ストレイチー準男爵
ストレイチー準男爵(ストレイチーじゅんだんしゃく、Strachey Baronetcy)は、イングランドのサマーセット州にあるサットン・コート (Sutton Court) に由来する準男爵位[1]。1801年6月15日に、政治家、官僚であったヘンリー・ストレイチーが準男爵となり、新設された。初代の曾孫にあたる第4代準男爵は、自由党の政治家であった。この第4代準男爵は、1911年11月3日にサマーセット州サットン・コートのストレイチー男爵 (Baron Strachie of Sutton Court in the County of Somerset)を叙爵し、連合王国貴族の一員となった[2]。初代男爵は、後に財務省主計長官 (Paymaster General) を務めた。しかし、この男爵位は、初代の息子であった第2代男爵が1973年に死去したために断絶した。しかし、準男爵位については従兄弟が相続し、第6代準男爵となる可能性がある。この人物は、第3代準男爵の次男であったジョン・ストレイチー (John Strachey) の同名の息子ジョン・ストレイチー (John Strachey) の息子である。しかし、このストレイチーは準男爵の称号を使用していない。また、2007年の時点で、彼は自身の相続の有効性を証明できておらず、準男爵位の公式登録はなされていないため、この準男爵位は休眠状態にあるものと扱われている[3]。
ストレイチー家
[編集]ストレイチー家は、著名な活動をした人々を輩出している。初代準男爵の祖父ジョン・ストレイチー (John Strachey) は、著名な地質学者であり、その父ジョン・ストレイチー(John Strachey、? - 1674年)は、ジョン・ロックの友人であった。初代準男爵の次男エドワード・ストレイチー (Edward Strachey) は、ジョン・ストレイチー (John Strachey) や、サー・リチャード・ストレイチー中将らの父となり、さらに後者(リチャード)は、リットン・ストレイチー、ジェームズ・ストレイチー (James Strachey)、オリヴァー・ストレイチー (Oliver Strachey)、ドロシー・バッシー (Dorothy Bussy) らの父となった。上述の、第3代準男爵の次男であったジョン・ストレイチーは、著名なジャーナリストで、その同名の息子は、労働党の政治家となった。第3代準男爵のまた別の息子ヘンリー・ストレイチーは、画家で美術評論家でもあった。
ストレイチー準男爵:1801年新設
[編集]- サー・ヘンリー・ストレイチー (初代準男爵) (1737年 – 1810年)
- サー・ヘンリー・ストレイチー (第2代準男爵) (1772年 – 1858年)
- サー・エドワード・ストレイチー (第3代準男爵) (1812年 – 1901年)
- サー・エドワード・ストレイチー (第4代準男爵) (1858年 – 1936年) - 1911年に「ストレイチー男爵」を叙爵
ストレイチー男爵:1911年新設
[編集]- エドワード・ストレイチー (初代男爵) (1858年 – 1936年)
- エドワード・ストレイチー (第2代男爵) (1882年 – 1973年)
ストレイチー準男爵:1801年新設:復旧
[編集]- チャールズ・ストレイチー - 第6代目相当(未認定)(1934年 - 2014年)
- ヘンリー・ストレイチー - 第7代目相当(未認定)(1947年 - )
脚注
[編集]- ^ "No. 15372". The London Gazette (英語). 2 June 1801. p. 619.
- ^ "No. 28547". The London Gazette (英語). 3 November 1911. p. 7952.
- ^ Baronetcies to which no Succession has been proved[リンク切れ], The Standing Council of the Baronetage.
参考文献
[編集]- Kidd, Charles, Williamson, David (editors). Debrett's Peerage and Baronetage (1990 edition). New York: St Martin's Press, 1990., [要ページ番号]
- Carlyle, Edward Irving (1901). Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (1st supplement) (英語). London: Smith, Elder & Co. . In