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ティム・クルーズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ティム・クルーズ
Tim Crews
AAA級アルバカーキ時代
(1987年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 フロリダ州タンパ
生年月日 (1961-04-03) 1961年4月3日
没年月日 (1993-03-23) 1993年3月23日(31歳没)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1981年 ドラフト2巡目でミルウォーキー・ブルワーズから指名
初出場 1987年7月27日
最終出場 1992年10月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

スタンリー・ティモシー・クルーズ(Stanley Timothy "Tim" Crews、 1961年4月3日 - 1993年3月23日)は、アメリカ合衆国フロリダ州タンパ出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

経歴

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現役時代

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フロリダ州オーランドのバレンシア・コミュニティカレッジに在籍中、1980年のドラフト2巡目(全体41位)でカンザスシティ・ロイヤルズから指名されるがこれを拒否。翌1981年のドラフト2巡目(全体48位)でミルウォーキー・ブルワーズから指名を受け、入団。その後、1986年までは傘下マイナーリーグでプレーし、最高で傘下AAA級バンクーバーまで昇格した。

1986年12月10日グレッグ・ブロック英語版とのトレードでティム・リアリーと共にロサンゼルス・ドジャースに移籍。翌1987年7月27日の対サンフランシスコ・ジャイアンツ戦(ドジャー・スタジアム)でメジャー初登板を果たし、同年は20試合に登板して1勝1敗3セーブ、防御率2.48の成績を残した。

1988年からはドジャースの中継ぎ陣の一角を担うようになり、一時的なマイナー降格こそあったものの1992年まで5年連続でシーズン40試合以上に登板。特に1990年は66試合に登板して4勝5敗5セーブ、防御率2.77の好成績を残した。

49試合に登板したが防御率5点台に終わった1992年オフにFAとなり、翌1993年1月にクリーブランド・インディアンスと契約を果たしていた。

突然の死

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しかし、スプリングトレーニングの終了直前だった同年3月22日、同僚投手のスティーブ・オリンボブ・オヘーダと共にフロリダ州クリアモント英語版にあったクルーズの私有地の湖でボートを操縦していたところ、湖の桟橋に激突する水難事故に遭遇し、翌3月23日に死去した。31歳没。同時に乗船していたオリンも事故当日に死去し、オヘーダは頭部に大怪我を負いながらも一命を取り留めたが、同年のシーズンを棒に振った。その後の調査で、クルーズがボートを照明のない格納庫に収容させる際、あまりにも高速でボートを操船したことが事故の原因であったと結論付けられた。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1987 LAD 20 0 0 0 0 1 1 3 -- .500 124 29.0 30 2 8 1 2 20 0 0 9 8 2.48 1.31
1988 42 0 0 0 0 4 0 0 -- 1.000 301 71.2 77 3 16 7 0 45 1 0 29 25 3.14 1.30
1989 44 0 0 0 0 0 1 1 -- .000 275 61.2 69 7 23 9 2 56 1 0 27 22 3.21 1.49
1990 66 2 0 0 0 4 5 5 -- .444 440 107.1 98 9 24 6 1 76 2 0 40 33 2.77 1.14
1991 60 0 0 0 0 2 3 6 -- .400 318 76.0 75 7 19 11 0 53 3 1 30 29 3.43 1.24
1992 49 2 0 0 0 0 3 0 -- .000 339 78.0 95 6 20 9 2 43 3 0 46 45 5.19 1.47
通算:6年 281 4 0 0 0 11 13 15 -- .458 1797 483.2 444 34 110 43 7 293 7 1 181 162 3.44 1.31

背番号

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  • 52(1987年 - 1992年)

脚注

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関連項目

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外部リンク

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