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セルヒオ・ガデア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
セルヒオ・ガデア
セルヒオ・ガデア
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 (1984-12-30) 1984年12月30日(39歳)
出身地 バレンシア州バレンシア県プソル英語版
ロードレース世界選手権での記録
- Moto3クラスに参戦 -
現在のチーム ブルセンス・バイ・パリス・ヒルトン・レーシング
ゼッケン 33
レース数 119
優勝回数 3
表彰台回数 16
PP回数 2
FL回数 6
通算獲得ポイント 708
2010年の成績 17位 (67ポイント - Moto2)
2007年 アスパー・アプリリア125cc

セルヒオ・ガデア・パニセージョ(Sergio Gadea Panisello, 1984年12月30日 - )は、スペインバレンシア州バレンシア県プソル英語版出身のオートバイレーサー。2010年シーズンはロードレース世界選手権Moto2クラスに参戦、2011年は同125ccクラスに参戦する。

経歴

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レースデビューしたのは16歳の時と、グランプリライダーとしてはかなり遅かった。2003年にはスペイン国内ロードレース選手権(CEV)125ccクラスで、アルバロ・バウティスタに次ぐシリーズ2位に入った。

2003年にはロードレース世界選手権125ccクラスにワイルドカード参戦でデビュー。地元スペインでのグランプリを中心に4戦に出場した。翌2004年ホルヘ・マルチネス率いるチーム・アスパーからフル参戦を開始、数周だけトップを走行した最終戦バレンシアGPで5位に入ったのがベストリザルトとなり、シリーズランキング19位を記録した。

2005年、ガデアは第4戦フランスGPで初表彰台となる2位に入り、最終戦バレンシアGPでは初のポールポジションを記録、シリーズ12位に入った。2006年は5度表彰台(2位1回、3位4回)に立ち、シリーズ5位と成績を伸ばしていった。

そして2007年、ガデアは第5戦フランスGPで初優勝を遂げた。この年はチームメイトのガボール・タルマクシエクトル・ファウベルが活躍しそれぞれシリーズ1位、2位を獲得したが、ガデアのランキングは7位に終わった。翌2008年は開幕前のテストで右鎖骨を亜脱臼した[1]ものの、開幕戦カタールGPでは自身2勝目を挙げる幸先の良いスタートを切った。ところがその後は調子を落とし、表彰台に立つことも叶わずにシリーズ12位に沈んでしまった。

フル参戦6年目を迎えた2009年は、チームメイトのフリアン・シモンブラッドリー・スミスの活躍(それぞれシリーズ1位、2位)には及ばないものの、第6戦ダッチTTで優勝するなど5度の表彰台に立ち、シリーズ5位に入った。

2010年シーズンは長年在籍したアスパー・チームを去り、シト・ポンス率いるポンス・カレックス・チームから、新しく始まったMoto2クラスに参戦した[2]。ガデアは第4戦イタリアGPで2位表彰台を獲得、他には3度6位入賞を果たすなど上位でのフィニッシュもあったが、3度のリタイヤと6度のポイント圏外完走が響いて年間ランキングは17位に留まった。

2011年はBQRチームに移籍、この年が最後の開催となる125ccクラスに戻ることとなった。なおBQR125ccチームはこの年パリス・ヒルトンの支援を受け、エントリーチーム名は「ブルセンス・バイ・パリス・ヒルトン・レーシング」となる[3]

ロードレース世界選手権 戦績

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シーズン クラス バイク 出走 優勝 表彰台 PP ポイント シリーズ順位
2003年 125cc アプリリア 4 0 0 0 0 -
2004年 125cc アプリリア 16 0 0 0 29 19位
2005年 125cc アプリリア 16 0 1 1 68 12位
2006年 125cc アプリリア 16 0 5 0 160 5位
2007年 125cc アプリリア 17 1 3 0 160 7位
2008年 125cc アプリリア 17 1 1 1 83 12位
2009年 125cc アプリリア 16 1 5 0 141 5位
2010年 Moto2 ポンスカレックス 17 0 1 0 67 17位
2011年 125cc アプリリア
合計 119 3 16 2 708

脚注

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外部リンク

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