ダンケルク級戦艦
ダンケルク級戦艦 | |
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艦級概観 | |
艦種 | 戦艦 |
艦名 | 都市名 |
前級 | ノルマンディー級戦艦 or リヨン級戦艦 |
次級 | リシュリュー級戦艦[注釈 1] |
性能諸元 (括弧内はストラスブール) | |
排水量 | 基準:26,500トン(27,300トン) 常備:30,264トン(31,687トン) 満載:34,884トン(36,380トン) |
全長 | 215.14 m(215.5m) |
水線長 | 209 m |
全幅 | 31.1 m |
吃水 | 基準:9.63 m(9.82m) 満載:10.15 m |
機関 | インドル式重油専焼缶6基 +ラテュ式ギヤード・タービン 4基4軸推進 |
最大 出力 |
通常時:130,000 hp 公試時:133,730 hp |
最大 速力 |
通常時:30.0ノット 公試時:31.5ノット |
航続 距離 |
10ノット/10,500海里 15ノット/7,500海里 31ノット/3,600海里 |
燃料 | 重油:3,600トン(常備) 6,500トン(満載) |
乗員 | 1,381~1,431名 |
兵装 | Model 1931 33 cm(52口径)四連装砲2基 Model 1932 13 cm(45口径)連装速射砲2基 +同四連装速射砲3基 Model 1933 37mm(60口径)連装機関砲10基、 Model 1929 13.2 mm(76口径)四連装機銃16基 |
装甲 | 舷側: 125~225 mm(283 mm) 甲板: 115~140 mm(主甲板)、40 mm(断片防御甲板) 主砲塔: 330 mm(360 mm)(前盾)、250 mm(側盾)、345 mm(355 mm)(後盾)、150 mm(160 mm)(天蓋) 四連装副砲塔: 135 mm(前盾)、80 mm(側盾) 連装副砲塔: 20 mm(前盾)、20 mm(側盾)、20 mm(後盾)、20 mm(天蓋) 主砲バーベット部: 310 mm |
航空 兵装 |
ロアール・ニューポール 130水上機3機 カタパルト1基 折り畳み式クレーン1基 |
ダンケルク級戦艦(ダンケルクきゅうせんかん、Dunkerque class battleship)は[1]、フランス海軍の戦列艦(Navire de ligne、bâtiment de ligne)の艦級[2][注釈 1]。ドイツ海軍のポケット戦艦に端を発した建艦競争の最中[4][5]、ワシントン海軍軍縮条約における代艦建造規定に基づき建造された、いわゆる条約型戦艦 (Treaty battleship) である[注釈 2]。
コンセプト
[編集]本級はワシントン軍縮条約の制限内において、攻撃力・防御力・機動力を高い次元でバランスを取った超弩級戦艦である[注釈 3]。 デュモン海軍大臣のもとで立案された1931~32年度の海軍拡張計画が承認され、その中に含まれていた[8]。艦型は13インチ砲8門(四連装砲塔2基)2万6000トン級となり[9]、1932年後半に建造が命じられた[注釈 4]。 内外にはドイツ共和国海軍 (Reichsmarine) の装甲艦[11][注釈 5]「ドイッチュラント級」[13](通称“ポケット戦艦”)に対抗するためと喧伝され[14][注釈 6]、ポケット戦艦を圧倒する性能を持っていた[16][注釈 7]。実際には次期主力戦艦への実験艦的意味合いも含まれていたため、旧来の技術に囚われない以下の自由な設計が投入されている。
- 主砲・副砲への四連装砲塔の採用による軽量化。
- 機関のシフト配置による生存性向上、対空電探の採用。
- 対空・対艦両用砲の採用。
- 水線下装甲区画への浮力材の充填による対水雷防御等。
これらの工夫により、「装甲区画の短縮による軽量化」により浮いた重量を防御装甲の充実と搭載燃料の増加に成功している。装甲範囲は全長の60%に及び、船体重量の40%を装甲重量に充てられた。表向きは「ポケット戦艦追撃・捜索のため」の長大な航続能力と充分な防御力が必要とされたが、実際は通商破壊任務の性格も含まれた。
また、前級のプロヴァンス級戦艦までの一般的に戦艦と呼ばれる艦種は、フランス海軍の分類によるとcuirassé d'escadreであるのに対し、本級はcuirassé rapideに分類されている。これは本級が新しいドクトリンの産物であることを示している。cuirassé rapide(英訳するとrapid cruiser)は高速戦艦と和訳される言葉と解釈して差し支え無い。他国海軍では、いわゆる高速戦艦は俗称であり、正式な艦種名として採用した例は無いが、本級は唯一の例外と言える。
また、本級はしばしば海軍強国(イギリス海軍、日本海軍)から「巡洋戦艦」と評された[注釈 8]。マスメディアでも、大型巡洋艦[19][注釈 3]、装甲巡洋艦[注釈 4]、巡洋戦艦[20][注釈 9]と報道した事例が少なからずある。
実際は、それまでフランスが建造した戦艦としては最大である。ただし米英日各国が建造した新世代戦艦との比較では、ひとまわり小型である[注釈 10][注釈 11]。 さらに再軍備宣言後のドイツ海軍 (Kriegsmarine) が本級に対抗してシャルンホルスト級戦艦を建造する[25][注釈 12]。ダンケルク級戦艦に衝撃をうけたイタリア王立海軍 (Regia Marina ) も[27]、旧式戦艦の高速戦艦化をおこなうと共にリットリオ級戦艦を建造する[28]。仮想敵国の新型戦艦の前にダンケルク級(26,500トン級)は優位を失い[29]、フランス海軍も35,000トン級新型戦艦(リシュリュー級戦艦)の建造を承認した[30]。
