タニヤ・シェフチェンコ
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(ターニャ・シェフチェンコから転送)
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タニヤ・シェフチェンコ | ||||||||||||||||||||||||||||||
生誕 |
1977年7月26日(47歳) デュッセルドルフ | |||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 162 cm | |||||||||||||||||||||||||||||
選手情報 | ||||||||||||||||||||||||||||||
引退 | 2002年 | |||||||||||||||||||||||||||||
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タニヤ・シェフチェンコ(ドイツ語:Tanja Szewczenkoターニャ・シェフチェンコ;ウクライナ語:Таня Шевченкоターニャ・シェウチェーンコ;ロシア語:Таня Шевченкоターニャ・シフチェーンカ、1977年7月26日 - )は、ドイツ出身の女性フィギュアスケート選手。1994年リレハンメルオリンピック女子シングルドイツ代表。1994年世界フィギュアスケート選手権3位。ウクライナ系ドイツ人。
経歴
[編集]- 1977年7月26日、デュッセルドルフでウクライナ人の両親のもとに生まれる。
- 1993年世界ジュニアフィギュアスケート選手権で3位となり、翌1994年のリレハンメルオリンピックには現役復帰したカタリナ・ヴィットとともにドイツ代表として出場し6位。
- 1994年千葉で開催された世界フィギュアスケート選手権では、練習中に顎に負傷しながら本番のフリーではほぼ完璧な演技をし、佐藤有香、スルヤ・ボナリーに続き3位。
- 1996-1997年シーズンは伝染性単核球症のために欠場を余儀なくされる。
- 1997-1998年シーズン、GPファイナルで2位となるなど好成績を収めたが、1998年長野オリンピックはインフルエンザによる体調不良で棄権した。
- 1999年にはプレイボーイ誌に登場するなど話題を振りまくが2000年に競技から完全に引退。現在はタレントとして活動を続けている。
- 2009年、ホリデイ・オン・アイス・ツアーに参加し、スケート界に復活した[1]。
主な戦績
[編集]大会/年 | 1992-93 | 1993-94 | 1994-95 | 1995-96 | 1996-97 | 1997-98 | 1998-99 | 1999-00 |
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オリンピック | 6 | |||||||
世界選手権 | 7 | 3 | 棄権 | 6 | 9 | |||
欧州選手権 | 4 | 5 | 4 | 5 | 3 | 棄権 | ||
ドイツ選手権 | 3 | 1 | 1 | 2 | 1 | 2 | 3 | |
GPファイナル | 2 | |||||||
GPボフロスト杯 | 4 | 1 | ||||||
GPNHK杯 | 1 | |||||||
世界Jr.選手権 | 3 |
シニア
[編集]1997-1998 シーズン
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
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1998年03月28日-04月05日 | 1998年世界フィギュアスケート選手権(ミネアポリス) | 6 | 10 | 9 | 9 |
1998年01月10日-18日 | 1998年ヨーロッパフィギュアスケート選手権(ミラノ) | - | 1 | 3 | 3 |
1997年12月19日-21日 | ISUチャンピオンシリーズファイナル(ミュンヘン) | - | 3 | 2 | 2 |
1997年11月27日-30日 | ISUチャンピオンシリーズ NHK杯(長野) | - | 3 | 1 | 1 |
1997年10月30日-11月02日 | ISUチャンピオンシリーズ スパルカッセン杯(ゲルゼンキルヒェン) | - | 1 | 1 | 1 |
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- シェフチェンコ
- タニヤ・シェフチェンコ - Olympedia