チャールズ・ダグラス (第2代セルカーク伯爵)
第2代セルカーク伯爵チャールズ・ダグラス(英語: Charles Douglas, 2nd Earl of Selkirk、出生名チャールズ・ハミルトン(Charles Hamilton)、1663年2月3日 – 1739年3月13日)は、スコットランドの貴族、政治家。
生涯
[編集]ハミルトン公爵ウィリアム・ダグラス=ハミルトン(1694年没)と第3代ハミルトン女公爵アン・ハミルトンの三男として1663年2月3日に生まれ、1664年2月5日にハミルトンで洗礼を受けた[1]。
1688年10月6日のnovodamusにより、存命中の父がセルカーク伯爵を放棄してチャールズに与えた[1]。このときの規定ではチャールズの男系男子が絶えた場合、4人の弟(ジョン、ジョージ、ベイジル、アーチボルド)の子孫が爵位を継承するとされた[1]。また、爵位継承とともに姓を父の旧姓ダグラスに改めた[1]。
同1688年の名誉革命でウィリアム3世を支持、1690年のボイン川の戦い[2]や大同盟戦争の大陸ヨーロッパ戦役でも寝室侍従の1人(在任:1689年 – 1702年)として同伴した[1]。1696年から1702年まで選挙名簿管理長官を務め[1]、1704年から1705年までスコットランド大蔵委員会の委員を務めたが[2]、スコットランド王国とイングランド王国の合同には反対した[1]。
1713年にスコットランド貴族代表議員に当選、1714年には寝室侍従に再任されたが、1715年イギリス総選挙で貴族代表議員の再選に失敗した[2]。その後、1722年イギリス総選挙で貴族代表議員に復帰(以降1739年まで議員を務める)、1733年に枢密顧問官に任命され、同年から1739年まで選挙名簿管理長官を務めた[2]。また、1737年から1738年までエディンバラ城総督を務めた[2]。
1739年3月13日に生涯未婚のままロンドンで死去、同年4月18日にウェストミンスター寺院に埋葬された[1]。爵位は弟ジョンが継承した[1]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i Cokayne, George Edward, ed. (1896). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or drmant (S to T) (英語). Vol. 7 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 106–107.
- ^ a b c d e "Selkirk, Earl of (S, 1646)". Cracroft's Peerage (英語). 27 February 2005. 2019年8月21日閲覧。
軍職 | ||
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先代 オークニー伯爵 |
エディンバラ城総督 1737年 - 1738年 |
次代 ロス卿 |
公職 | ||
空位 最後の知られた在位者: サー・トマス・バーネット準男爵
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選挙名簿管理長官 1696年 - 1702年 |
次代 フィリップホーグ卿 |
先代 マーチモント伯爵 |
選挙名簿管理長官 1733年 - 1739年 |
次代 ロジアン侯爵 |
スコットランドの爵位 | ||
先代 ウィリアム・ダグラス=ハミルトン |
第2代セルカーク伯爵 1688年 - 1739年 |
次代 ジョン・ハミルトン |