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ツール・ド・フランス2010は、ツール・ド・フランスの第97回目の大会である。2010年7月3日から7月25日までの日程で開催された。
コースプレゼンテーションは2009年10月14日、パレ・デ・コングレにて行われた。
スタート地点はオランダ・ロッテルダムが設定され、09ブエルタのアッセン、10ジロのアムステルダムに続き3連続でオランダがグランデパールを務めることとなった。オランダからスタートするのは1996年(スヘルトーヘンボス)以来14年ぶり。初日は個人タイムトライアル(TT)を行うが、距離が8kmのため『プロローグ』という扱いになった[1]。
第3ステージでは、伝統あるワンデーレースであるパリ〜ルーベの難所で有名なアランベール (Arenberg) の石畳道を通過するという告知が当初なされたが、危険すぎるという理由でその手前にゴールが移動された。合計で13.2kmの石畳区間があり、これはツール・ド・フランスとしては1983年以来最長であった。
第16・第17ステージでは、ピレネー山脈のツールマレー峠を2回通過する。これは、ツール・ド・フランスがこの峠を通過するのが100周年になることを記念するもので、第17ステージではツールマレー峠がゴールとなる。
チームTTが廃止されたことと、タイムを計測される個人TTが2ステージ合計60.9kmと短いという2つの要因によって、オールラウンダーだけでなくクライマー特化型の選手にも、チャンスが広がることとなった。序盤でかなりのパヴェゾーン(石畳の区間)を通過することから、1999年のアレックス・ツェーレ他や2004年のイバン・マヨのようなアクシデントが起こらないとは限らず、序盤での波乱が危惧されるコースレイアウトとなった。
- 新城幸也(Bbox ブイグテレコム)の2年連続出場が決定。1年に2度のグランツール出場、また2年連続同一グランツールは日本人初となる。
- その新城が所属するBbox ブイグテレコムはエースにトマ・ヴォクレールを据え、スプリントは捨てた形に。より自由に動けるようになった新城・ヴォクレールの逃げスペシャリストに加え、昨年難関ステージで勝利を飾ったピエリック・フェドリゴの3人をメインに区間勝利を目指す。
- フットオン・セルヴェットはほとんどがツール初参加という非常に若いチームで挑戦、平均25.5歳となった。
- パリ~ルーベで使用される石畳が登場した第3ステージでは、危惧されていたトラブルが多発。フランク・シュレクが落車による鎖骨骨折でリタイア、アームストロングがパンクで後退、シャヴァネルも2度に渡るパンクでマイヨ・ジョーヌを喪失、コンタドールも最後の最後でメカトラブルでタイムを失ってしまった。ステージ優勝はトル・フースホフト、マイヨ・ジョーヌはカンチェラーラが奪回。総合争いではアンディ・シュレクとカデル・エヴァンスが大きくタイムを稼ぐことに成功した。第4ステージではペタッキが2勝目。第5ステージではここまで全く良いところがなかったマーク・カヴェンディッシュがついに初勝利。勢いに乗ったカヴェンディッシュは続く第6ステージも連勝。
- アルプスに突入した第7ステージはまたも果敢な飛び出しを見せたシャヴァネルが2勝目、マイヨ・ジョーヌを奪還した。続く初の山頂ゴールとなる第8ステージではアンディがグランツール初勝利、マイヨ・ジョーヌはエヴァンスの元へ。アームストロングが3度の落車に巻き込まれるなどして大きく遅れて総合争いから脱落した。
- 休息日を挟んだ第9ステージはマドレーヌ峠でエヴァンスが脱落する波乱の展開に。ステージ優勝はサンディ・カザール、アンディが初のマイヨ・ジョーヌ獲得となった。第10ステージは大逃げ容認となりセルジオ・パウリーニョが僅差のスプリントを制してステージ優勝。
- 勝負のピレネー初日となった第14ステージはクリストフ・リブロンが逃げ切り勝ち。アンディとコンタドールは睨み合いの展開で動かず。トマ・ヴォクレールが制した続く第15ステージが論議を呼ぶステージとなった。ステージ終盤の超級バレス峠でアタックを仕掛けたアンディにチェーントラブルが発生。これに対しコンタドール、デニス・メンショフ、サムエル・サンチェスはアンディを待つこと無く先行。結局アンディはコンタドール達から39秒遅れてしまいマイヨ・ジョーヌは8秒差でコンタドールに移動。しかしこの行為に対し表彰式でコンタドールに容赦無いブーイングが飛ぶなど後味の悪さが残った。第16ステージではアームストロングが逃げて大きな見せ場を作ったが、最後のスプリントに全盛期の切れが見られずステージ優勝はピエリック・フェドリゴの物となった。