艦形について
[編集]本級は艦橋前部に主砲塔を集中配置したという点で、イギリスの「ネルソン級」を模倣したとされる[31][注釈 13]。 ただしフランスとしては、自国の未成艦のノルマンディー級戦艦やリヨン級戦艦を元にした独自の工夫である[31][33]。実際、ネルソン級の前部集中配置は、艦橋への影響が甚大で三番砲塔を後方に発砲できないという問題を引き起こしたが、本級ではそのような問題は起きていない。
船体形状は中央楼型船体でクリッパー型艦首の乾舷は高く、外洋での凌波性能は良好であった。軽くシア(甲板の傾斜)の付いた艦首甲板から本級より新設計の「1931年型 33 cm(52口径)砲」を「四連装砲塔」に納め、1・2番四連装主砲塔を砲塔同士の間隔をあけて背負い式に2基配置した。2番主砲塔の基部から1段高くなって上部構造物が始まり、その上に司令塔を組み込んだ操舵艦橋の背後には二段の戦闘艦橋が上に伸び、戦闘艦橋の中段の四隅は探照灯台となっており4基が配置され、側面部には対空射撃管制装置が片舷2基ずつ計4基配置された。戦闘艦橋の上の頂部には、10.5 m主砲用測距儀が1基、その上に6 m副砲用測距儀が2基載る。これらは独立して別方向に旋回できる。
以下、射撃管制に関係する機器などについて述べる。
射撃指揮装置の配置はダンケルクが司令塔上に、ストラスブールは主砲測距儀の前方に配置された。
測距儀を囲むように台形の見張り台があり、四隅には四対の信号ヤードが伸びている。戦闘艦橋の前側と側面部の壁面には黒い円形の「レンジ・クロック」と呼ばれる装置が装着されている。これは測距儀で敵艦を捕捉した時に射撃方位盤から割り出される敵艦の「進行方位」と「射距離」を艦内の砲塔要員に知らせる艦内レンジ・クロックに同期し、艦隊を組んで砲撃戦を行う際に僚艦に「進行方位」と「射距離」を長針と短針の向きで知らせる艦外レンジクロックである。
艦橋周辺の上部甲板は主砲からの爆風を比較的受けにくいために艦載艇置き場となっており、塔型艦橋の基部に片舷1基ずつ付いたデリックにより運用された。水面上の艦載艇は艦橋の側面まで吊り上げられ、左右の甲板上に斜めに延びたレールに載せられて舷側甲板上に並べられるか、艦橋と煙突の間の艦載艇置き場に並べられた。
本級の煙突はファンネルキャップのついた直立型で、その背後から後檣までが甲板一段分高められている。後檣は一見、艦橋同様に三段の測距儀を載せているように見えるが、下段の2基は主砲・副砲共用の6 m測距儀だが最上部は円形の装甲司令塔で旋回はしない。司令塔の上にシンプルな十字型のマストが後檣として立つ。
副砲は「1932年型 13 cm(45口径)両用砲」を採用した。舷側甲板上のものは連装砲塔形式で、後部甲板上のものは後檣背後と真横には四連装砲塔形式で後向きに1基ずつとなっていた。舷側部と後部甲板部で砲塔の形式が違うのは、舷側砲も四連装砲塔にすると大型になり、狭いボート甲板をスペース的に圧迫するほか、主砲の斉射時に強力な四連装砲の衝撃波を受けて破損する恐れがあったために小型化したのである。
後部副砲塔から艦尾部にかけては水上機を運用するスペースとなっており、大型の格納庫と回転式カタパルトが一直線に並び、揚収用クレーンは左舷側の甲板上に1基が設置され、砲戦時に副砲の射界を狭めないように折り畳み式となっていた。(これらの施設は副砲射撃時の射界を制限する為に本級の発展型のリシュリュー級では改善された)
主砲について
[編集]主砲は前級「プロヴァンス級」に採用された「1912年型 34 cm(45口径)砲」ではなく、「1931年型 33 cm(52口径)砲」を採用した。これは既存の34cm砲では有効射程が足らず、また薬室も狭いために当時フランス海軍で研究されていた強装薬での「近距離での貫通力増大と砲戦距離の延伸化」に有効でないためであった。また、33cmという口径は「ドイッチュラント級」の28 cm(52口径)砲に対し、砲弾口径にして「2インチ(約50 mm)上の火力の優位性で充分」との判断からであった。その代わり砲身長はこれまでの45口径から7口径伸ばされた52口径という長砲身により、射程の延伸に一役買っている。
これを「ノルマンディー級」(未成)で採用された「四連装砲塔」に納めた。船体中央部に前向きに4連装砲を1基ずつ砲塔間の間隔をあけて2基8門を配置した。間隔をあけた目的は、被弾時に両砲塔が同時に被害を受けにくくする工夫であった。この主砲塔の間隔は無駄にせず予備機械室のスペースに充てられた。
砲塔の主動力は電動で、本級の主砲塔は幅の狭い連装砲の砲架を耐火隔壁を挟むように左右に1基ずつ計2基を配置する構造を持っていた。各砲は独立した砲架に載せられており、異なる仰角を取ることが出来た。砲身の揚弾・揚装薬機構は水平方式を採用しており、砲弾は弾薬庫から、装薬は装薬庫から、共に水平状態に寝かされて揚弾機でバーベット内を上昇し、砲塔下部の換装室に送られる機構である。これは揚弾中に衝撃を受けた時の自爆が構造的に起こり難い利点があった。弾火薬庫と換装室の間の楊弾機は、四門の主砲に円滑に弾薬を供給するためか連続式のコンベアとなっており、防炎扉は設置されているものの万が一換装室内の弾薬に引火した場合は、コンベアに並んだ弾薬に次々に引火し、弾火薬庫まで一気に被害が及ぶ危険性があった。旋回角度は船体首尾線方向を0度として1番砲塔が左右143度、2番砲塔が左右150度の旋回角度を持つ、主砲身の俯仰・砲塔の旋回・砲弾の揚弾・装填は主に電力で行われ、補助に人力を必要とした。発射速度は仰角により毎分1.5~2発である。
