポイントを下げていたことで、2019年8月19日付ランキングで1位をウェールズに譲り、2位に落ちた[16]

長期にわたり3位以内をキープしていたが、2022年7月から8月にかけてテストマッチ3連敗を喫し、2022年8月8日付ランキングで5位に落ちた[17]。さらに8月29日付でも5位を記録した[14]

テストマッチ成績

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ワールドラグビー男子ランキング
上位20チーム(2024年11月18日時点)[18]
順位 変動* チーム ポイント
1 増減なし  南アフリカ共和国 092.78
2 増加1  アイルランド 090.78
3 減少1  ニュージーランド 090.09
4 増減なし  フランス 088.08
5 増減なし  アルゼンチン 085.40
6 増減なし  スコットランド 082.70
7 増減なし  イングランド 082.31
8 増減なし  オーストラリア 082.17
9 増減なし  フィジー 080.07
10 増減なし  イタリア 078.92
11 増減なし  ウェールズ 074.01
12 増減なし  ジョージア 073.85
13 増加1  日本 072.95
14 減少1  サモア 072.68
15 増加1  アメリカ合衆国 068.90
16 減少1  ポルトガル 068.82
17 増減なし  スペイン 067.10
18 増加1  ウルグアイ 065.94
19 減少1  トンガ 065.46
20 増減なし  ルーマニア 064.13
21 増減なし  チリ 062.99
22 増減なし  カナダ 059.18
23 増減なし  香港 058.62
24 増減なし  ロシア 058.06
25 増減なし  ナミビア 057.87
26 増減なし  ブラジル 057.40
27 増減なし  オランダ 057.29
28 増減なし  ベルギー 056.51
29 増減なし  ジンバブエ 056.03
30 増減なし  スイス 056.04
*前週からの変動
ニュージーランドのランキングの推移

生のグラフデータを参照/編集してください.

出典: ワールドラグビー[18]
推移グラフの最終更新: 2024年11月18日

2022年12月5日現在のテストマッチの対戦成績は以下の通り[19]

チーム 試合数 勝率(%)
 アルゼンチン 35 32 1 2 91.43%
 オーストラリア 175 122 8 45 69.71%
ブリティッシュ・アンド・アイリッシュ・ライオンズの旗 ブリティッシュ・アンド・アイリッシュ・ライオンズ 41 30 4 7 73.17%
 カナダ 6 6 0 0 100.00%
 イングランド 43 33 2 8 76.74%
 フィジー 7 7 0 0 100.00%
 フランス 62 48 1 13 77.42%
 ジョージア 1 1 0 0 100.00%
 アイルランド 36 30 1 5 83.33%
 イタリア 15 15 0 0 100.00%
 日本 5 5 0 0 100.00%
 ナミビア 2 2 0 0 100.00%
パシフィック・アイランダーズの旗 パシフィック・アイランダーズ 1 1 0 0 100.00%
 ポルトガル 1 1 0 0 100.00%
 ルーマニア 2 2 0 0 100.00%
 サモア 7 7 0 0 100.00%
 スコットランド 32 30 2 0 93.75%
 南アフリカ共和国 103 61 4 38 59.22%
 トンガ 7 7 0 0 100.00%
 アメリカ合衆国 4 4 0 0 100.00%
 ウェールズ 37 34 0 3 91.89%
世界選抜 (World XV) 3 2 0 1 66.67%
Total 625 480 23 122 76.80%

ワールドカップ

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トライネイションズとザ・ラグビーチャンピオンシップ

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トライネーションズ (1996–2011; 2020)
国/地域 試合 ポイント ボーナス
ポイント
テーブル
ポイント
優勝
回数
P 得点 失点
 ニュージーランド 76 52 0 24 2054 1449 +605 35 243 11
 オーストラリア 76 30 3 43 1591 1817 −226 34 160 3
 南アフリカ共和国 72 28 1 43 1480 1831 −351 24 138 3
 アルゼンチン 4 1 2 1 56 84 –28 0 8 0
出典:  lassen.co.nz – Tri-Nations, Australia, New Zealand, South Africa

