チャールズ・ゲシキ
チャールズ・ゲシキ | |
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生誕 |
1939年9月11日 クリーブランド (オハイオ州) |
死没 | 2021年4月16日(81歳没) |
居住 | カリフォルニア州ロスアルトス |
国籍 | アメリカ人 |
研究分野 | 計算機科学ロスアルト |
出身校 |
カーネギーメロン大学 ザビエル大学 |
主な業績 |
アドビ PostScript |
主な受賞歴 |
2006年 米国電子工学協会(IEEE) Medal of Achievement[1] 2010年 マルコーニ賞 ジョン・キャロル大学の名誉博士号 |
プロジェクト:人物伝 |
チャールズ・M・ゲシキ(Charles M. Geschke、1939年9月11日 - 2021年4月16日)は、アメリカの実業家である。 1982年にグラフィックソフトウェア会社 アドビシステムズ(現:アドビ)をジョン・ワーノックと共同で設立したことで知られている。
学歴
[編集]ゲシキはセント・イグナティウス高校出身であり、ザビエル大学にて古典の学士号、数学の修士号を、カーネギーメロン大学にて計算機科学の博士号を取得した[2][3]。ゲシキは1963年から1968年までジョン・キャロル大学で数学を教えていた。
経歴
[編集]アドビ設立の前、ゲシキとワーノックはゼロックスのパロアルト研究所に勤めていた。 ゲシキは1970年代前半から勤務しており、1978年からイメージングサイエンス研究室を牽引して計算機科学・グラフィックス・画像処理・光学の分野で研究を行っていた。彼は研究の長期パートナーとしてジョン・ワーノックを雇い、共にページ記述言語(PDL)を開発して、インタープレス(Interpress)という、書体・書式を電子的に表現する技術を作った。印刷制御に使うワーノックのインタープレスグラフィック言語の商業的価値に対して、ゼロックスの扱いに不満を持ったため、2人はゼロックスを離れてアドビシステムズを立ち上げた[4][5]。
アドビ
[編集]ゲシキとワーノックの開発したインタープレスは、PostScriptとして改良された。最初のDTPは、MacintoshとPostScriptプリンタであるLaserWriterを組み合わせて使うことで、文章入力や文面構成、画面上に表示された通りに印刷などを誰でも出来るようになった。
PostScriptは機種依存性がなく柔軟なので、市場価値があった。この新しいシステムが市場に登場すると、ビジネスユーザーによる文章作成の質・効果が急速に発展し、業界全体が急成長した[4]。1986年12月から1994年7月まで、ゲシキはアドビの最高執行責任者を務め、1989年4月から2000年4月まで、社長を務めた。ワーノックが最高経営責任者の職を降りる少し前、2000年にゲシキはアドビの社長の職を降りた。1997年9月からアドビの理事会共同議長を引き受けている[2][3][6]。
アドビは2010年のForbes Global 2000で1069位にランクインし、Forbes List of 400 Best Big Companies in 2009に掲載された[2]。
1992年の誘拐事件
[編集]1992年5月26日の朝、カリフォルニア州マウンテンビューにあるアドビ駐車場に仕事で赴いていた時に、ゲシキは銃を持った2人の男に捕らえられた。カリフォルニア州ホリスターの家から連邦捜査局(FBI)によって解放されるまでに4日を要した。同年5月31日、身代金65万ドルを受け取った誘拐犯はゲシキを開放し、その後FBIはバンガローの隠れ家を特定した[7]。
誘拐犯であるサンノゼのムハンマド・アルブハーリと、キャンベルのジャック・サイェは最終的にカリフォルニア州の州裁判所で終身刑を宣告された[7]。
賞
[編集]1999年、チャールズ・ゲシキはAssociation for Computing Machinery(ACM)のフェローとして称えられた[8]。
2002年、「ジョン・ワーノックと共に行ったDTPの普及活動の成果とフォント・グラフィックス・印刷分野のイノベーション」が評価され、コンピュータ歴史博物館のフェローとなった[4]。
2006年10月、ゲシキは共同設立者のジョン・ワーノックと共にAeA Annual Medal of Achievement Awardを受賞した。この賞におけるソフトウェア開発技術者の受賞はこれが初である。2008年、IEEE Computer SocietyよりComputer Entrepreneur Awardを受賞。2009年には、大統領バラク・オバマより2008年アメリカ国家技術賞を受賞した[6][9]。
2012年5月20日の日曜日、ゲシキは数学教授として勤めていたオハイオ州ユニバーシティ・ハイツのジョン・キャロル大学で卒業生に対して演説を行い、名誉博士号を取得した[10]。
対外関係
[編集]ゲシキは、サンフランシスコ交響楽団の委員会[11]、National Leadership Roundtable on Church Management[12]、Commonwealth Club of California[13]、タブローソフトウェアに属していた[14]。カーネギーメロン大学の計算機科学諮問委員会、Egan Maritime Foundationの委員会、Nantucket Boys and Girls Clubの委員会にも属している。また、全米技術アカデミーのメンバーでもあり、Association for Computing Machineryのフェローでもある[4][6]。
1995年に全米技術アカデミーに選ばれ、2008年にアメリカ芸術科学アカデミーに選ばれた。2010年にはサンフランシスコ大学理事会の理事長を務めた[6]。
私生活
[編集]1964年にチャールズ・ゲシキはナンと結婚し、子や孫も授かっていた[15]。彼はカトリック教徒だった[16]。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ “Adobe downloadable images of Adobe executives” (英語). Adobe (n.d.). 2012年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年7月21日閲覧。
- ^ a b c “Charles Geschke” (英語). フォーブス. Forbes. 2013年6月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年12月31日閲覧。
