トーンシン・タムマヴォン
トーンシン・タムマヴォン Thongsing Thammavong ທອງສິງ ທຳມະວົງ | |
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トーンシン・タムマヴォン(2012年) | |
生年月日 | 1944年4月12日(80歳) |
出生地 | フランス領インドシナ、フアパン県 |
所属政党 | ラオス人民革命党 |
第6代首相 | |
内閣 | トーンシン・タムマヴォン内閣 |
在任期間 | 2010年12月23日 - 2016年4月 |
国家主席 | チュンマリー・サイニャソーン |
第2代国民議会議長 | |
在任期間 | 2006年6月8日 - 2010年12月23日 |
国家主席 | チュンマリー・サイニャソーン |
トーンシン・タムマヴォン(Thongsing Thammavong, 1944年4月12日 - )はラオスの政治家。ラオス人民革命党政治局員。第2代国民議会議長を務めた後、第6代首相を務めた。
経歴
[編集]トーンシン・タムマヴォンは1944年、フランス統治下にあったラオス北部のフアパン県に生まれた。ラオス内戦中の1959年8月18日から革命運動に参加。その間教職にもあり、1963年から1976年にかけて、フアパン県の中学校の校長や中等教育養成学校の校長を経た後、教育省職業訓練局次長を務めるなど、トーンシンは教育行政に携わった。ラオス人民民主共和国が建国された1976年から1982年まで教育省組織局長を務めた。
1982年4月、ラオス人民革命党第3回党大会において中央委員候補に選出され、党内序列第52位となる[1]。のち、党中央委員に昇格[2]。1982年から翌年にかけて党中央広報訓練委員会副委員長を務める。
1983年、カイソーン・ポムウィハーン内閣の文化大臣に任命され、1988年まで務めた。その間の1986年11月に開催された第4回党大会において中央委員に選出され、序列第37位となる。1989年5月29日、最高人民議会副議長に選出され、憲法起草委員会委員を兼ねた。
1991年3月、第5回党大会で政治局員に選出され、序列第11位に昇格。その後、最高人民議会議長代行を務めたトーンシンは、1992年には党組織委員会委員長に就任し、2001年まで務めた。1996年3月、第6回党大会で政治局員に再選され、序列第5位。さらに2001年3月の第7回党大会でも政治局員に再選され、序列第4位となる。2002年から2006年にかけてヴィエンチャン特別市市長兼党委員会書記を務めた。
2006年3月、第8回党大会で政治局員に再選され、序列第3位となる。同年4月30日、国民議会議員選挙にルアンパバーン選挙区から立候補し、当選。6月8日、第6期国民議会において議長に選出された。
2010年12月23日、ブアソーン・ブッパーヴァン首相の突然の辞任により、同日、第6代首相に任命された。
2016年1月の第10回党大会において党政治局から退き、党中央委員会顧問に選出された[3]。同年4月、首相を退任。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『アジア動向年報』(アジア経済研究所、1982年/1985年/1989年/2002年/2006年)
- 山田紀彦「ラオス人民革命党第7回大会 ― 残された課題 ― 」(石田暁恵編『2001年党大会後のヴィエトナム・ラオス ― 新たな課題への挑戦』アジア経済研究所、2002年3月)
- カム・ヴォーラペット『現代ラオスの政治と経済』(藤村和広・石川真唯子訳、めこん、2010年)
外部リンク
[編集]- H. E. Mr. Thonsing Thammavong(ラオス国民議会サイト)
- トンシン・タンマヴォン首相略歴(日本国外務省)