- 2度目の休息日を挟んで第17ステージはツールマレー峠山頂ゴール決戦。最後はアンディとコンタドールの一騎討ちとなり、息詰まる展開の末コンタドールがステージ優勝を譲る形でアンディがステージ2勝目を挙げた。第18ステージはカヴェンディッシュがステージ4勝目。
- 今大会唯一の長距離個人TTとなった第19ステージではカンチェラーラがまたも貫禄の走りでステージ2勝目。コンタドールとアンディの総合争いは一時アンディがバーチャルで2秒差まで迫るも、最後はコンタドールが底力で39秒差まで押し戻して決着をつけた。
- 最終第20ステージパリ・シャンゼリゼゴールは昨年に続いてカヴェンディッシュが制してステージ5勝目、有終の美を飾った。
- 総合優勝は2年連続3度目となるアルベルト・コンタドール(アスタナ)だったが、 日スポーツ仲裁裁判所(CAS)がコンタドールのドーピング違反を認定し、2011年1月25日から2年間の出場停止を裁定され、総合優勝が剥奪された。
- アンディ・シュレクは当初、2年連続の総合2位の成績だったが、2012年3月27日、ツール・ド・フランスの運営責任者、クリスティアン・プリュドムがベルギーの新聞、ル・ソワール紙にて、アンディ・シュレクを当年大会の総合優勝者として認定し、それに関連する公式式典を行う用意があるとの発言をおこなった[2]。2012年5月29日、ツール・ド・フランス主催者ASO(アモリ・スポル・オルガニザシオン)は、ルクセンブルクのモンドルフ・レ・バンにて公式式典を行い、アンディ・シュレクを繰上げの総合優勝者として、正式に当年大会のマイヨジョーヌをアンディに授与した。
- アンディは石畳の第3ステージでコンタドール等からタイムを奪うが、兄がアクシデントでリタイアとなった。第8ステージで初のステージ優勝を果たし、続く第9ステージで初めてマイヨ・ジョーヌに袖を通した。その後、前述のアクシデントで第15ステージでジャージを失うも、ツールマレー峠頂上ゴールとなった第17ステージではコンタドールとの一騎討ちの末ステージ2勝目を挙げ、第19ステージでも決して得意とは言い難い個人TTで最後までコンタドールに食い下がるなど執念を見せた。コンタドールとの差は昨年の4分11秒から僅か39秒まで縮まり、ヤン・ウルリッヒ以来となるマイヨ・ブラン3連覇も果たした。
- 表彰台の最後の一角を掴み取ったかに見えたのはデニス・メンショフ(ラボバンク)。目立たないながらも堅実に総合上位をキープし続け、最後の個人TTでサムエル・サンチェス(エウスカルテル・エウスカディ)を逆転。初のツールでの表彰台となった。しかし、2014年になってドーピング違反の判定を受け、成績剥奪となった[3]。一方、S・サンチェスは第9ステージ以降総合3位の座を守り続けていたが、第17ステージでの落車が響いたか個人TTで逆転を許してしまった。後日第17ステージでの落車で手首にヒビが入ったまま走り続けていたことが判明する。しかしコンタドールとメンショフの成績剥奪によって繰上げで総合2位となる。総合3位には当初総合5位扱いであったユルヘン・ファン・デン・ブルックが入った。二人の選手の成績剥奪が時期をずれて行われたため、表彰台に関係のない総合成績の2度目の繰上げは行われず、総合4位は空位となる。
- 昨年悔しい早期リタイアとなってしまったロベルト・ヘーシンク(ラボバンク)はメンショフを献身的にアシストしつつ自身も総合5位、ツール初出場となったホアキン・ロドリゲス(チーム・カチューシャ)も第12ステージを制して総合7位に入った。
- 昨年現役復帰し総合3位、今年は自身のためのチーム、レディオシャックを立ち上げたランス・アームストロングだったが、プロローグで4位に入るなど幸先は良かったものの、第3ステージでパンクでタイムロスすると、第8ステージでは実に3度の落車に巻き込まれるなどして11分以上の遅れを喫してしまいマイヨ・ジョーヌ争いから完全に脱落。第16ステージで果敢な逃げを見せて一時ツールマレー峠を単独走行するという見せ場を作ったが、総合23位に終わった(後に成績剥奪)。チーム自体もセルジオ・パウリーニョが第10ステージを制したものの、総合ではクリス・ホーナーの9位が最高と振るわなかった。しかしチームのもう一つの目標であったチーム総合時間賞はケス・デパーニュとの争いを制して獲得、意地を見せた。
