セシル・ヘイウッド

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セシル・パーシバル・ヘイウッド少将CBCMGDSO(Cecil Percival Heywood、1880年5月17日 - 1936年10月20日)は、イギリス陸軍の軍人。

略歴[編集]

第3代准男爵アーサー・ヘイウッドの次男に生まれ、1899年コールドストリームガーズ士官となって、 第二次ボーア戦争で戦った。[1] 1904年に第2コールドストリームガーズの副官となり、エジプト陸軍と視察を行い、1908年にスーダンの南コルドファンの作戦に巻き込まれることとなった。[1] 第一次世界大戦では参謀将校を務め、1918年第三近衛旅団長となった。[1] 1927年にCommander of コールドストリームガーズand Regimental District、1930年に インドでDirector of Military Training、1934年陸軍省でDirector of Staff Dutiesとなった。[1]1936年に第3師団司令長官となり、同年引退した。[2]

スタッフォードシャーデンストーンのAll Saint's Churchyardに埋葬された。[3]

家族[編集]

1917年にマーガレット・ビアー・カーと結婚し、一男一女を儲けた。[4]

参考文献[編集]

軍職
先代
ロバート・ゴードン=フィンレイソン
第3師団司令長官
1936年
次代
デニス・バーナード