タケダヒカル
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この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記法や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。 |
タケダヒカル | |||||||||
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現役期間 | 1966年 - 1968年(中央競馬時代) | ||||||||
欧字表記 | Takeda Hikaru[1] | ||||||||
品種 | アングロアラブ(アラブ血量25.00%)[1] | ||||||||
性別 | 牡[1] | ||||||||
毛色 | 栗毛[1] | ||||||||
生誕 | 1964年4月12日[1] | ||||||||
死没 | 不明 | ||||||||
父 | ウインカツプ[1] | ||||||||
母 | 久竹[1] | ||||||||
母の父 | マルタケ[1] | ||||||||
馬主 |
武田光亮 →山口[1] | ||||||||
調教師 | 柴田不二男 | ||||||||
競走成績 | |||||||||
生涯成績 |
34戦9勝(中央競馬のみ) (対サラブレッド戦2戦0勝) | ||||||||
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タケダヒカル(欧字名:Takeda Hikaru、1964年4月12日 - 不明)は、日本の競走馬、種牡馬。主な勝ち鞍は1967年の読売カップ(春)、アラブ大賞典(秋)。
経歴
[編集]競走馬時代
[編集]1966年9月3日、中京競馬場の3歳未勝利でデビューし、2着。2戦目で勝ち上がり、4戦目にはアラブ三歳ステークスを制しオープン入り。その後もオープン戦線で活動し、結局3歳時は8戦2勝2着4回の成績を収めた。4歳初戦は黒星スタートとなったが、掲示板を外さない走りは健在で1967年3月に行われたアラブ大賞典(春)では人気薄(8番人気)の3着に入る活躍を見せた。その後もタマツバキ記念(春)3着と好走し迎えた読売カップ(春)で重賞初制覇。続くアラブ大賞典(秋)にて重賞2勝目をあげた。その後も堅実な走りを続け、4歳時の成績は14戦5勝2着2回を記録した。古馬になってからはサラブレッド戦にも挑戦した。結果は2戦し10着、11着と惨敗するもシンガリ負けではなかった。以降もタマツバキ記念(春)で沈み、アラブ大賞典(秋)でもクモムラサキに春秋連覇を阻止されるも上位人気を得続け、1968年11月23日のアラブステークスでの1着を最後に中央抹消、地方に移籍するも地方での活躍は不明。
種牡馬時代
[編集]現役引退後は種牡馬入り。1971年から4シーズン供用され、その間の血統登録頭数は62頭、うち出走頭数は58頭を記録。しかし活躍馬は出すには至らなかった。1974年を最後に供用されることは無くなり、その後の消息は不明。
競走成績
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血統表
[編集]タケダヒカルの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ザテトラーク系 |
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父 ウインカツプ Win Cup 鹿毛 1956 |
父の父 サラ ウイザート栗毛 1947 |
セフト | Tetratema | |
Voleuse | ||||
白漣 | レヴユーオーダー | |||
第三シルバーバツトン | ||||
父の母 ニグリスカツプ黒鹿毛 1935 |
アラブ ニグリス | (不明) | ||
(不明) | ||||
サラ 第七フロリースカツプ | (不明) | |||
(不明) | ||||
母 久竹 栗毛 1950 |
サラ マルタケ 栗毛 1936 |
ハクリユウ | ラシデヤー | |
フロリスト | ||||
第弐サブスチチユート | Dress Parade | |||
サブスチチユート | ||||
母の母 久緑芦毛 1934 |
山正 | チヤペルブラムプトン | ||
種正 | ||||
初雪 | Koheilan IV | |||
(不明) | ||||
母系(F-No.) | 初雪(HUN)系(FN:なし) | |||
5代内の近親交配 | なし | [§ 2] | ||
出典 |