- マルコ・パンターニ以来となるダブルツールに挑んだイヴァン・バッソ(リクイガス・ドイモ)は、ピーキングをピレネーに合わせていた影響で序盤から遅れをとると、肝心のピレネーに入って発熱を伴う気管支炎を発症、第16、17ステージで大きく遅れて総合32位に沈んだ。リクイガス・ドイモ勢ではロマン・クロイツィガーが総合9位に入っている。悲願のグランツール初制覇に挑んだカデル・エヴァンスも、第8ステージでマイヨ・ジョーヌを獲得したが、そのステージ序盤での落車に巻き込まれた際に左肘を骨折。休息日を挟んだ第9ステージではその事実を隠して走っていたが、マドレーヌ峠で大きく遅れてしまい総合争いから脱落してしまった。その後も状態は上向かず総合26位に終わった。
- 昨年ステージ6勝と圧倒的な強さを見せたマーク・カヴェンディッシュ(チーム・HTC - コロンビア)はツール前までシーズン僅か3勝、第1ステージでは落車に巻き込まれてスプリントに参加できず、第4ステージではスプリントに全く伸びが無く惨敗に終わるなど状態が心配されたが、続く第5ステージで初勝利を挙げると完全に調子を取り戻したのか第6、11、18、最終パリ・シャンゼリゼゴールの第20ステージとステージ5勝。第5、6、11ステージはお得意の神速HTCトレインでつけいる隙すら与えずの勝利であったが、第11ステージ終了後に発射台のマーク・レンショーが危険行為で失格となるアクシデントがあったものの、第18、20ステージでは昨年に続いてまたも圧倒的な強さを見せつけた。特に第20ステージではトレイン無しにもかかわらず5車身差という大勝利をあげ2年連続のシャンゼリゼ勝者&現時点年間グランツール最多勝を手中に収める。しかし、第1、4ステージでポイントを稼げなかったことが最後まで響いてマイヨ・ヴェール獲得はまたもお預けとなった。
- カヴェンディッシュを抑えてマイヨ・ヴェールを獲得したのは第1、第4ステージを制したアレサンドロ・ペタッキ(ランプレ・ファルネーゼ=ヴィーニ)。大会中盤以降はカヴェンディッシュに敵わないまでも堅実にステージ2位or3位を積み重ね続け、トル・フースホフト(サーヴェロ・テストチーム)との熾烈な争いを制した。また、史上4人目となる全グランツールポイント賞受賞達成者となった。
- マイヨ・ヴェール2連覇を狙ったトル・フースホフト(サーヴェロ・テストチーム)はクラシック+スプリントステージに設定され、フースホフトのためのステージとも呼ばれた第3ステージを制し、山岳ステージでは昨年に続いて逃げを打って中間スプリントポイントを稼ぐなどしたものの、肝心の大集団スプリントで下位に沈む場面が多く、ポイントを稼げなかったことが響き3位止まりに。また、第2ステージがニュートラルレースとなりポイントが無効となったことも災いした。
- 復活したロビー・マキュアン(カチューシャ)はステージ優勝こそ無かったものの、集団スプリントでは上位を獲得し続け、ヴェール獲得が無くなったのにもかかわらず山岳コースではリタイヤせず必死に走りきった。グランツール完走は08ツール以来2年ぶり。
- 他のスプリンターは注目されていなかったホセ・ホアキン・ロハス(ケス・デパーニュ)が4位に入ったのが特出であった。タイラー・ファーラー(ガーミン・トランジションズ)は第3ステージでの落車で手首にヒビが入り、第11ステージこそ上位に入るが他のステージは痛みのために思うようなスプリントが出来ず第12ステージでリタイヤ。エドヴァルド・ボアソン・ハーゲン(チームスカイ)も上位には入るが一伸び足りずに6位で終わった。
- マイヨ・ブラン・ア・ポア・ルージュはアントニー・シャルトー(Bbox ブイグテレコム)が獲得。シャルトーは逃げに乗った第8ステージでマドレーヌ峠を首位通過してジェローム・ピノー(クイックステップ)からジャージを奪取。その後ピノーとの争いは続いたが、登坂力に勝るシャルトーが徐々に引き離し、最後はクリストフ・モロー(ケス・デパーニュ)の追撃も振りきった。フランス人がツールにおける主要4賞を獲得するのは2004年のリシャール・ヴィランクの山岳賞以来6年ぶりとなる。
