セルジュ・リファール
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セルジュ・リファール(仏: Serge Lifar, 露: Сергѣй Михайлович Лифа́рь Sergej Michajlovič Lifár'[1], 烏: Сергі́й Миха́йлович Лифар, Серж Лифа́рь Serjij Lyfár[2], 1905年4月2日 ‐1986年12月15日) は、フランスのバレエダンサー・振付家。ウクライナ出身。「舞の神」と呼ばれた。
概要
[編集]セルジュ・リファールは1905年4月2日にロシア帝国のキエフに生まれた。リファーリ(ルィファール)家はカーニウ町のウクライナ・コサック出身であった。
伝説の舞踏家ヴァーツラフ・ニジンスキーの妹ブロニスラヴァ・ニジンスカに学び、1923年にバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)に入団、主宰者のセルゲイ・ディアギレフの信頼を得て[3][4]末期の同バレエ団を支えた。1929年7月、ディアギレフの死をボリス・コフノ、ミシア・セール、ココ・シャネルとともに看取る。
バレエ・リュスの解散後にパリ・オペラ座バレエ団の首席ダンサーや舞台監督に選ばれた。パリ・オペラ座バレエ団のバレエ・マスターとしての在任期間は1930~1944、1947~1958年。1953年には来日し、『薔薇の精』などを踊っている。
脚注
[編集]- ^ 革命前のロシア語正書法による表記。カナ転記するとセルゲイ・ミハイロヴィチ・リファーリ。本人の署名と著作における著者名は父称部分を除いたこの表記であった。墓碑に記されているのは現代ロシア語正書法によるСерге́й Миха́йлович Лифа́рь 。ただし本名はリファレンコ "Лифаренко" であるとする説もある(Новая.com «Лифарь навещал Киев инкогнито», 14.12.2009.)。
- ^ 現代のウクライナにおける一般的な表記。読みは「セルヒーイ・ルィファール」。
- ^ リファールはディアギレフのすすめによって鼻の整形手術を受けた(芳賀直子『バレエ・リュス その魅力のすべて』国書刊行会、2009年、127ページ)。
- ^ ディアギレフはリファールに対して「もう1人のニジンスキーになってほしい」と言ったとされる(芳賀、前掲書)。
参考文献
[編集]- 『ポーランド・ウクライナ・バルト史 』/ 伊東孝之,井内敏夫,中井和夫. 山川出版社, 1998. (新版世界各国史 ; 20)
- 『物語ウクライナの歴史』/ 黒川祐次. 中央公論新社. 2002.
- Абліцов В. Галактика „Україна“. Українська діаспора: видатні постаті — К.: КИТ, 2007. — 436 с.