ボーナスポイントはT – 4*W − 2*Dとして算出。T=テーブルポイント、W=勝利数、D=引き分け数

ザ・ラグビーチャンピオンシップ (2012-)
国/地域 試合 ポイント ボーナス
ポイント
テーブル
ポイント
優勝
回数
P 得点 失点
 ニュージーランド 57 48 2 7 1,979 1,059 +920 36 233 9
 南アフリカ共和国 57 28 4 25 1,449 1,289 +160 26 146 1
 オーストラリア 57 25 3 29 1,304 1,553 −249 13 126 1
 アルゼンチン 57 8 1 48 1,036 1,868 −832 12 46 0
更新: 2023年7月29日
出典:  lassen.co.nz – TRC, Argentina, Australia, New Zealand, South Africa
ボーナスポイントはT – 4*W − 2*Dとして算出。T=テーブルポイント、W=勝利数、D=引き分け数
トライネーションズとザ・ラグビーチャンピオンシップを含めた全期間 (1996–)
国/地域 試合 ポイント ボーナス
ポイント
テーブル
ポイント
優勝
回数
P 得点 失点
 ニュージーランド 133 100 2 31 4,033 2,508 +1,525 71 476 20
 オーストラリア 133 55 6 72 2,895 3,370 −475 47 286 4
 南アフリカ共和国 129 56 5 68 2,929 3,120 −191 51 284 4
 アルゼンチン 61 9 3 49 1,092 1,852 −860 12 54 0
更新:2023年7月29日
ボーナスポイントはT – 4*W − 2*Dとして算出。T=テーブルポイント、W=勝利数、D=引き分け数

選手

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現在の代表

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ニュージーランド代表スコッド[20]

選手 ポジション 誕生日 (年齢) キャップ フランチャイズ
アサフォ・アウムア フッカー (1997-05-05) 1997年5月5日(27歳) 15 ニュージーランドの旗 ハリケーンズ / ウェリントン
コーディー・テイラー フッカー (1991-03-31) 1991年3月31日(33歳) 93 ニュージーランドの旗 クルセイダーズ / カンダベリー
ジョージ・ベル英語版 フッカー (2002-01-29) 2002年1月29日(22歳) 1 ニュージーランドの旗 クルセイダーズ / カンダベリー
イーサン・デグルート プロップ (1998-07-22) 1998年7月22日(26歳) 28 ニュージーランドの旗 ハイランダーズ / サウスランド
ティレル・ロマックス プロップ (1996-03-16) 1996年3月16日(28歳) 40 ニュージーランドの旗 ハリケーンズ / タスマン
フレッチャー・ニューウェル プロップ (2000-03-01) 2000年3月1日(24歳) 20 ニュージーランドの旗 クルセイダーズ / カンダベリー
パシリオ・トシ英語版 プロップ (1998-07-18) 1998年7月18日(26歳) 3 ニュージーランドの旗 ハリケーンズ / ベイ・オブ・プレンティ
オファ・トゥウンガファシ プロップ (1992-04-19) 1992年4月19日(32歳) 63 ニュージーランドの旗 ブルーズ / ノースランド
タマティ・ウィリアムズ プロップ (2000-08-10) 2000年8月10日(24歳) 14 ニュージーランドの旗 クルセイダーズ / カンダベリー
スコット・バレット () ロック (1993-11-20) 1993年11月20日(31歳) 76 ニュージーランドの旗 クルセイダーズ / カンダベリー
サム・ダリー英語版 ロック (2000-07-18) 2000年7月18日(24歳) 5 ニュージーランドの旗 ブルーズ / カンダベリー
パトリック・トゥイプロトゥ ロック (1993-01-23) 1993年1月23日(31歳) 46 ニュージーランドの旗 ブルーズ / オークランド
トゥポウ・ヴァアイ ロック (2000-01-27) 2000年1月27日(24歳) 34 ニュージーランドの旗 チーフス / タラナキ
イーサン・ブラックアダー バックロー (1995-03-22) 1995年3月22日(29歳) 15 ニュージーランドの旗 クルセイダーズ / タスマン
サム・ケイン バックロー (1992-01-13) 1992年1月13日(32歳) 100 ニュージーランドの旗 チーフス / ベイ・オブ・プレンティ[注釈 1]
サミペニ・フィナウ英語版 バックロー (1999-05-10) 1999年5月10日(25歳) 4 ニュージーランドの旗 チーフス / ワイカト
ルーク・ジェーコブソン バックロー (1997-04-20) 1997年4月20日(27歳) 24 ニュージーランドの旗 チーフス / ワイカト
ダルトン・パパリイ バックロー (1997-10-11) 1997年10月11日(27歳) 36 ニュージーランドの旗 ブルーズ / カウンティーズ・マヌカウ
アーディー・サヴェア バックロー (1993-10-14) 1993年10月14日(31歳) 90 ニュージーランドの旗 ハリケーンズ / ウェリントン
ウォレス・シティティ バックロー (2002-09-07) 2002年9月7日(22歳) 5 ニュージーランドの旗 チーフス / ノースハーバー
TJ・ペレナラ スクラムハーフ (1992-01-23) 1992年1月23日(32歳) 87 ニュージーランドの旗 ハリケーンズ / ウェリントン[注釈 2]
キャム・ロイガード スクラムハーフ (2000-11-16) 2000年11月16日(24歳) 5 ニュージーランドの旗 ハリケーンズ / カウンティーズ・マヌカウ
コルテス・ラティマ英語版 スクラムハーフ (2001-03-22) 2001年3月22日(23歳) 8 ニュージーランドの旗 チーフス / ワイカト
ボーデン・バレット フライハーフ (1991-05-27) 1991年5月27日(33歳) 131 ニュージーランドの旗 ブルーズ / タラナキ
ダミアン・マッケンジー フライハーフ (1995-04-20) 1995年4月20日(29歳) 56 ニュージーランドの旗 チーフス / ワイカト
ジョーディー・バレット センター (1997-02-17) 1997年2月17日(27歳) 65 ニュージーランドの旗 ハリケーンズ / タラナキ
デービッド・ハヴィリ センター (1994-12-23) 1994年12月23日(29歳) 28 ニュージーランドの旗 クルセイダーズ / タスマン
リーコ・イオアネ センター (1997-03-18) 1997年3月18日(27歳) 77 ニュージーランドの旗 ブルーズ / オークランド
アントン・ライナートブラウン センター (1995-04-15) 1995年4月15日(29歳) 79 チーフス / ワイカト
ビリー・プロクター英語版 センター (1999-05-14) 1999年5月14日(25歳) 1 ニュージーランドの旗 ハリケーンズ / ウェリントン
ケイレブ・クラーク ウイング (1999-03-29) 1999年3月29日(25歳) 25 ニュージーランドの旗 ブルーズ / オークランド
セヴ・リース ウイング (1997-02-13) 1997年2月13日(27歳) 30 ニュージーランドの旗 クルセイダーズ / サウスランド
マーク・テレア ウイング (1996-12-06) 1996年12月6日(27歳) 15 ニュージーランドの旗 ブルーズ / ノースハーバー
ウィル・ジョーダン フルバック (1998-02-24) 1998年2月24日(26歳) 37 ニュージーランドの旗 クルセイダーズ / タスマン
ルーベン・ラヴ フルバック (2001-04-28) 2001年4月28日(23歳) 0 ニュージーランドの旗 ハリケーンズ / ウェリントン
スティーヴン・ペロフェタ英語版 フルバック (1997-03-12) 1997年3月12日(27歳) 5 ニュージーランドの旗 ブルーズ / タラナキ