その性能は、13インチ砲弾としては重量級に属する重量560kgの徹甲弾を最大仰角35度で40,600 mもの大射程まで届かせる能力を得ており、威力では射程27,500mで舷側装甲292mmを、射程23,000mで舷側装甲340mmを容易く貫通する性能を持っていた。
両用砲、その他の備砲について
[編集]副砲には後に駆逐艦「ル・アルディ級」にも採用された「1932年型13 cm(45口径)砲」を採用した。その性能は重量32.1kgの砲弾を仰角45度で射程20,800mまで、最大仰角75度で最大射高12,000mまで届かせることが出来た。対水上・対空両方共に使える両用砲である。これは砲身を仰角75度から俯角5度まで自在に上下でき、どの角度でも装填が出来た。発射速度は毎分10~12発である。これを完全な砲塔形式に納め、前述の通り甲板スペースの問題により16門中4門を連装砲塔2基に納め、船体中央部第二甲板に両舷1基ずつ、残り12門を4連装砲塔3基に納め、船体後部に後ろ向きに3基を配置した。
この配置により艦首方向へは4門、左右方向には10門、艦尾方向には最大12門が指向できた。装填角度は俯角0度から仰角30度の自由角度装填方式である。旋回角度は左右150度の旋回角度を持っていた。砲身の俯仰・砲塔の旋回・砲弾の揚弾・装填は主に電力で行われ、補助に人力を必要とした。本砲は対艦用途では戦艦の副砲としては火力が十分でなく、対空用途に関しては高速で接近してくる航空機(急降下爆撃機など)に対しては発射速度が不足していると見なされた[34]。このため次のリシュリュー級では平射砲と高角砲の組み合わせに戻されている。
他に、両用砲の射界をカバーする為にオチキス社製の「1933年型 37 mm(50口径)機関砲」を採用した。その性能は重量0.725kgの砲弾を最大仰角45度で7,175mまで、最大仰角80度で最大射高5,000mまで届かせることが出来るこの砲を連装砲架で10基を装備した。砲架の俯仰能力は仰角80度・俯角10度である、旋回角度は360度旋回できたが、実際は上部構造物により射界に制限があった。砲身の俯仰・砲塔の旋回・砲弾の揚弾・装填は主に電力で補助に人力を必要とした。発射速度は毎分32~42発である。さらに近接防空火器として同じくオチキス社製「1929年型 13.2 mm(50口径)機銃」を4連装砲架で8基32丁装備した。
艦体
[編集]艦首はクリッパー・バウを採用しており、2番主砲塔から水上機格納庫中部までが1段高い中央船首楼型を採用しているが、これは波の荒い北大西洋での作戦航海を考慮した為である。本級の防御様式は船体中央部の要所に優先的に装甲を配置する集中防御形式を採用していた。
「ダンケルク」は1番主砲塔から後部副砲塔までの舷側水線部の広範囲に、末端部に125mm~最大で240mmもの装甲を内側に12~21度傾斜して貼るインナー・アーマー様式を採用していた。また、水平防御は主甲板部には115mmから140mm装甲が張られ、舷側装甲に最上端に接続された事により船内の広範囲を防御できる効率の良い防御様式であった。最上甲板とは別に、旧来の艦にあった断片防御甲板は舷側装甲に接する傾斜部分に40mm装甲を、水平部分には40mmから最大で50mmの装甲が貼られた。対水雷防御として舷側壁面の内側にはバルジを設けるインナー・バルジ様式を採用して船体抵抗を減じていた。水雷防御隔壁は4枚で隔壁は6層構造となり、外側の隔壁は艦底部の二重底と接続されていたが、機関区のみ新たに18mm~30mmの装甲が二重底に食わせられて三重底となって手堅い水雷防御が与えられていた。主砲塔は排水量から比較して強固で前盾は360mm、側面部には250mm、後部に345mm、天井部には150mmが貼られた。主砲塔のバーベットは最大で310mm装甲が貼られた。司令塔は267mm装甲が貼られた。
2番艦の「ストラスブール」は排水量が増加したために全体的に重防御となり、舷側水線部には中央部に283mm、末端部に125mm装甲が内側に傾斜して貼られた。主甲板部には115mmから140mm装甲が張られ、その下に断片防御として40mm装甲が貼られた。主砲塔は前盾は330mm、側面部には250mm、後部に355mm、天井部には160mmが貼られた。
機関配置
[編集]本級の機関はインドル式重油専焼水管缶6基とラテュ式ギヤード・タービン4基4軸を組み合わせて最大出力133,730馬力を発揮し、公試時に最大速力31.5ノットを発揮したが内外には最大出力は130,000馬力で最大速力30ノットと発表された。燃料消費量から計算された航続性能は常備3,600トンで15ノットで7,500海里を、満載6,500トンで17ノットで17,500海里を航行できた。
機関配置はシフト配置を採用した。構成は艦橋真下が第一缶室にあたり、インドル式重油専焼缶2基を配置した。艦橋と煙突の間が第一機関室で外側2軸を推進するパーソンズ式タービン2基がある。煙突直下が第二缶室で2基、隔壁を隔て第三缶室があり、後檣の直下に第二機関室があり内側軸用主機がある。間隔のあいたボイラー室から煙突へは甲板下で集合した煙路により強制的に排気させられた。
前述の主砲塔の間のスペースは補機室で、ディーゼル発電機3基があり、主機関室のタービン発電機を補う。総発電量5,000 kWは当時として大電量であった。
