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チャールズ・ベリー (初代チャールヴィル伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

初代チャールヴィル伯爵チャールズ・ウィリアム・ベリー英語: Charles William Bury, 1st Earl of Charleville FRS FSA1764年6月30日1835年10月31日)は、アイルランド王国出身の貴族、政治家。アイルランド庶民院議員(在任:1790年、1792年 – 1797年[1])、アイルランド貴族代表議員(在任:1801年 – 1835年[2])を歴任した。

生涯

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ジョン・ベリー(John Bury、1764年8月4日没、ウィリアム・ベリーの息子)と妻キャサリン(Catherine、旧姓サドラー(Sadleir)、フランシス・サドラーの次女)の息子として、1764年6月30日に生まれた[2]。父は1764年2月17日に初代チャールヴィル伯爵チャールズ・ムーア(ウィリアム・ベリーの妻ジェーンの兄弟)からキングス・カウンティ(現オファリー県チャールヴィル英語版の地所を継承したばかりだったが、半年後に死去、ベリーは生後2か月にして父を失った[2]。ベリーはダブリン大学トリニティ・カレッジで教育を受け、1785年にB.A.の学位を修得した[2]

1790年1月から4月までと1792年から1797年の2度にわたり、キルマーロック選挙区英語版の代表としてアイルランド庶民院議員を務めた[1]

1797年11月26日、アイルランド貴族であるキングス・カウンティにおけるチャールヴィル・フォレストのタラモア男爵に叙された[2][3]カーロウ・バラ選挙区英語版に影響力を有したことが叙爵の理由だった[4]1798年アイルランド反乱英語版の鎮圧に関わった後、1800年12月29日に同じくアイルランド貴族であるキングス・カウンティにおけるチャールヴィル・フォレストのチャールヴィル子爵に叙された[2][5]。1801年11月2日にアイルランド貴族代表議員に選出され[6]、1835年に死去するまで務めた[2][7]。1806年2月16日、同じくアイルランド貴族であるキングス・カウンティにおけるチャールヴィル・フォレストのチャールヴィル伯爵に叙された[2][8]

1803年3月31日、王立協会フェローに選出された[9]。1812年から1822年まで王立アイリッシュ・アカデミー英語版会長を務めた[2]。1814年4月28日、ロンドン考古協会フェローに選出された[2]。ほかにも王立ハイバーニアン・アカデミー英語版会長を務めた[4]

領地ではネオ・ゴシック様式チャールヴィル城英語版を建て、タラモアの町の発展に寄与したが、伯爵家はロンドンで過ごすことが多かった[4]

1835年10月31日にドーバーで急死、息子チャールズ・ウィリアム英語版が爵位を継承した[2]

家族

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1798年6月4日、キャサリン・マリア・ティスダル(Catherine Maria Tisdall、1761年ごろ – 1851年2月24日、ジェームズ・ティスダルの未亡人、トマス・タウンリー・ドーソンの娘)と結婚[2]、1男をもうけた[10]

出典

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  1. ^ a b "Biographies of Members of the Irish Parliament 1692-1800". Ulster Historical Foundation (英語). 2021年12月27日閲覧
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 141–142.
  3. ^ "No. 14064". The London Gazette (英語). 11 November 1797. p. 1081.
  4. ^ a b c "Charles William Bury, 1st Earl of Charleville (1764-1835)". University of Nottingham (英語). 2021年12月27日閲覧
  5. ^ "No. 15326". The London Gazette (英語). 6 January 1801. p. 40.
  6. ^ "No. 15425". The London Gazette (英語). 7 November 1801. p. 1340.
  7. ^ "No. 19329". The London Gazette (英語). 1 December 1835. p. 2253.
  8. ^ "No. 15889". The London Gazette (英語). 11 February 1806. p. 193.
  9. ^ "Bury; Charles William (1764 - 1835); 1st Earl of Charleville". Record (英語). The Royal Society. 2021年12月27日閲覧
  10. ^ Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth P., eds. (1915). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, the Privy Council, Knightage and Companionage (英語) (77th ed.). London: Harrison & Sons. pp. 429–430.
アイルランド議会
先代
ジョン・フィッツギボン英語版
ジョン・アームストロング英語版
庶民院議員(キルマーロック選挙区英語版選出)
1790年
同職:ジョン・アームストロング英語版
次代
ピーター・ホームズ英語版
ジョン・アームストロング英語版
先代
ピーター・ホームズ英語版
ジョン・アームストロング英語版
庶民院議員(キルマーロック選挙区英語版選出)
1792年 – 1797年
同職:ピーター・ホームズ英語版
次代
ジョン・ウォラー英語版
シルヴァー・オリヴァー
職能団体・学会職
先代
リチャード・カーワン
王立アイリッシュ・アカデミー英語版会長
1812年 – 1822年
次代
ジョン・ブリンクリー
アイルランドの爵位
爵位創設 チャールヴィル伯爵
1806年 – 1835年
次代
チャールズ・ウィリアム・ベリー英語版
チャールヴィル子爵
1800年 – 1835年
タラモア男爵
1797年 – 1835年