ツール・ド・フランス1947
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Route of the 1947 Tour de France followed clockwise, starting and finishing in Paris | |||
レース詳細 | |||
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開催期間 | 25 June – 20 July 1947 | ||
ステージ | 21 | ||
全行程 | 4,642 km (2,884 mi) | ||
優勝タイム | 148h 11' 25" () | ||
レース結果 | |||
優勝 | Jean Robic (FRA) | (West) | |
2位 | Édouard Fachleitner (FRA) | (France) | |
3位 | Pierre Brambilla (ITA) | (Italy) | |
山岳賞 | Pierre Brambilla (ITA) | (Italy) | |
チーム時間賞 | Italy | ||
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ツール・ド・フランス1947は、ツール・ド・フランスとしては34回目の大会。1947年6月25日から7月20日まで、全21ステージで行われた。第二次世界大戦後に初めて行われたツール・ド・フランスでもある。
レース概要
[編集]第20ステージを終えて、総合首位はイタリアのピエール・ブランビラ。総合2位には同じくイタリアのアルド・ロンコーニが53秒差で続き、総合3位はフランス(西フランスチーム)のジャン・ロビックが2分58秒差、総合5位には、フランス(ナショナルチーム)のエドゥアール・ファシュレトネールが6分56秒差で続いていた。
最終・第21ステージはカーンからパリまでの257km。残りあと140km地点において、ロビックとファシュレトネールが互いに呼応してアタックをかける。すると、イタリア勢は牽制しすぎるあまり、フランス両者の動きに対する反応が遅れた。パリのゴールでは、区間優勝のブリック・ショットに対して、ロビック、ファシュレトネールは7分36秒差でそれぞれ8、9位に入ったが、ブランビラ、ロンコーニはそれぞれショットに対して20分41秒の差をつけられ、この瞬間に、ジャン・ロビックの大逆転総合優勝が決まった。
ちなみに第二次世界大戦後に開催されたツール・ド・フランス史上、最終ステージにおける総合首位逆転劇は、2018年現在、この大会及び、1968年、1989年の3回しかない。
総合成績
[編集]順位 | 選手名 | 国籍 | 時間 |
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1 | ジャン・ロビック | フランス | 148時間11秒25秒 |
2 | エドゥアール・ファシュレトネール | フランス | +3分58秒 |
3 | ピエール・ブランビラ | イタリア | +10分07秒 |
4 | アルド・ロンコーニ | イタリア | +11分00秒 |
5 | ルネ・ヴィエト | フランス | +15分23秒 |
6 | レイモン・アンパニ | ベルギー | +18分14秒 |
7 | フェルモ・カメリーニ | イタリア | +24分08秒 |
8 | ジョルダーノ・コットゥール | イタリア | +1時間06分03秒 |
9 | ジャンマリー・ゴアマ | フランス | +1時間16分03秒 |
10 | アポ・ラザリデ | フランス | +1時間18分44秒 |
マイヨ・ジョーヌ保持者
[編集]選手名 | 国籍 | 首位区間 |
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フェルディナント・キュプラー | スイス | 第1 |
ルネ・ヴィエト | フランス | 第2-第6 |
アルド・ロンコーニ | イタリア | 第7-第8、第9-第18 |
ピエッレ・ブランビッラ | イタリア | 第19-第20 |
ジャン・ロビック | イタリア | 最終 |
各部門賞結果
[編集]第34回 ツール・ド・フランス 1947 | |
全行程 | 21区間、 4640km |
総合優勝 | ジャン・ロビック 148分11秒25秒 |
2位 | エドゥアール・ファシュレトネール +3分58秒 |
3位 | ピエッレ・ブランビッラ +10分07秒 |
4位 | アルド・ロンコーニ +11分00秒 |
5位 | ルネ・ヴィエト +15分23秒 |
山岳賞 | ピエール・ブランビラ 98ポイント |
2位 | アポ・ラザリデ 89ポイント |
3位 | ジャン・ロビック 70ポイント |