その他
[編集]1941年、「ストラスブール」に、艦橋上部の信号マスト上に柵状の対空レーダーを搭載した。1942年6月から7月にかけての実験中に高度1,500 mで80 km、対水上で10 kmの探知距離を得た。アンテナは固定式で右舷前方と左舷後方のものが送信用で各180度のセクターをカバーし、左舷前方と右舷後方のものがその受信用である。 サディ・レーダーとして知られ、後に改良型が「リシュリュー」と「ジャン・バール」にも装備された。
艦歴
[編集]大戦前
[編集]艦名 | 造船所 | 起工日 | 進水日 | 竣工日 | 退役(喪失) |
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ダンケルク | ブレスト海軍工廠 | 1932年12月24日 | 1935年10月2日 | 1937年5月1日 | 1942年11月27日 |
ストラスブール | ペンオエとACL | 1934年11月25日 | 1936年12月12日 | 1939年4月24日 | 1942年11月27日 |
1929年2月5日、ヴァイマル共和政下のドイツは1万トンの軍艦「ドイッチュラント」を起工した[35]。この新型装甲艦は「ポケット戦艦」や[36]、「魔の戦艦」という渾名で呼ばれ[37]、1931年3月には海軍予算に2番艦の計画も盛り込まれた[注釈 14]。
ロンドン海軍軍縮会議で[39]、重巡洋艦(A級巡洋艦、備砲6.1インチ以上8インチ以下、基準排水量1万トン)という艦種を定義したばかりの列強各国に、ポケット戦艦は衝撃を与えた[40][注釈 15]。
フランスもドイツ海軍の新型装甲巡洋艦(ポケット戦艦、プロイセン代艦)に衝撃を受け、建艦政策を変更した[42][43]。 1931年にフランス議会に提出された海軍建造案によれば、2万3千トン級の巡洋戦艦として報道された[注釈 16]。 1931年7月、フランス上院議会は「ポケット戦艦を凌駕する主力艦」建造のため1931~32年の建艦費支出案を可決した[8]。デュモン海軍大臣は、物資賠償の一環としてドイツにポケット戦艦2隻の引渡しを求める旨の意見を述べたほどである[45]。 1932年10月下旬、レーク海軍大臣は「ダンケルク」の建造開始を命じた[注釈 4]。
1937年5月20日、ダンケルクがジョージ6世戴冠記念観艦式に参加した[46]。スペイン内戦では、同艦が地中海に派遣されている[注釈 17]。
第二次世界大戦
[編集]第二次大戦初頭では襲撃部隊に所属し、ドイツ装甲艦の追撃作戦や英仏共同の輸送船団護衛作戦に参加した[注釈 18]。これらの工夫は無駄ではなかった事を証明している。しかし、1940年6月にフランスが降伏し休戦条約を結んでしまったためヴィシー・フランス政権の指揮下に入り、最小限の訓練しか出来ない状況におかれた。フランス海軍は万が一、ドイツが停戦条約を無視して陸軍により艦隊を接収する事ができないようにと艦隊の多数を植民地軍港に分散したままにしておいた。
1940年7月3日に北アフリカ仏領アルジェリアのメルス・エル・ケビール(オラン港)にて停泊中に、イギリス艦隊(H部隊)の攻撃を受ける[48](メルセルケビール海戦)。巡洋戦艦フッド等の砲撃により「ダンケルク」は中破し、座礁した[注釈 19]。同型艦の「ストラスブール」は軽い損傷を受け小破しつつも脱出に成功し、イギリス地中海艦隊の追撃を振り切ってトゥーロンに帰還し修理を受け戦線復帰した。この連合国の浅慮な行為はドイツの手の届く所にフランス艦隊を置かせた事により、ドイツが接収の意思があれば実行できる結果に終わり、「ヴィシー政権はドイツ海軍にフランス軍艦を譲渡する」という憶測もあった[注釈 20]。
その後、大きな作戦に参加することもなく「ストラスブール」はヴィシー・フランス海軍の公海艦隊 (Forces de haute mer) 旗艦として僚艦と共に沿岸区域で訓練と演習を行っていた。「ダンケルク」も浮揚されたあとトゥーロンへ移動し、同地で修理を受けた[29]。 1942年11月、ドイツ軍がアントン作戦を発動してフランス全土の占領を開始、トゥーロンでも独仏休戦協定を無視し接収を仕掛けて来たため、乾ドックにて修理中であった「ダンケルク」と港湾に停泊していた「ストラスブール」は両艦ともに自沈してしまった[29]。その後、損傷の軽い「ストラスブール」だけはイタリア軍によって浮揚され、フランスに返還されたが、復旧を恐れる連合国はアメリカ空軍の爆撃機B-25による爆撃隊を指し向けた。この攻撃により再度沈没し、戦後に浮揚後解体された。
出典
[編集]注釈
[編集]- ^ a b "佛國[3](中略)戰艦 建造中の三五,〇〇〇噸級戰艦二隻。即ちリシュリューは一月ブレストの乾船渠より、ジャンバールは十一月サン・ナゼールに於て昨年進水した。前者の船臺には代つてクレマンソーの龍骨が据えられた。佛國海軍年鑑「Les Flottes de Combat」に依れば、上記戰艦は主要性能に於てダンケルクの設計を踏襲したものであるが、但し煙突は極めて風變りなもの一箇で、煙路は全く新しい形式で後方に曲り、之に接著せる大檣は幾分獨逸風に倣つてゐる。
