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セーラ・ロウエル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
セーラ・ロウエル
本名 石井 セーラ
別名義 セーラ
生年月日 (1960-12-30) 1960年12月30日
没年月日 (2011-06-28) 2011年6月28日(50歳没)
出生地 日本の旗神奈川県横浜市
死没地 日本の旗東京都
国籍 日本の旗 日本
血液型 A型
職業 ファッションモデル
女優
ディスクジョッキー
活動期間 1973年 - 1987年
2008年 - 2011年
配偶者 有(2007年再婚)
主な作品
テレビドラマ
天皇の料理番
Gメン'75
その他のテレビ番組
11PM
MTV:Music Television』 他
ラジオ番組
DIATONE ポップスベストテン
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セーラ・ロウエル(SARAH VERA LOWELL[1]1960年12月30日[2] - 2011年6月28日)は、タレントモデル。血液型・A型。婚姻後の本名は石井セーラ(誕生名はSARAH VERA LOWELL)[3][4]

初期の一時期はセーラという名で活動していた[1]。身長164cm(1979年時点)[1]

来歴

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1960年神奈川県横浜市[1]にアメリカ人の父と日本人の母との間にSARAH VERA LOWELLとして生まれる。父はボストンの三大名家の一つのLOWELL(ロウエル)家の出身、母は武田信玄の子孫と紹介されたことがある[1]。12歳の時に渋谷でスカウトされ、モデルデビュー。本人によると、最初はバレリーナになりたく、15歳でイギリスに渡るはずだったが、断念して日本での仕事を選んだ[5]。雑誌「セブンティーン」の専属モデルを務めた後、1979年に『11PM』のカバーガールを務め、人気を集める[3]1981年4月25日から10月3日迄TBSの刑事ドラマ『Gメン'75』にマリコ寺岡刑事[6]として出演した。その後ラジオ番組のDJや『MTV:Music Television』のVJをはじめ、司会・リポーターなどで活躍。1987年に実業家と結婚してからは主婦業に専念するも、のちにその実業家が他界。2007年オスカープロモーションに所属していた当時のマネージャーと再婚した[3][4][7]。2008年に雑誌「クロワッサン」746号の特集記事「カラダの中から輝く美容法。」に登場。2009年からタレント活動を本格的に再開した。

2009年に病院の検査で癌が見つかり、手術や抗がん剤治療を続けながら入退院を繰り返していたが、2011年6月28日午前0時30分、子宮頸癌のため東京都内の病院で死去[3][4]。50歳没。戒名鳳月惺良大姉(ほうげつせいらだいし)[8]

人物

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出演

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テレビドラマ

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声の出演

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音楽番組

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バラエティ番組

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スポーツ番組

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  • NFL Touchdown(1988年10月 - 1990年3月、日本テレビ) 司会

ラジオ

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CM

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映画

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  • さわこの恋 上手な嘘の恋愛講座  (1990年) ‐ 堤素子 

雑誌

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レコード(シングル盤)

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  • レイニィボーイ1013mb(1979年、日本フォノグラム)※セーラ & STUDS名義
  • KISS ME QUICK!(1980年、日本フォノグラム)
  • Get The Sun(1981年、フィリップスレコード)※ダイハツ・シャレード・イメージソング

脚注

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  1. ^ a b c d e f 明星集英社)1979年6月号 p.174 - 175「今月の新人」
  2. ^ a b c d DJ名鑑 1987三才ブックス、1987年2月15日、94頁。
  3. ^ a b c d SANSPO.COM (2011年6月29日). “セーラ・ローエルさん、子宮がんのため死去”. 2011年6月29日閲覧。
  4. ^ a b c nikkansports.com (2011年6月29日). “セーラ・ロウエルさん死去…50歳で”. 2011年6月29日閲覧。
  5. ^ 青春カタログ(現代新社)1980年8月号「筑紫哲也の爆論フォーラム」38〜41頁
  6. ^ 307話から330話迄
  7. ^ Sponichi Annex (2011年7月3日). “セーラ・ローエルさんに山田洋次監督らが最後の別れ”. 2011年7月4日閲覧。
  8. ^ スポーツ報知 (2011年7月2日). “セーラ・ロウエルさん通夜 130人がお別れ”. 2011年7月2日閲覧。