スヴャトスラフ・ヤロスラヴィチ (トヴェリ公)
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スヴャトスラフ・ヤロスラヴィチ Святослав Ярославич | |
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トヴェリ公 | |
在位 | 1271年 - 1282/5年 |
死去 |
1282/5年 |
家名 | リューリク家 |
父親 | ウラジーミル大公ヤロスラフ3世 |
母親 | ナタリヤ |
スヴャトスラフ・ヤロスラヴィチ(ロシア語: Святослав Ярославич、? - 1282年もしくは1285年)は、トヴェリ公ヤロスラフの長男である。トヴェリ公(在位:1271年 - 1282年もしくは1285年)。
出生年並びに正確な没年は不明である。1272年から1276年にかけての、ノヴゴロド公国をめぐるペレヤスラヴリ・ザレスキー公ドミトリーとコストロマ公ヴァシリーの闘争において、ヴァシリー陣営に加勢した。ヴァシリーが1276年に死亡した後も、トヴェリ公国とペレヤスラヴリ・ザレスキー公国との紛争は1290年代初頭まで継続したが、1282年のドミトロフへの遠征に関する記述を最後に、スヴャトスラフの名は年代記上に現れなくなる。
参考文献
[編集]- Тверские (великие и удельные князья) // Русский биографический словарь : в 25 томах. — СПб.—М., 1896—1918.
- Э. Клюг, «Княжество Тверское (1247—1485)», Тверь, 1994.
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