軍艦ストラスブールに關して昨年述べた要目は幾分正確を缺いた點がある。同艦の兵装は三三糎(一三吋)砲八門と一三糎砲十六門の外四七粍砲四門、三七粍高角砲八門、對空機關砲三十二門である。乗組定員は士官六六、兵一,三六五名である。同艦と其の姉妹艦ダンケルクの艦種は公式にはリシュリュー級と同様Bátimenr de ligne(cuirassés)(註ships of line)に編入されてゐることを注意すべきである。 - ^ 建造の権利は1927年より保有していたが諸事情により本級建造まで行使されなかった。座礁して沈没したクールベ級戦艦フランス (France) の代艦が、ダンケルクである[6]。クールベ級戦艦ジャン・バール (Jean Bart) の代艦が、ストラスブールである[2]。
- ^ a b 歐洲の情勢惡化に 華府條約の最高限度迄 佛國建艦案を決定 /内容/ダンケルク級 沿海防備工作[7]【巴里五日】歐洲の國際政局が漸次惡化し、第二の戰爭勃發の可能性が急激に濃厚となり、佛國政府もこれを坐視することを得ず、四日、佛國政府は華府條約に依てフランスに許與されてゐる最高限度まで建艦すべきであるとの意向一致した、従つて此の決定に基いてブーメルグ首相は直ちに佛國會に對して二三日中に其の協賛を受けるものと見られてゐる 同案の内容は未だ明瞭でないがダンケルク型の超弩級艦二隻二萬六千噸建造を目的とするものでダンケルク巡洋艦は世界有數の優秀巡洋艦で三十節の速力を有し、三二糎砲八門を搭載してゐる、この巡洋艦は獨逸が華府會議に依つて許された制限内で建造した「ドイツチエランド」に對抗する意味のもので「ドイツチエランド」は二十七節、二八糎砲、噸數一万百六十噸(炭水重量を含めて)級のものである ダンケルクは目下建造中で二年後に完成する豫定である(以下略)
- ^ a b c 【巴里二十六日聯合】[10] フランス海相レークは二十六日、二萬六千五百噸の装甲巡洋艦ダンケルクの即時建造を命じた 同艦は三百三十ミリ砲9門、速力卅ノツトの優秀艦である(記事おわり)
- ^ 後にナチス・ドイツ政権下の1939年11月15日付で重巡洋艦に類別された[12]。
- ^ (三)佛國ノ巡洋戰艦「ダンケルク」竝ニ独逸ノ一萬噸級「ポケット」戰艦[15] 獨國「ドイツチランド」級一萬噸級「ポケツト」戰艦竝ニ之ニ對抗シテ佛國ニテ建造中ノ二六,五〇〇噸級主力艦「ダンケルク」ニ就テ述ベントス此ノ兩艦ノ要目大約次ノ如シ(ダンケルク、アドミラルシェーア要目略)
- ^ (ラプラタ沖海戦展開略)[17] フランスの主力艦ダンケルク號(二六,〇〇〇トン、十三吋砲八門、速力二十九ノツト半)はもと〱ドイツの豆戰艦を攻撃する目的を以て建設されたもので、備砲速力ともドイチユランド號に優れ何時、何處で出會つても、完全に豆戰艦を撃沈、または拿捕出來る戰闘力を持つてゐる。イギリス海軍がこれに目をつけぬ譯はない。或は近く英佛聯合艦隊が相携へて大西洋に、豆戰艦二隻、巡洋艦一隻を撃つべく出撃するのではないかと思はれる。(以下略)
- ^ 佛國海軍の英國諸港訪問[18] 昨年度中には佛國軍艦の英國來訪が數度行はれた。(中略)五月及び六月に佛國の大西洋艦隊の多數が英國港灣を訪問した。即ち巡戰のダンケルク(ゲンソール中将の旗艦)及ストラスブルグはリヴァプール、オーバン、スカッパフロー、及フォース・オブ・フォースを歴訪した。(中略)六月には佛國の巡戰及び巡洋艦がフォース・オブ・フォースに來箸したとき、サア・チャーレス・フォーブス大将麾下の内國艦隊に依つて歓迎を受けた。(以下略)
- ^ (二十日パリ發)[21] 明年度海軍豫算案審議中の財政委員會は二十日報告書を提出し 獨伊兩國が積極的に建艦に着手しつゝある事實に鑑みフランスは宜しく可及的速かに二萬六千五百噸級巡洋戰艦を建造する必要あり と力説して居る(記事おわり)
- ^ 本級が建造中だった1933年10月、イギリス海軍が12インチ砲搭載の2万5000トン級戦艦を建造予定という報道があった[22]。中華民国海軍も、イギリスに3万トン級戦艦を発注予定という報道もあった[23]。
- ^ ワシントン海軍条約破棄前後、アメリカ海軍はノースカロライナ級戦艦を、イギリス海軍はキング・ジョージ5世級戦艦を、日本海軍は大和型戦艦を、イタリア王立海軍はリットリオ級戦艦を建造した[24]。
- ^ 正確には、ポケット戦艦建造計画を中止して2万トン級主力艦を建造することにしたが後に破棄し[16]、1935年にあらためて2万6000トンの新規主力艦2隻を建造した[26]。これがシャルンホルスト級戦艦である[16]。
- ^ 戰艦 “ダンケルク Dunkerque”[32] 全要目{排水量26,500噸 速力29.5節 備砲33糎砲8門、13糎砲16門 起工1932年12月 竣工1936年12月 建造所 ブレスト海軍工廠 } 華府條約締結後始めて生れた新造戰艦として列強注視のものである。この外に35,000噸の最大級戰艦“ジャンバール Jean Bart” “リシユリ Richelieu”(38糎砲8門)の二艦が建造中であることを忘れてはならないが、戰艦ダンケルクの誕生はたしかに歐洲のみならず世界の海軍史に一つの大きな里標を築くものである。むしろ古典的ともいふべき舊戰艦數隻ありとはいへ、佛國は未だ戰艦を持たなかつたといつてよい。世界最初の四聯装砲にしてしかも主砲であり尚且つ思ひ切つた艦首集中の方式である。ネルソンに似てネルソンに非ずミシシピに似てミシシピではない。副砲は四聯砲、要目は嚴重に秘密となつてゐるが、信ずるに足る報導によれば全長213.6米、幅31.0米、平均吃水8.5米、カタパルトは艦尾に二臺あるといふ。同型艦一隻“ストラスブール Strasbourg”
- ^ (十一日伯林發)獨逸議會の豫算委員會は一九三一年度海軍豫算案を可決した、本豫算案中には二番目の巨戰闘艦(ポケット戰艦とも言ふ)建造の第一期支出豫算を含んで居る。國防相は海軍建艦計畫を豫定通り遂行する決意なる事を語つた[38](記事おわり)
