チェコとスロバキアのレース
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チェコとスロバキアのレースでは、チェコとスロバキアにおけるレースの歴史について述べる。
ボヘミア地域では、隣国ドイツの影響を受け、ニードルレースやボビンレースが作られていた[1]。それ以外の地域ではロシアレースと呼ばれる、雑多な色を使う室内装飾の庶民的なレースがつくられていた[2]。
1871年のプラハで公開された報告書に、ボヘミアのレース女工の規律の厳しい工場に対する抵抗運動が記されている。1920年代には、ウィーン工房の教師であるハードリチカ教授夫妻、レース生地デザイナーのダゴベルト・ペシュなど、チェコ人が活躍していた[1]。
第一次世界大戦、第二次世界大戦の後、チェコスロバキアではレース産業が奨励された[1]。レースの伝統が浅い同国では、装飾的にも技術的にも大胆に発展し[2]、世界中で最も創造豊かであった[1]。1960年代、チェコスロバキアのレースは、世界に先駆けて抽象模様を手がけた。レース製作者エレーナ・ボレツィオヴァ、エミリ・パリコヴァ、マリ・パンコヴァ・クチンコヴァ、ハナ・ラクロヴァたちは、現代レースに欠けていた発想を与えた[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e アン・クラーツ 1989, p. 182.
- ^ a b M. リスラン=ステーネブルゲン 1981, p. 148.
参考文献
[編集]- M. リスラン=ステーネブルゲン 著、田中梓 訳『ヨーロッパのレース : ブリュッセル王立美術館』学習研究社、1981年。ISBN 4050047764。
- アン・クラーツ 著、深井晃子 訳『レース 歴史とデザイン』平凡社、1989年。ISBN 4582620132。