- 山頂ゴール自体が少なかったこと、そしてその山頂ゴールはコンタドール対アンディの激戦の舞台となってしまったため、ピュアクライマー単体の活躍の場はほとんど無く、アシスト重視となった。山岳賞の成績も1位シャルトーを除くと2位モロー、3位アンディ、4位コンタドール、5位クネゴ、6位サムエル・サンチェスとオールラウンダーが並び、その後も7位カザール、8位ピノー、9位ヴォクレール、10位フェドリゴとパンチャーが4人入る形に。今年は序盤のアタック合戦が行われずに、ほとんどがファーストアタックで決まってしまったのも平地アタック力に欠けるクライマー不遇の原因となってしまった。
- 2ステージのみとなったタイムトライアルは2ステージともファビアン・カンチェラーラ(サクソバンク)がぶっちぎりのタイムで勝利。ツアー・オブ・カルフォルニアやツール・ド・スイスでステージを落とし不調説もささやかれていたが、ツールにはきちんとコンディションを併せてきた。両ステージで2位に入ったトニー・マルティン(チーム・HTC - コロンビア)はまだ25歳ということで今後を期待できるライダーとなった。
- 総合成績こそジョン・ガドレ(Ag2r・ラ・モンディアル)の19位が最高と振るわなかったが、前述のシャルトーに代表されるように今大会ではフランス人の活躍が目立った。シルヴァン・シャヴァネル(クイックステップ)は第2、第7ステージで果敢な逃げで見事にステージ優勝、さらに両ステージ後にマイヨ・ジョーヌを獲得するなど序盤のレースを盛り上げ、2度目の総合敢闘賞も獲得した。それ以外にもサンディ・カザール(フランセーズ・デ・ジュー)、クリストフ・リブロン(Ag2r・ラ・モンディアル)、ピエリック・フェドリゴ、トマ・ヴォクレール(共にBbox ブイグテレコム)がそれぞれステージ1勝。最終的にフランス人全体で昨年の倍となるステージ6勝を挙げた。
- 昨年に続くツール出場となった新城幸也(Bbox ブイグテレコム)は、ジロ第5ステージのような派手な活躍こそ無かったが、第11ステージで6位、それ以外の平坦ステージでもセバスティアン・テュルゴのアシストをこなしつつコンスタントにステージ10位台を重ねて、ポイント賞争いで25位に入った。また総合112位で昨年に続いて完走を果たしている。
- 全参加選手197名中完走者は170名と1991年の158名(参加198名)を上回る過去最多を記録。例年他賞とは違った意味で注目されている総合最下位(ランタンルージュ)は、今回がグランツール初出場となるアドリアーノ・マローリ(ランプレ・ファルネーゼ=ヴィーニ)となった。
3月30日に参加チームが発表された。[4]プロツアー18チームとプロコンチネンタル4チームの計22チームが発表されたが、オランダスタートということもあり予想されたオランダのプロコンチネンタルチームの出場は見送られた。
- 7月1日現在[5]
- 総合敢闘賞選手
- ^ ルート確定後8.9kmに延長されることになりプロローグの規定は超えているが、第1ステージへの変更は行われなかった。
- ^ Andy Schleck to be honoured as 2010 Tour de France winner - cyclingnews.com 2012年3月27日付(英語)
- ^ a b c バイオロジカル・パスポートの違反でメンショフに2年の処分! 2010年ツール総合2位剥奪 - cyclesports.jp 2014年7月13日
- ^ シクロワイアード 2010年3月30日付記事
- ^ Tour de France start list cyclingnews.com(英語)
- ^ 禁止薬物を含む薬物をメディカルスタッフの許可無く使用したため、出場メンバーから外された[1]。
- ^ 危険行為(ジュリアン・ディーンに対する頭突き)により失格。
- ^ ポイント賞首位のファビアン・カンチェラーラがマイヨ・ジョーヌ、同2位のトニー・マルティンがマイヨ・ブランをそれぞれ着用のため、繰り下げの繰り下げで翌日ジャージを着用した。
- ^ ポイント賞首位のシルヴァン・シャヴァネルがマイヨ・ジョーヌ着用のため繰り下げで翌日ジャージを着用した。
- ^ a b c d e f 新人賞首位のアンディ・シュレクがマイヨ・ジョーヌ着用のため繰り下げで翌日ジャージを着用した。