チャールズ・タウンゼンド (第3代タウンゼンド子爵)
第3代タウンゼンド子爵チャールズ・タウンゼンド(英語: Charles Townshend, 3rd Viscount Townshend、1700年7月11日 – 1764年3月12日)は、イギリスの貴族、政治家。1722年から1723年まで庶民院議員を務めた後、繰上勅書によりタウンゼンド男爵の爵位を継承、貴族院に移籍した。
生涯
[編集]第2代タウンゼンド子爵チャールズ・タウンゼンドとエリザベス・ペラム(初代ペラム男爵トマス・ペラムの娘)の長男として、1700年7月11日に生まれた[1]。イートン・カレッジで教育を受けた後[2]、1718年にケンブリッジ大学キングス・カレッジに入学した[3]。その後、グランドツアーをした[2]。
1722年イギリス総選挙でグレート・ヤーマス選挙区から出馬して当選したが、1723年5月22日には繰上勅書により(父の存命中にもかかわらず)父からタウンゼンド男爵を継承した[2]。爵位名が父と同じ「タウンゼンド」だったため、代わりにリン卿(Lord Lynn)の儀礼称号を使用した[2]。その後、1723年から1727年まで寝室侍従を、1730年から1738年までノーフォーク知事およびノーフォーク首席治安判事を、1730年から1739年まで王室宝石管理長官を務めた[2][3]。1738年6月21日に父が死去すると、タウンゼンド子爵の爵位を継承した[1]。
1747年に初代レスター伯爵トマス・コークから初代ハードウィック伯爵フィリップ・ヨークに宛てた手紙によると、レスター伯爵は息子エドワードを差し置いてタウンゼンド子爵の長男ジョージを推し、1747年イギリス総選挙でノーフォーク選挙区の庶民院議員に当選させたが、タウンゼンド子爵が(父の第2代タウンゼンド子爵と違い)トーリー党寄りだったため、ノーフォークにおけるホイッグ党の党勢が悪化したという[2](レスター伯爵とハードウィック伯爵はホイッグ党所属)。一方で国政にはほとんど関わらなかった[2]。
1764年3月12日に死去、長男ジョージが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1723年5月29日、オードリー・ハリソン(Audrey Harrison、エドワード・ハリソンの娘)と結婚[1]、4男1女をもうけた[2]。2人は1740年頃に正式に別居した[4]。
- ジョージ(1724年 – 1807年) - 第4代タウンゼンド子爵、後に初代タウンゼンド侯爵に叙される
- チャールズ(1725年 – 1767年) - 財務大臣。タウンゼンド諸法の制定で知られる
- オードリー(1781年没) - ロバート・オルムと結婚
脚注
[編集]- ^ a b c d Burke's Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (99th ed.). London: Burke's Peerage Limited. 1949. p. 2000.
- ^ a b c d e f g h Sedgwick, Romney R (1970). "TOWNSHEND, Hon. Charles (1700-64)". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年5月24日閲覧。
- ^ a b "Townshend, Charles (TWNT718C)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
- ^ Martin, John. "Townshend, Etheldreda". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/68358。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
公職 | ||
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先代 トマス・ローリー |
王室宝石管理長官 1730年 – 1739年 |
次代 ヘンリー・ヘニー |
グレートブリテン議会 | ||
先代 ジョージ・イングランド ホレーショ・タウンゼンド |
庶民院議員(グレート・ヤーマス選挙区選出) 1722年 – 1723年 同職:ホレーショ・ウォルポール |
次代 ホレーショ・ウォルポール ウィリアム・タウンゼンド |
名誉職 | ||
先代 タウンゼンド子爵 |
ノーフォーク知事 1730年 – 1738年 |
次代 バッキンガムシャー伯爵 |
イングランドの爵位 | ||
先代 チャールズ・タウンゼンド |
タウンゼンド子爵 1738年 – 1764年 |
次代 ジョージ・タウンゼンド |
タウンゼンド男爵 (繰上勅書により) 1723年 – 1764年 |