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ソムサワート・レンサワット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ソムサワート・レンサワット
ສົມສະຫວາດ ເລັ່ງສະຫວັດ
Somsavat Lengsavad
2011年第9回党大会記者会見
生年月日 (1945-06-16) 1945年6月16日(79歳)
出生地 フランス領インドシナルアンパバーン県
所属政党 ラオス人民革命党
配偶者 ブンコンマニー

ラオスの旗 副首相
内閣 トーンシン・タムマヴォン内閣
ブアソーン・ブッパーヴァン内閣
ブンニャン・ウォーラチット内閣
シーサワット・ケーオブンパン内閣
在任期間 1998年2月24日 -
国家主席 チュンマリー・サイニャソーン
カムタイ・シーパンドーン

ラオスの旗 外務大臣
内閣 ブンニャン・ウォーラチット内閣
シーサワット・ケーオブンパン内閣
カムタイ・シーパンドーン内閣
在任期間 1993年2月 - 2006年6月8日
国家主席 カムタイ・シーパンドーン
ヌーハック・プームサワン
カイソーン・ポムウィハーン
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ソムサワート・レンサワットラーオ語: ສົມສະຫວາດ ເລັ່ງສະຫວັດ / Somsavat Lengsavad, 1945年6月16日 - )は、ラオスの政治家。副首相。ラオス人民革命党政治局員。1993年から2006年までは外務大臣を務めた。

経歴

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ソムサワートは1945年、北部ルアンパバーン県中国系ラオス人の家庭に生まれた。中国名は凌 緒光 (Ling Xu Guang) 。その祖先は、海南の出身である[1]

ラオス内戦中の1961年、革命運動に参加。1964年にラオス人民革命党中央委員会幹部要員となる。カイソーン直系の部下、腹心の秘書として活動[1]。1975年、党中央委員会及び内閣事務局長。1982年から、党中央委員会及び内閣副官房長、党中央委員会付属歴史研究委員会第一副委員長を歴任。

1989年、在ブルガリア大使として派遣される。

1991年3月の第5回党大会において党中央委員に選出され、党内序列第51位となる。党中央委員会及び内閣官房長、国家主席府大臣を歴任。隣国タイに接近するカイソーン国家主席を右腕として支え、二国間関係の改善に尽力した[2]

1993年2月、カムタイ内閣の内閣改造で外務大臣に任命され、以後、対中国・対ASEAN外交を推進してゆく。

1996年3月の第6回党大会において党中央委員に再選され、序列第12位に躍進した。さらに1997年7月23日、ラオスの東南アジア諸国連合 (ASEAN) への加盟を実現させた。1998年2月24日、シーサワット内閣の組閣で副首相に任命され、外務大臣を留任した。

2001年3月の第7回党大会においては、「党の新星」と呼ばれ、政治局入りを確実視されていたが、党中央委員に再選されたのみで、序列13位に留まった[3][4]。直後の3月27日のブンニャン内閣の組閣において、副首相兼外務大臣として留任した。

2006年3月の第8回党大会において中央委員に再選されるとともに、中国系では初の政治局員に選出され、序列第10位へと昇格した。同年6月8日のブアソーン・ブッパーヴァン内閣の組閣に際しては、外相職を退任して、政府の日常業務を司る政府常任に就任するとともに[5]、副首相を留任した。これは若く経験のないブアソーンを支える体制の一環であり[6]、これ以後の5年間、多くの分野で大きな権力を行使した[7]。2010年12月にブアソーン首相の辞任した後も、トーンシン内閣で副首相兼政府常任に留任した。

2011年3月の第9回党大会においては、中央委員および政治局員に再選され[8]、党内序列第8位となった[9]。しかし、同年6月の第7期第1回国会において政府常任職は廃止となり、ソムサワートは兼務のない副首相とされた[7]

2016年1月の第10回党大会において党政治局から退き、党中央委員会顧問に選出された[10]

政治姿勢

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親中派で、「ラオス指導部の中で最も中国に近い」[11]と見られている。

また、ASEAN加盟などで積極外交を行い、国際社会でラオスのプレゼンスを高め[12]、国際舞台におけるラオスのイメージの改善に力を注いできた[13]

人物像

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趣味は、歌とゴルフ。

家族

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ブンコンマニー夫人との間に男子1人と女子2人をもうけた。

脚注

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  1. ^ a b 馬燁華 (2006年3月30日). “排除“祖籍”障碍 华裔首次当选老挝政治局委员”. 中国僑網. http://www.hsm.com.cn/news/2006/0330/68/22377.shtml 2011年7月7日閲覧。 
  2. ^ ヴォーラペット(2010年)、203ページ
  3. ^ ヴォーラペット(2010年)、164ページ
  4. ^ 山田紀彦 2012, p. 137-13.
  5. ^ 『アジア動向年報 2006年版』.
  6. ^ 山田(2012)、41ページ
  7. ^ a b 山田紀彦 2012, p. 42
  8. ^ "Ninth Congress announces new Party leaders, adopts resolution" (Press release) (English). Vientiane Times. 23 March 2011. 2011年6月19日閲覧
  9. ^ 山田紀彦 2012, p. 33 表.
  10. ^ Lao News Agency (2016年1月22日). “Mr Bounnhang Vorachit voted as new LPRP Secretary General” (英語). KPL. http://kpl.gov.la/En/Detail.aspx?id=9909 2016年2月2日閲覧。 
  11. ^ 藤村和広 2009, p. 102.
  12. ^ 山田紀彦 2012, p. 138.
  13. ^ ヴォーラペット(2010年)、194ページ

参考文献

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外部リンク

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先代
プーン・シーパスート
ラオス人民民主共和国
外務大臣
1993年 - 2006年
次代
トーンルン・シースリット