- ^ ドイツはヴエルサイユ條約に依つてその保有し得べき最大艦は排水量一萬噸搭載大砲口徑十一吋に制限されたがドイツはこの制限内に於て最大の威力を發揮すべき装甲艦二隻を昨年來建造中である[41] 右一萬噸装甲艦は 秘密に されてゐるが十一吋主砲六門、六吋副砲八門を搭載し速力二十六節五百馬力のデーゼルエンヂンを使用し航續距離一萬海里に及ぶもので實に製艦技術上の最高點に達してゐる、ワシントン條約に依つて主要海軍國で建造中の八吋砲一萬噸巡洋艦は二隻を以てしてもこのドイツの新装甲艦一隻に 比敵し 得ない程の破壊力を有するものである然も高速力であるから主要海軍國の三萬五千噸の主力艦に遭遇しても平気であるといふ代物であるので世界海軍國の脅威の的となつてゐる(記事おわり)
- ^ 佛の海軍擴張案 前年度よりも一千萬弗増加 英は佛伊の和解に努む[44]【パリ十二日】一九三一年度の海軍建造案は今日海軍委員會により議會に提出されたが右建造案によれば巡洋戰艦一隻二萬三千餘トン、巡洋艦一隻七千トン、潜水艦二隻二千八百トン及び二千五百トン總計四万二千トンを建造するもので經費は一億二千三百萬弗で昨年比よりも約一千一百萬弗の増加である。海軍側はこの案は軍縮條約に随ひ戰闘艦は一隻も建造せず、ただ輕巡洋艦その他を以て國防の充實をはかるものであると聲明してゐる(以下略)
- ^ (ダンケルク空撮図)[47] 地中海の風雲急を告げフランスは大西洋艦隊中の精鋭を春季演習から呼びかへして地中海へ廻航せしめたが、その中に『秘密の軍艦』と呼ばれる一隻巡洋艦ダンカーク號も混つてゐる、同艦はドイツの袖珍戰艦に對抗するためフランスが科學の粹を集めて建造したもので場合に依つては戰闘艦とも對抗し得ると云はれる、佛政府は、同艦の構造を嚴密に附し外國スパイの接近を嚴戒してゐるが、極度の重装甲を施し快速を有すると云はれてゐる、寫眞は『秘密の軍艦』ダンカーク號(記事おわり)
- ^ フェロー諸島沖海戦には、イギリスの巡洋戦艦フッド (HMS Hood) と共に出撃した。
- ^ 7月5日、H部隊は空母アーク・ロイヤル (HMS Ark Royal, 91) のソードフィッシュ艦攻によりレバー作戦を実施、ダンケルクを大破着底させた。
- ^ LONDON, March 13 ―(U.P.)― [49] Rusia, persisting in its charge that the Vichy government is handing over French warshipsto Germany, said Friday the Germans were operating special naval schools at numerous French ports to train German seamen to operate ships./ It was asserted that several thousand German seamen were now at Toulon, the great Mediterranean naval base in unoccupied France, to from crews for the 26,500-ton battleship Dunkerque./ Further, it said Grand Admiral Erich Raeder, German naval commander-in-chief, had issued a secret order for formation of German crews for ships handed over by the french, to ve ready by April 10./ Russia broadcast its charge over the Moscow radio, quoting a Cairo dispatch of the offical news a agency Tass./ In its original charge, Russia said Vichy was handing over to the Germans about 40 ships which had not been completed at the 35,000-ton battleship Clemenceau. The Dunkerque was in service before the collapse. It was heavily damaged and beached, as the result of British naval and aerial bombardment of the French off North Africa in July, 1940.(記事おわり)
脚注
[編集]- ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 22a-23フランス ダンケルク級
- ^ a b 「公文備考 昭和12年 D 外事 巻1(防衛省防衛研究所)第54号 10.2.27仏国軍艦ストラスブ-ル建造に関し主要細目事項通知の件」 アジア歴史資料センター Ref.C05110622500
- ^ ブラッセー海軍年鑑 1940, pp. 24–25原本33-34頁
- ^ 海軍及海事要覧、昭和8年版 1933, pp. 58, 68–69.
