ツースマルスハウゼンの戦い
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ツースマルスハウゼンの戦い | |
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戦争:三十年戦争 | |
年月日:1648年5月17日 | |
場所:バイエルン選帝侯領、ツースマルスハウゼン | |
結果:フランス・スウェーデン連合軍の勝利 | |
交戦勢力 | |
スウェーデン・バルト帝国 フランス王国 |
神聖ローマ帝国 バイエルン選帝侯領 |
指導者・指揮官 | |
カール・グスタフ・ウランゲル テュレンヌ子爵 |
ライモンド・モンテクッコリ ヨスト・マクシミリアン・フォン・ブロンクホルスト=グロンスフェルト ペーター・メランダー・フォン・ホルツァッペル † |
戦力 | |
スウェーデン歩兵11,000 スウェーデン騎兵7,000 フランス軍8,000[1] |
歩兵4,000 騎兵6,000[1] |
損害 | |
2,000[1] | |
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ツースマルスハウゼンの戦い(ツースマルスハウゼンのたたかい、英語: Battle of Zusmarshausen)は三十年戦争中の1648年5月17日、神聖ローマ帝国、スウェーデン、フランスの間の戦闘。バイエルン選帝侯領のツースマルスハウゼンで戦われたこの戦闘において、スウェーデンとフランスの連合軍は勝利し、帝国軍は間一髪で全滅を免れた。
テュレンヌ子爵率いるフランス軍は大砲数門を鹵獲した後、スウェーデン軍と合流した。連合軍の人数は2万6千に上り、一方帝国軍は1万人しかいなかった[1]。
この戦闘は三十年戦争の終盤の戦闘であり、ハプスブルク君主国と神聖ローマ帝国の衰退、およびフランスの大国化を象徴した。
脚注
[編集]- ^ a b c d Ericson Wolke, Lars m.fl.: Trettioåriga kriget - Europa i brand 1618-1648, sid. 174-175, Historiska Media, Lund 2006, ISBN 91-85377-37-6.