※所属、 キャップ数(Cap)は2024年10月9日現在

個人記録

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通算出場試合数

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順位 名前 ポジション 期間 出場
2 リッチー・マコウ フランカー 2001-2015 148
3 ケヴェン・メアラム フッカー 2002-2015 132
4 キーラン・リード ナンバー8 2008-2019 118
5 トニー・ウッドコック プロップ 2002-2015 118
6 ダン・カーター フライハーフ 2003-2015 112
1 サム・ホワイトロック ロック 2010- 153
7 オーウェン・フランクス プロップ 2009-2019 106
8 マア・ノヌー センター 2003-2015 103
9 ミルズ・ムリアイナ フルバック 2003-2011 100
10 コンラッド・スミス センター 2004-2015 94
  • 2018年11月24日現在
  • 太字は現役選手

通算得点

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順位 名前 ポジション 期間 得点
1 ダン・カーター フライハーフ 2003-2015 1598
2 アンドリュー・マーティンズ フライハーフ 1995-2004 967
3 グラント・フォックス英語版 フライハーフ 1985-1993 645
4 ボーデン・バレット フライハーフ 2012- 595
5 アーロン・クルーデン フライハーフ 2010-2017 322
6 カルロス・スペンサー フライハーフ 1997-2004 291
7 ダグ・ハウレット ウイング 2000-2007 245
8 クリスチャン・カレン フルバック 1996-2002 236
9 ジェフ・ウイルソン ウイング 1993-2001 234
10 ジョー・ロコココ英語版 ウイング 2003-2010 230
10 ジュリアン・サヴェア ウイング 2012-2017 230
  • 2018年11月24日現在
  • 太字は現役選手

ニックネーム

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シルバーファーンを意匠にした旗の一例。紋章学では白(アージェント)が銀を表す。

「オールブラックス」という愛称の起源は、1905年から1906年にかけてブリテン諸島遠征を行ったニュージーランド代表チームを新聞などがそう呼んだことであり、当時のメンバーはオリジナルズ (The Originals)と呼ばれる。その一人、ビリー・ウォーラスは、愛称はロンドンの新聞が代表チームの戦いぶりを評して、全員バックスのように戦うと書きたてたことからオールバックスと呼ばれるようになり、それが変わってオールブラックスになったと主張している。別の説によると、チームのユニフォームの色は当時から黒が多く使われており、ブラックスは新聞の記事になる以前から使われていた愛称の一つだとしている。なお、"ALL BLACKS"はNZラグビー協会の登録商標である[21]