- ^ “大艦建造競爭 イギリスもアメリカもフランスも ドイツはポケット軍艦で對抗/世界一の日本海軍”. Nippaku Shinbun. pp. 06 (1938年4月2日). 2023年9月29日閲覧。
- ^ 「JACAR(アジア歴史資料センター)華府海軍条約関係雑件/軍艦建造通告関係(B-11-1-0-1_3)(外務省外交史料館)3.仏国建造通告之部」 アジア歴史資料センター Ref.B04122571300 p.7(ダンケルク建造通告)
- ^ “佛國建艦案を決定”. Burajiru Jihō. pp. 02 (1934年3月7日). 2023年9月29日閲覧。
- ^ a b “佛國も欲しい豆戰闘艦 建艦費可決”. Singapōru Nippō. pp. 02 (1931年7月4日). 2023年9月29日閲覧。
- ^ 海軍及海事要覧、昭和8年版 1933, p. 70a二、新艦建造の概況(1933年版ブラッセー年鑑に依る)
- ^ “二萬六千五百噸の装甲巡洋艦建造 佛國海軍の新優秀艦”. Nippu Jiji. pp. 01 (1932年10月27日). 2023年9月29日閲覧。
- ^ オスプレイ、ポケット戦艦 2006, p. 4.
- ^ オスプレイ、ポケット戦艦 2006, p. 18.
- ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 30–35ドイツ ドイッチュラント級
- ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 8–11戦艦の新造
- ^ #列国海軍造艦術現状 pp.6-8
- ^ a b c オスプレイ、ドイツ戦艦 2005, pp. 7–8.
- ^ “暴れる獨の豆戰艦”. Kawai Shinpō, 1940.01.23. pp. 01. 2024年7月21日閲覧。
- ^ ブラッセー海軍年鑑 1940, p. 13原本10頁
- ^ “獨伊の積極的建艦に對抗 佛國も大巡洋艦 建造の必要を痛感”. Nan’yō Nichinichi Shinbun. pp. 02 (1934年10月22日). 2023年9月29日閲覧。
- ^ 海軍及海事要覧、昭和8年版 1933, p. 70b(原本57頁)佛國新巡洋戰艦ダンケルク(想像図)
- ^ “獨伊に對し佛巨艦要求”. Singapōru Nippō. pp. 02 (1934年10月22日). 2023年9月29日閲覧。
- ^ 「Shin Sekai Nichi Nichi Shinbun 1933.10.19、新世界日日新聞/nwd_19331019(スタンフォード大学フーヴァー研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.J21021927200 p.3〔英國も負けてゐす大建艦に着手 二万五千トン級戰艦も建造(ロンドン十八日國際)〕
- ^ 「Shin Sekai Nichi Nichi Shinbun 1934.03.11、新世界日日新聞/nwd_1930311(スタンフォード大学フーヴァー研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.J21021954200 p.2〔軍擴戰列に支那も加はる ― 三萬噸の戰艦を英國に依頼して造艦 〕
- ^ ミドルブック、戦艦 1979, p. 70.
- ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 36–41ドイツ シャルンホルスト級
- ^ 「Shin Sekai Nichi Nichi Shinbun 1935.05.04、新世界日日新聞/nwd_193504(スタンフォード大学フーヴァー研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.J21022036600 p.1〔獨逸の豆戰艦 實質は大戰艦 〕
- ^ 海軍及海事要覧、昭和8年版 1933, p. 71.
- ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 86–89イタリア リットリオ級
- ^ a b c ジョーダン、戦艦 1988, p. 23.
- ^ “三萬五千噸級戰艦二隻建造案 佛國議會可決の模様”. Nan’yō Nichinichi Shinbun. pp. 02 (1935年6月26日). 2023年9月29日閲覧。
- ^ a b ジョーダン、戦艦 1988, p. 22b.
