セレナード (ブラームス)
ヨハネス・ブラームスは管弦楽のためのセレナードを2曲作曲した。
これらは1857年から1860年にかけて、ブラームスが20代の時の作品で、管弦楽を用いた作品としてはピアノ協奏曲第1番に次いで早い時期のものである。
当時ブラームスは、クララ・シューマンの力添えでデトモルトの領主リッペ侯レオポルト3世に招かれ、合唱や管弦楽の指揮、また侯の妹フリーデリケのピアノ教師などをしていた。こうした、領主に仕える音楽家という境遇からか、ハイドン風のセレナードが2曲書かれることになった。
セレナード第1番ニ長調 作品11
[編集]最初のセレナードは1857年、デトモルトへ来て間もない時期に着手された。最初に書かれたのは、現行の第1・第3・第6楽章となる3つの楽章であったが、このときの編成は4つの弦楽器(ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス各1)、フルート、2本のクラリネット、ファゴット、ホルンという室内楽編成であった。翌1858年にこの編成で2つのスケルツォとメヌエットを追加して6楽章とした。この年から1859年にかけて、この版が私的な形で友人のオットー・グリムやヨーゼフ・ヨアヒムらによって、あるいはデトモルトのリッペ侯邸で演奏された。
ブラームスは1860年にデトモルトの職を辞してハンブルクへ移ったが、この時期にこの曲を管弦楽編成に編曲した。この版での初演は、ハノーファー国王ゲオルク5世の求めに応えて、同年3月3日にハノーファーの宮廷劇場においてヨアヒムの指揮で行われた。
出版は1860年に総譜と四手ピアノ用編曲版が、翌1861年にパート譜が、ともにブライトコプフ・ウント・ヘルテルから行われた。なお、管弦楽版の完成後に室内楽版の総譜とパート譜は破棄されている。
ホルヘ・ロッター(Jorge Rotter)やアラン・ブーステッド(Alan Boustead)が、それぞれオリジナルの九重奏版の復元楽譜を書いていて、それに基づく演奏も行われている。ホルヘ・ロッターのものは、ポケット版総譜も出版されている。
編成(管弦楽版)
[編集]フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、ティンパニ、弦楽合奏
演奏時間
[編集]全曲で約50分(全ての繰り返しを含む)。繰り返しを省略すると約35分。
構成
[編集]上述のように6楽章からなる。
- 第1楽章 アレグロ・モルト ニ長調 2分の2拍子 ソナタ形式
- 第2楽章 スケルツォ アレグロ・ノン・トロッポ ニ短調 4分の3拍子
- 第3楽章 アダージョ・ノン・トロッポ 変ロ長調 4分の2拍子 ソナタ形式
- 第4楽章 メヌエット第1と第2 ト長調とト短調 4分の3拍子 - 第2のメヌエットを挟んだ三部形式をなす。
- 第5楽章 スケルツォ アレグロ ニ長調 4分の3拍子 三部形式
- 第6楽章 ロンド アレグロ ニ長調 4分の2拍子 ロンドソナタ形式
セレナード第2番イ長調 作品16
[編集]2作目の作曲の始まりは1857年とも1858年とも伝えられるが、1858年の秋には第3楽章がグリムの許に送られており、同年12月には第1楽章をクララ・シューマンに送って意見を求めている。1859年7月には一応の完成を見た。そして1860年1月にハノーファーで試演され、同年2月10日にハンブルクのフィルハーモニー協会の私的演奏会でブラームス自身の指揮によって公開初演が行われた。その後、同年7月にボンで若干の改訂が行われている。
出版は1860年にジムロックから行われた。
編成
[編集]ピッコロ、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、ヴァイオリンを欠く弦楽合奏(ヴィオラ、チェロ、コントラバス)
- ブラームスは弦の人数について尋ねられた際、ヴィオラ8以上、チェロ6、コントラバス4と答えている。
演奏時間
[編集]約32分(すべての繰り返しをふくむ)。
構成
[編集]5つの楽章からなる。
- 第1楽章 アレグロ・モデラート イ長調 2分の2拍子 ソナタ形式
- 第2楽章 スケルツォ ヴィヴァーチェ ハ長調 4分の3拍子 三部形式
- 第3楽章 アダージョ・ノン・トロッポ イ短調 8分の12拍子 パッサカリア風三部形式
- 第4楽章 クアジ・メヌエット ニ長調 4分の6拍子 三部形式
- 第5楽章 ロンド アレグロ イ長調 4分の3拍子 ソナタ風ロンド形式
参考文献
[編集]- 作曲家別名曲解説ライブラリー ブラームス(音楽之友社)