1925年の遠征以後、代表のユニフォームは黒一色になり、唯一のアクセントとしてニュージーランド固有種のシルバー・ファーンシダ)の葉があしらわれることとなった。

ニュージーランドのスポーツ界では、シルバー・ファーンをあしらったユニフォームを着ることやオールブラックスの一員に選ばれることが名誉とされているため、様々なスポーツの代表チームがそれにあやかった愛称で呼ばれている。以下は一例。

純然たる代表チームではないが、

(使用するヨットの船体は黒塗りであり、帆には銀色のシダが描かれている。)

20世紀初めに設立されたニュージーランド初のラグビーリーグ代表チームは、ニュージーランドのメディアで代表に選ばれる名誉ではなく金目当ての選手たちで構成されていると批判されたため、オールゴールドと呼ばれていたことがある。現在では、キウイズ(Kiwis)と呼ばれて親しまれている。

エピソード

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常に高い勝率を誇ってきたオールブラックスだが、その一方、1日のうちに2敗を喫するという記録も残している。1949年にオールブラックスが南アフリカへ遠征している最中に、オーストラリア代表がニュージーランドを訪れた。そこでニュージーランド側は、国内に残っていた選手から対戦相手となるチームを編成したが、主力を軒並み欠いていたにもかかわらず、このチームも正式な代表として認定された。そして、9月3日に両方の「オールブラックス」がテストマッチを戦い、ともに敗れたのである。

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ オールブラックスはなぜこれほど強いのか? 常勝軍団の秘密に迫る | 世界で最も成功したチームの「勝利の方程式」”. クーリエ・ジャポン (2017年9月1日). 2019年10月4日閲覧。
  2. ^ About SANZAAR”. Official SANZAAR Site. 2016年9月23日閲覧。
  3. ^ スーパースターたちがなぜ続々と来日?日本でラグビーをする貴重な価値 (3ページ目)”. 集英社 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva (2020年7月13日). 2024年3月17日閲覧。
  4. ^ オールブラックス指揮官ロバートソン、代表資格議論に本音見えず。【ラグビー旬な一問一答】(向風見也) - エキスパート”. Yahoo!ニュース. 2024年3月17日閲覧。
  5. ^ “All Black Savea to take Japan sabbatical in 2024” (英語). Reuters. (2022年10月17日). https://jp.reuters.com/article/idUSKBN2RC0AP/ 2024年3月17日閲覧。 
  6. ^ Newboult, Colin (2023年11月5日). “NZR address ‘not perfect’ sabbatical system which saw Sam Cane depart” (英語). PlanetRugby. 2024年3月17日閲覧。
  7. ^ McCarthy (1968), pg. 11.
  8. ^ Davies, Sean (27 September 2006). “All Black magic: New Zealand rugby”. UK: BBC. オリジナルの2013年3月31日時点におけるアーカイブ。. https://webcitation.org/6FWH9HrMq?url=http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/rugby_union/5387120.stm 12 November 2006閲覧。 
  9. ^ Ryan (1993), pg. 16.
  10. ^ McCarthy (1968), pg. 12.
  11. ^ Gifford (2004), p 30.
  12. ^ 日本で連勝のフランスが初の世界ランク1位に! NZは屈辱の4位転落、アルジェリア大躍進 | ラグビーリパブリック” (2022年7月11日). 2022年8月8日閲覧。
  13. ^ 南半球4か国対抗戦で南アが好発進 NZ泥沼抜け出せず指揮官は解任の危機 | ラグビーリパブリック” (2022年8月6日). 2022年8月8日閲覧。
  14. ^ a b アルゼンチン代表がNZの地でオールブラックス撃破! 歴史的勝利で南半球4か国対抗戦首位に | ラグビーリパブリック” (2022年8月27日). 2022年8月29日閲覧。
  15. ^ ジャパンを称賛した王国のファン。オールブラックスへの不安は再燃 - ラグビーリパブリック” (2022年11月2日). 2022年11月7日閲覧。
  16. ^ 世界ランキングでウェールズが初の1位! 約10年間、509週連続トップだったNZは2位へ - ラグビーリパブリック” (2019年8月19日). 2022年12月12日閲覧。
  17. ^ 【ラグビー】ニュージーランドが世界ランク過去最低5位に転落 アイルランド1位、日本は10位 - ラグビー : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2022年8月8日閲覧。
  18. ^ a b Men's World Rankings”. ワールドラグビー. 18 November 2024閲覧。
  19. ^ All Blacks Player Profiles, Match Details and Statistics”. 2022年12月12日閲覧。
  20. ^ ALL BLACKS SQUAD NAMED FOR LIPOVITAN-D CHALLENGE CUP AND NORTHERN TOUR . Allblacks(2024年10月7日). 2024年10月9日閲覧。
  21. ^ ALL BLACKS - Trademark Details” (2019年10月3日). Oct 15 2019閲覧。

関連項目

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外部リンク

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