- ^ ポケット海軍年鑑 1937, p. 123(原本228-229頁)戰艦ダンケルク
- ^ 「世界の艦船増刊第38集 フランス戦艦史」(海人社)
- ^ Dumas, Robert (2001) (French). Les cuirassés Dunkerque et Strasbourg. Nantes: Marine Éditions. ISBN 978-2-909675-75-6
- ^ オスプレイ、ポケット戦艦 2006, p. 11.
- ^ “獨逸海軍の誇り ポケット戰艦進水 キール軍港のお祭騷ぎ”. Nan’yō Nichinichi Shinbun, 1931.05.21. pp. 02. 2024年7月21日閲覧。
- ^ 海軍及海事要覧、昭和6年版 1931, pp. 108–110, 205.
- ^ “獨逸の海軍豫算案”. Singapōru Nippō. pp. 02 (1931年3月13日). 2023年9月29日閲覧。
- ^ “時事解説 日米建艦競爭の新形勢”. Burajiru Jihō. pp. 02 (1934年3月7日). 2023年9月29日閲覧。
- ^ “獨逸のポケット戰艦 軍縮會議で問題となる”. Nan’yō Nichinichi Shinbun. pp. 02 (1932年5月5日). 2023年9月29日閲覧。
- ^ “獨逸新造の装甲艦 世界脅威の的となる”. Burajiru Jihō. pp. 01 (1929年2月7日). 2023年9月29日閲覧。
- ^ 海軍及海事要覧、昭和6年版 1931, pp. 105–106(四)佛國
- ^ 海軍及海事要覧、昭和8年版 1933, pp. 145–146.
- ^ 「Shin Sekai 1931.02.14、新世界/tnw_19310214(スタンフォード大学フーヴァー研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.J21021740400 p.1
- ^ “佛國 ポケット戰艦の引渡を要求す”. Nan’yō Nichinichi Shinbun. pp. 02 (1931年7月4日). 2023年9月29日閲覧。
- ^ 「Shin Sekai Asahi Shinbun 1937.05.23、新世界朝日新聞/nws_19370523(スタンフォード大学フーヴァー研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.J21022184200 p.3
- ^ 「Shin Sekai Asahi Shinbun 1937.06.28、新世界朝日新聞/nws_19370628(スタンフォード大学フーヴァー研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.J21022191200 p.1
- ^ ミドルブック、戦艦 1979, p. 40.
- ^ “Germans Train Crew for French Warship, Report”. Nichibei Shinbun, 1942.03.14. pp. 06. 2024年4月4日閲覧。
参考図書
[編集]- ゴードン・ウィリアムソン〔著〕、イアン・パルマ―〔カラー・イラスト〕『世界の軍艦イラストレイテッド1 German Battleships 1939-45 ドイツ海軍の戦艦 1939 ― 1945』手島尚〔訳〕、株式会社大日本絵画〈オスプレイ・ミリタリー・シリーズ Osprey New Vanguard〉、2005年11月。ISBN 4-499-22898-0。
- ゴードン・ウィリアムソン〔著〕、イアン・パルマ―〔カラー・イラスト〕『世界の軍艦イラストレイテッド2 German Pocket Battleships 1939-45 ドイツ海軍のポケット戦艦 1939 ― 1945』柄澤英一郎〔訳〕、株式会社大日本絵画〈オスプレイ・ミリタリー・シリーズ Osprey New Vanguard〉、2006年1月。ISBN 4-499-22899-9。
- ジョン・ジョーダン『戦艦 AN ILLUSTRATED GUIDE TO BATTLESHIPS AND BATTLECRUISERS』石橋孝夫 訳 、株式会社ホビージャパン〈イラストレイテッド・ガイド6〉、1988年11月。ISBN 4-938461-35-8。
- 「世界の艦船増刊第22集 近代戦艦史」(海人社)
- 「世界の艦船増刊第30集 イギリス戦艦史」(海人社)
- 「世界の艦船増刊第38集 フランス戦艦史」(海人社)
- 「世界の艦船増刊第38集 第2次大戦時のイギリス戦艦」(海人社)
- 「世界の艦船増刊第22集 近代戦艦史 2008年10月号(海人社)
- 「世界の艦船 列強最後の戦艦を比較する 2006年2月号」(海人社)
- M・ミドルブック、P・マーニー『戦艦 ― マレー沖海戦 ―』内藤一郎 訳 、早川書房、1979年6月。
- 国立国会図書館デジタルコレクション - 国立国会図書館
- 海軍有終會編輯部同人 共譯『一九四〇年版 ブラッセー海軍年鑑(譯書) ― 本文全譯 ―』海軍有終會、1940年10月 。
- 海軍研究社編輯部 編『ポケット海軍年鑑 : 日英米仏伊独軍艦集. 1937,1940年版』海軍研究社、1937年2月 。
- 藤田定市 編『海軍及海事要覧. 昭和6年版』有終會、1931年5月。doi:10.11501/1873638 。
- 藤田定市 編『海軍及海事要覧. 昭和8年版』有終會、1933年11月。doi:10.11501/1464536 。
- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- 『4 列国海軍造艦術進歩の現状』。Ref.C05034593500。
関連項目
[編集]- フランス海軍艦艇一覧
- ラ・ガリソニエール級軽巡洋艦 - 本級に随伴できる巡洋艦として建造された。
- 戦艦一覧
- 建艦競争
- 戦列艦
外部リンク
[編集]- Dunkerque Class Battleships/Battlecruisers ダンケルク級の説明があるページ。(英語)