セント・レヴァン男爵
セント・レヴァン男爵 | |
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Arms: Ermine on a Cross Gules five Bezants all within a Bordure wavy of the second. Crest: A Rock proper therefrom a Cornish Chough rising Sable the whole debruised with a Bendlet sinister wavy Ermine. Supporters: On either side a Lion Or gorged with a Chain proper and pendant therefrom an Escutcheon, that of the dexter per fess Azure and Argent in chief a Naval Crown between two Laurel Branches saltirewise Or in base the Frame of a Vessel proper, that of the sinister Sable charged with five Bezants.
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創設時期 | 1887年7月4日 |
創設者 | ヴィクトリア |
貴族 | 連合王国貴族 |
初代 | 初代男爵ジョン・セントオービン |
現所有者 | 5代男爵ジェームズ・セントオービン |
相続人 | ヒュー・セントオービン閣下 |
付随称号 | (セント・マイケルズ・マウントの) 準男爵 |
現況 | 存続 |
邸宅 | セント・マイケルズ・マウント |
モットー | 自分に厳しく (In Se Teres) |
セント・レヴァン男爵 (英: Baron St Levan) は、イギリスの男爵、貴族。連合王国貴族爵位。女王ヴィクトリア即位50周年記念叙爵の七男爵家(jubilee baronies) の一つ[1]。政治家ジョン・セントオービンが1887年に叙されたことに始まる。
歴史
[編集]セントオービン家は17世紀中葉、 (コーンウォール州クローアンスの) 準男爵(Baronet, of Clowance in the County of Cornwall)に叙せられたことにより興った家である[3]。
その後の1839年に、この準男爵位は第5代準男爵サー・ジョン・セントオービン(1758–1839)の死によって廃絶したが、彼の庶子にあたるエドワード・セントオービン(1799–1872)は1866年に (セント・マイケルズ・マウントの) 準男爵(Baronet, of St Michael's Mount)に叙されており、これが現在に続くセント・レヴァン男爵家の始まりである[4]。
その息子であるジョン(1829–1908)は自由党及び自由統一党の政治家として活動したのち、1887年7月4日に連合王国貴族としてコーンウォール州セント・マイケルズ・マウントのセント・レヴァン男爵(Baron Saint Levan, of Saint Michael's Mount in the County of Cornwall)に昇叙した。さらに叙爵後の1891年にはコーンウォール王立地理学会の会長職を務めている[5][6]。
その後は初代男爵の長男ジョン(1857–1940)が爵位を襲った。彼は英国陸軍軍人であったため、第一次世界大戦に従軍してイギリス海外派遣軍の幕僚を務めている[7]。
2代男爵が1940年に死去すると、彼の甥 (初代男爵の4男) にあたるフランシス(1895–1978)が3代男爵となった。フランシスののちはその長男ジョンが爵位を相続した。
4代男爵ジョン(1919–2013)は、トリニティ・カレッジ在学中にダイナモ作戦発動を知ると、大学を中退して友人らとともにダンケルク沖合へ赴き、いわゆる''ダンケルクの小さな船たち (Little Ships of Dunkirk)''の士官候補生として救命活動に従事した[8]。
彼ののちは4代男爵の甥にあたるジェームズ(1950-)が爵位を承継して現在に至っている。
一族の邸宅は、 コーンウォール州南西部の沖合に浮かぶ セント・マイケルズ・マウント。
男爵家の紋章に刻まれるモットーは『自分に厳しく(In Se Teres)』[6]。
現当主の保有爵位
[編集]現当主である第5代セント・レヴァン男爵ジェームズ・セントオービンは、以下の爵位を保有している[6]。
- 第5代コーンウォール州セント・マイケルズ・マウントのセント・レヴァン男爵
(5th Baron Saint Levan, of Saint Michael's Mount in the County of Cornwall)
(1887年7月4日の勅許状による連合王国貴族爵位) - (第6代セント・マイケルズ・マウントの) 準男爵(6th Baronet, of St Michael's Mount)
(1866年7月31日の勅許状による連合王国貴族爵位)
一覧
[編集](セント・マイケルズ・マウントの) 準男爵(1866年)
[編集]- 初代準男爵サー・エドワード・セントオービン(1799–1872)
- 第2代準男爵サー・ジョン・セントオービン (1829-1908) (1887年セント・レヴァン男爵創設)
セント・レヴァン男爵 (1887年)
[編集]- 初代セント・レヴァン男爵ジョン・セントオービン(1829–1908)
- 第2代セント・レヴァン男爵ジョン・タウンゼンド・セントオービン (1857-1940)
- 第3代セント・レヴァン男爵フランシス・セシル・セントオービン(1895–1978)
- 第4代セント・レヴァン男爵ジョン・フランシス・アーサー・セントオービン (1919–2013) [9]。
- 第5代セント・レヴァン男爵ジェームズ・ピアーズ・サウスウェル・セントオービン(1950-)
爵位の法定推定相続人は現当主の息子ヒュー・ジェームズ・セントオービン閣下(1983-)。
脚注
[編集]- ^ “The Complete Peerage (Edition 1, Volume 7)”. Cokayne, George Edward,1896. 2019年11月6日閲覧。
- ^ ^ RSVP 第1号 特集:英国式ティータイムへの招待状 - 21 ページ
- ^ Cokayne, George Edward, ed. (1904), Complete Baronetage volume 4 (1665-1707), 4, Exeter: William Pollard and Co 28 January 2019閲覧。
- ^ W. P. Courtney, ‘St Aubyn, Sir John, fifth baronet (1758–1839) ’, rev. Hallie Rubenhold, Oxford Dictionary of National Biography, Oxford University Press, 2004; online edn, May 2010
- ^ K F G Hosking & G J Shrimpton, ed. (1964). "Patrons and Presidents". Present Views of Some Aspects of the Geology of Cornwall and Devon. Penzance: Royal Geological Society of Cornwall. p. iii.
- ^ a b c “Saint Levan, Baron (UK, 1887)”. Cracroft's Peerage. 2019年11月12日閲覧。
- ^ St Levan, 2nd Baron, (John Townshend St Aubyn)." WHO'S WHO & WHO WAS WHO. 2007-12-01. Oxford University Press.
- ^ The Times. 2 May 2013. Retrieved 13 May 2015.
- ^ “The 4th Lord St Levan”. Daily Telegraph (2013年4月9日). 2019年10月27日閲覧。