- ^ a b “Classical Studies Dr. Charles M. "Chuck" Geschke” (英語). Willamette University. ウィラメット大学. 2007年7月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年12月31日閲覧。
- ^ a b c d “Charles Geschke 2002 Fellow Awards Recipient” (英語). CHM - Computer History Museum. コンピュータ歴史博物館. 2010年7月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年12月31日閲覧。
- ^ “Charles M. Geschke” (英語). CHM - Computer History Museum. コンピュータ歴史博物館. 2022年12月24日閲覧。
- ^ a b c d “Charles Geschke Biography” (英語). Santa Clara University. サンタクララ大学. 2010年6月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年12月31日閲覧。
- ^ a b "F.B.I. Rescues a Kidnapped Businessman". The New York Times (アメリカ英語). The Associated Press. 1992年6月1日. p. B7. 2022年12月24日閲覧。
- ^ “Dr. Charles M Geschke” (英語). awards.acm.org. 計算機協会(ACM). 2022年12月24日閲覧。
- ^ “Charles M. Geschke” (英語). IEEE Computer Society. 2022年12月24日閲覧。
- ^ Wittenberg, Ed (2012年5月18日). “John Carroll University commencement among events this weekend in University Heights” (英語). cleveland.com. Sun News. 2022年12月24日閲覧。
- ^ “Board of Governors” (英語). San Francisco Symphony. サンフランシスコ交響楽団. 2012年5月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年12月31日閲覧。
- ^ “Board of Directors” (英語). Leadership Roundtable. National Leadership Roundtable on Church Management. 2022年12月24日閲覧。
- ^ “Board of Governors” (英語). Commonwealth Club. 2016年4月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年12月2日閲覧。確認できる名前の記載のある最も最新の日付。
“Board of Governors” (英語). Commonwealth Club. Commonwealth Club. 2016年8月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年4月16日閲覧。確認できる名前の記載が無い最も過去の日付。
“Board of Governors” (英語). Commonwealth Club. 2022年12月24日閲覧。最新の一覧表。 - ^ “Board of Directors” (英語). Tableau Software. タブローソフトウェア. 2011年1月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年12月31日閲覧。確認できる名前の記載のある最も最新の日付。
“Board of Directors” (英語). Tableau Software. タブローソフトウェア. 2011年3月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年3月24日閲覧。確認できる名前の記載が無い最も過去の日付。 - ^ “Charles M. Geschke On Power Ambition Glory” (英語). フォーブス. Forbes (2009年6月18日). 2022年12月24日閲覧。
- ^ “Special report: Catholic college commencement scandals in 2012” (2012年4月30日). 2013年11月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年10月13日閲覧。
- ^ “Adobe Co-Founder Dr. Geschke Passes at 81” (英語). news.adobe.com. Adobe (2021年4月16日). 2022年12月24日閲覧。
- ^ 劉尭 (2021年4月19日). “Adobe PostScriptを発明、DTPに革命もたらしたチャールズ・ゲシキ氏逝去”. PC Watch. インプレス. 2022年12月24日閲覧。
参考文献
[編集]- (Anonymous), "Silicon Valley Kidnapper Sentenced to Life", サンフランシスコ・クロニクル, March 10, 1994, at A21.
外部リンク
[編集]- Biography at Computer History Museum
- Biography on Adobe Web site
- Los Altos Town Crier: A dramatic kidnapping revisited (part 1/4)
- Los Altos Town Crier: Two days of terror, uncertainty (part 2/4)
- Los Altos Town Crier: Chuck's dramatic rescue (part 3/4)
- Los Altos Town Crier: Aftermath of a kidnapping (part 4/4)
- Driving Adobe: Co-founder Charles Geschke on Challenges, Change and Values interview of Charles Geschke's roles in Adobe
- Image of Charles Geschke