タニア・マリア
タニア・マリア Tania Maria | |
---|---|
タニア・マリア(2013年) | |
基本情報 | |
出生名 | Tania Maria Correa Reis[1] |
生誕 | 1948年5月9日(76歳) |
出身地 | ブラジル マラニョン州サン・ルイス |
ジャンル | ジャズ、ポップス、MPB |
職業 | ミュージシャン、作曲家、バンドリーダー |
担当楽器 | ボーカル、ピアノ |
活動期間 | 1969年 - |
レーベル | コンコード、キャピトル、ブルーノート、EMIアメリカ、ユニバーサル |
公式サイト |
taniamaria |
タニア・マリア(Tania Maria、1948年5月9日 - )は、ブラジルのアーティスト、歌手、作曲家、バンドリーダー、ピアノ奏者で、主にポルトガル語または英語で歌っている。彼女のブラジリアン・スタイルの音楽は、ほとんどがボーカルで、時にはポップで、しばしばジャズ的であり、サンバ、ボサ、アフロラテン、ポップ、フュージョンが含まれている。
略歴
[編集]ブラジル北部のマラニョン州サン・ルイスで生まれたタニア・マリアは、7歳でピアノを始め、13歳で父親が組織したプロ・ミュージシャンのバンドでリーダーを務め、地元の音楽コンテストで最優秀賞を受賞した。また、クラブやラジオでダンスのための演奏を行った。金属細工師であり、かつ才能のあるギタリストにして歌手であった彼女の父親は、週末のジャム・セッションで演奏できるようにピアノを勉強することを勧めた。そこで彼女は最初にサンバ、ジャズ、ポップ・ミュージック、ブラジリアン・チョリーニョのリズムとメロディを吸収した。それ以来、彼女は他の誰かのグループのために働いたことがない。彼女は法律の学位を持っており、早くに結婚し、子供をもうけた。
マリアのファースト・アルバム『Apresentamos』(「We Present」の意)は1969年にブラジルでリリースされ、1971年にアルバム『リオの街で』(原題『Olha Quem Chega』(「Look Who's Here」の意)がリリースされたが、1970年代後半にフランスへと移り、彼女を国際的なシーンで爆発させた。オーストラリアでのコンサートにおける彼女の驚異的な音楽の正確さと自由奔放な精神は、アメリカのギタリスト、チャーリー・バードの注目を呼び込み、彼がコンコード・レコードの創設者である故カール・ジェファーソンに彼女を推薦することへとつながった[2]。
タニアの1983年のアルバム『カム・ウィズ・ミー』は、タイトル曲が1980年代のダンスフロアにおけるクラシックとなり、その後も頻繁に取り上げられ、国際的な躍進を開始することとなった。ポップな1985年のアルバム『メイド・イン・N.Y.』は、世界中で彼女の人気を高めた。
マリアは、世界中のほぼすべての重要なジャズ・フェスティバルで演奏し、数え切れないほどのテレビ番組やラジオ番組に出演している。彼女は25枚以上のアルバムを録音し[3]、1985年に「ベスト・ジャズ・ボーカル・パフォーマンス、女性」のカテゴリーでグラミー賞にノミネートされた[4]。彼女はブルーノートや、1981年と1983年と1989年のモントレー・ジャズ・フェスティバル、サラトガ・ジャズ・フェスティバル、JVCジャズ・フェスト1991、モントルー・ジャズ・フェスティバル、ニューオーリンズ・ジャズ&ヘリテッジ・フェスティバル、プエルトリコ・ハイネケン・ジャズ・フェスト2001、マルタ諸島でのマルタ・ジャズ・フェスティバル2003、ノボサドスキー・ジャズ・フェスティバル2004、ベルギーのジャズ・ミデルハイム2007といったさまざまなフェスティバルで演奏した。彼女は1978年にデン・ハーグで毎年開催されるノース・シー・ジャズ・フェスティバルに出演し、少なくとも10回はそこに戻り演奏した。スティーヴ・ガッド、アンソニー・ジャクソン、サミー・フィゲロア、エディ・ゴメスなどの偉人たちと演奏したこともある。
ディスコグラフィ
[編集]リーダー・アルバム
[編集]- Apresentamos (1969年、Continental)
- 『リオの街で』 - Olha Quem Chega (1971年、Odeon)※旧邦題『オーリャ・ケン・シェーガ』
- 『ヴィア・ブラジル』 - Via Brasil (1977年、Sunny Side)
- Via Brasil, Vol. 2 (1977年、Sunny Side)
- 『ブラジル・ウィズ・マイ・ソウル』 - Brazil with My Soul (1978年、Barclay / Reissue 2005年、Universal)
- 『モンマルトルのタニア・マリア』 - Live (1979年、Accord)
- 『ファンシー・デュオローグ』 - Tania Maria & Niels-Henning Ørsted Pedersen (1979年、Accord) Tania Maria in Copenhagen(Reissue 2005年、Stunt) ※with ニールス=ヘニング・エルステッド・ペデルセン
- 『ピカント』 - Piquant (1980年、Concord)
- 『トーラス』 - Taurus (1981年、Concord)
- 『カム・ウィズ・ミー』 - Come with Me (1983年、Concord)
- 『ラヴ・エクスプロージョン』 - Love Explosion (1984年、Concord)
- 『ワイルド!』 - The Real Tania Maria: Wild! (1984年、Concord)
- 『メイド・イン・N.Y.』 - Made in New York (1985年、EMI)
- The Lady from Brazil (1986年、EMI)
- 『夏のカラーズ』 - Forbidden Colors (1988年、Capitol)
- 『ベラ・ヴィスタ』 - Bela Vista (1990年、Blue Note)
- 『アウトレイジャス』 - Outrageous (1993年、Concord)
- The Best of Tania Maria (1993年、Blue Note)※コンピレーション
- 『ノー・コメント』 - No Comment (1995年、TKM)
- Bluesilian (1995年、TKM)
- Europe (1997年、TKM)
- 『ビバ・ブラジル』 - Viva Brazil (2000年、Concord)
- Happiness (2002年、Recall)
- 『ライヴ・アット・ザ・ブルーノート』 - Tania Maria Live at the Blue Note (2002年、Concord)
- Outrageously Wild (2003年、Concord)
- Intimidade (2005年、Blue Note)
- Tempo (with Eddie Gómez) (2011年、Naïve)
- Canto (2012年、Naïve)
映像作品
[編集]- Tanya Maria: The Beat of Brazil (2008年)※with ローリンド・アルメイダ
出典
[編集]- ^ Fairweather, Digby. The Rough Guide to Jazz, Rough Guides, p. 6 (2004) - ISBN 1-84353-256-5
- ^ About Tania Maria.
- ^ Tania Maria, Nova Concerts International, April 12, 2012.
- ^ Awards Database: Tania Maria
外部リンク
[編集]- Site Officiel de Tania MARIA - ウェイバックマシン(2005年4月5日アーカイブ分) - taniamaria.net
- Tania Maria Official Website 2017 - ウェイバックマシン(2017年9月7日アーカイブ分) - taniamaria.org
- タニア・マリア - ウェイバックマシン(2011年5月17日アーカイブ分) - All About Jazz
- タニア・マリア - Discogs
- タニア・マリア - YouTube [リンク切れ] – at the North Sea Jazz Festival