ソムサワート・レンサワット
ソムサワート・レンサワット ສົມສະຫວາດ ເລັ່ງສະຫວັດ Somsavat Lengsavad | |
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2011年第9回党大会記者会見 | |
生年月日 | 1945年6月16日(79歳) |
出生地 | フランス領インドシナ、ルアンパバーン県 |
所属政党 | ラオス人民革命党 |
配偶者 | ブンコンマニー |
内閣 |
トーンシン・タムマヴォン内閣 ブアソーン・ブッパーヴァン内閣 ブンニャン・ウォーラチット内閣 シーサワット・ケーオブンパン内閣 |
在任期間 | 1998年2月24日 - |
国家主席 |
チュンマリー・サイニャソーン カムタイ・シーパンドーン |
内閣 |
ブンニャン・ウォーラチット内閣 シーサワット・ケーオブンパン内閣 カムタイ・シーパンドーン内閣 |
在任期間 | 1993年2月 - 2006年6月8日 |
国家主席 |
カムタイ・シーパンドーン ヌーハック・プームサワン カイソーン・ポムウィハーン |
ソムサワート・レンサワット(ラーオ語: ສົມສະຫວາດ ເລັ່ງສະຫວັດ / Somsavat Lengsavad, 1945年6月16日 - )は、ラオスの政治家。副首相。ラオス人民革命党政治局員。1993年から2006年までは外務大臣を務めた。
経歴
[編集]ソムサワートは1945年、北部ルアンパバーン県の中国系ラオス人の家庭に生まれた。中国名は凌 緒光 (Ling Xu Guang) 。その祖先は、海南の出身である[1]。
ラオス内戦中の1961年、革命運動に参加。1964年にラオス人民革命党中央委員会幹部要員となる。カイソーン直系の部下、腹心の秘書として活動[1]。1975年、党中央委員会及び内閣事務局長。1982年から、党中央委員会及び内閣副官房長、党中央委員会付属歴史研究委員会第一副委員長を歴任。
1991年3月の第5回党大会において党中央委員に選出され、党内序列第51位となる。党中央委員会及び内閣官房長、国家主席府大臣を歴任。隣国タイに接近するカイソーン国家主席を右腕として支え、二国間関係の改善に尽力した[2]。
1993年2月、カムタイ内閣の内閣改造で外務大臣に任命され、以後、対中国・対ASEAN外交を推進してゆく。
1996年3月の第6回党大会において党中央委員に再選され、序列第12位に躍進した。さらに1997年7月23日、ラオスの東南アジア諸国連合 (ASEAN) への加盟を実現させた。1998年2月24日、シーサワット内閣の組閣で副首相に任命され、外務大臣を留任した。
2001年3月の第7回党大会においては、「党の新星」と呼ばれ、政治局入りを確実視されていたが、党中央委員に再選されたのみで、序列13位に留まった[3][4]。直後の3月27日のブンニャン内閣の組閣において、副首相兼外務大臣として留任した。
2006年3月の第8回党大会において中央委員に再選されるとともに、中国系では初の政治局員に選出され、序列第10位へと昇格した。同年6月8日のブアソーン・ブッパーヴァン内閣の組閣に際しては、外相職を退任して、政府の日常業務を司る政府常任に就任するとともに[5]、副首相を留任した。これは若く経験のないブアソーンを支える体制の一環であり[6]、これ以後の5年間、多くの分野で大きな権力を行使した[7]。2010年12月にブアソーン首相の辞任した後も、トーンシン内閣で副首相兼政府常任に留任した。
2011年3月の第9回党大会においては、中央委員および政治局員に再選され[8]、党内序列第8位となった[9]。しかし、同年6月の第7期第1回国会において政府常任職は廃止となり、ソムサワートは兼務のない副首相とされた[7]。
2016年1月の第10回党大会において党政治局から退き、党中央委員会顧問に選出された[10]。
政治姿勢
[編集]親中派で、「ラオス指導部の中で最も中国に近い」[11]と見られている。
また、ASEAN加盟などで積極外交を行い、国際社会でラオスのプレゼンスを高め[12]、国際舞台におけるラオスのイメージの改善に力を注いできた[13]。
人物像
[編集]趣味は、歌とゴルフ。
家族
[編集]ブンコンマニー夫人との間に男子1人と女子2人をもうけた。
脚注
[編集]- ^ a b 馬燁華 (2006年3月30日). “排除“祖籍”障碍 华裔首次当选老挝政治局委员”. 中国僑網 2011年7月7日閲覧。
- ^ ヴォーラペット(2010年)、203ページ
- ^ ヴォーラペット(2010年)、164ページ
- ^ 山田紀彦 2012, p. 137-13.
- ^ 『アジア動向年報 2006年版』.
- ^ 山田(2012)、41ページ
- ^ a b 山田紀彦 2012, p. 42
- ^ "Ninth Congress announces new Party leaders, adopts resolution" (Press release) (English). Vientiane Times. 23 March 2011. 2011年6月19日閲覧。
- ^ 山田紀彦 2012, p. 33 表.
- ^ Lao News Agency (2016年1月22日). “Mr Bounnhang Vorachit voted as new LPRP Secretary General” (英語). KPL 2016年2月2日閲覧。
- ^ 藤村和広 2009, p. 102.
- ^ 山田紀彦 2012, p. 138.
- ^ ヴォーラペット(2010年)、194ページ
参考文献
[編集]- 木村哲三郎「深刻さ増す経済危機 : 1998年のラオス」『アジア動向年報 1999年版』、日本貿易振興会アジア経済研究所、1999年、247-262頁、doi:10.20561/00038728、hdl:2344/00002358。「ZAD199900_014」
- 山田紀彦, 天川直子「2020年の国家目標達成に向けた第一歩 : 2005年のラオス」『アジア動向年報 2006年版』、日本貿易振興機構アジア経済研究所、2006年、267-282頁、doi:10.20561/00038534、hdl:2344/00002553。「ZAD200600_015」
- 山田紀彦「ラオス人民革命党第7回大会 ― 残された課題 ― 」石田暁恵(編)『2001年党大会後のヴィエトナム・ラオス ― 新たな課題への挑戦』アジア経済研究所、2002年3月
- 山田紀彦, アジア経済研究所「山田紀彦「今後の政治改革路線と新指導部」」『ラオス人民革命党第9回大会と今後の発展戦略』日本貿易振興機構アジア経済研究所〈情勢分析レポート ; no.16〉、2012年。ISBN 978-4-258-30016-7。国立国会図書館書誌ID:023405073。
- 藤村和広「今日のラオスに於ける中国の進出 -備忘録 -現地報道の定点観測(2007年3月から2009年2月まで)」『立命館国際地域研究』第30巻、立命館大学国際地域研究所、2009年12月、99-111頁、CRID 1050282814190290944、hdl:10367/1146、ISSN 09172971。
- カム・ヴォーラペット『現代ラオスの政治と経済』(藤村和広・石川真唯子訳、めこん、2010年)
外部リンク
[編集]- ソムサワート・レンサワット副首相兼外務大臣略歴(日本国外務省)