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テッド・マン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
テッド・マン
Ted Mann
生誕 (1916-04-16) 1916年4月16日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ノースダコタ州ウィシック英語版
死没 2001年1月15日(2001-01-15)(84歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス
職業 実業家、映画プロデューサー
著名な実績 マン・シアターズ
配偶者
子供 2人
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テッド・マン(Ted Mann、1916年4月16日 - 2001年1月15日)は、アメリカ合衆国の実業家である。アメリカ西部に映画館を展開するマン・シアターズを創業した。1973年にナショナル・ゼネラル英語版を買収し、同社が保有していたグローマンズ・チャイニーズ・シアターを「マンズ・チャイニーズ・シアター」に改称した。

生涯[編集]

マンは1916年4月16日にノースダコタ州ウィシック英語版ユダヤ人の家庭に生まれた。1930年代、ミネソタ大学在学中に映画館の案内係のアルバイトをしていたことから、映画業界に入った[1][2]。マンはミネソタ州セントポールのセルビー劇場を月100ドルで借り、自ら映写技師とチケット売りを兼任するワンマンショップとして運営していた[1]。この事業は成功し、さらにアメリカ中西部の25の劇場・ドライブインシアターを買収した[1]

1969年、レイ・ブラッドベリの短編『刺青の男』の映画化作品『いれずみの男』のプロデューサーを務めた。1970年、アメリカ中西部で構築した映画館チェーンをゼネラル・シネマ英語版に売却し、カリフォルニア州に移り住んだ。カリフォルニアでも映画館事業を続け、1973年には経営不振だったナショナル・ゼネラル英語版を買収した。276館から360館まで拡大したのち、1986年にガルフ・アンド・ウエスタン・インダストリーズ英語版(現 パラマウント・コミュニケーションズ)に売却した。また、ナショナル・ゼネラルが保有していたグローマンズ・チャイニーズ・シアターを「マンズ・チャイニーズ・シアター」に改称したが、2001年末に元の名称に戻された。

ミネアポリスのヘネピン劇場地区に現存するオーフィウム劇場英語版パンタージュ劇場英語版は、かつてマンが所有していた。マンは最終的に、ミネアポリスのダウンタウン地域に少なくとも6つの劇場を所有した。ミネソタ大学には、マンの名前を冠したテッド・マン・コンサートホールがある。

2001年1月15日、脳卒中による合併症のためロサンゼルスで84歳で亡くなった[1]

慈善活動[編集]

1984年にテッド・マン財団を設立し、救世軍ボーイズ・アンド・ガールズ・クラブ・オブ・アメリカ英語版ユナイテッド・ウェイ英語版ウィルシャー・ブールバード・テンプル英語版、ユダヤ人連合基金、エルサレム財団英語版などに寄付した[1]

私生活[編集]

1934年6月24日にアイダ・カロン(Ida Charon, 1911–1997)と結婚し[3]、1968年に離婚した[4]。2人の間には、ビクトリア・マン・シムズ(Victoria Mann Sims)[5]とロベルタ・リン・マン=ベンソン(Roberta Lynn Mann-Benson)[6]という2人の娘がいた。

1977年に女優のロンダ・フレミングと再婚した。

フィルモグラフィ[編集]

いずれも制作または製作総指揮として。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e Oliver, Myrna (2001年1月17日). “Ted Mann; Theater Chain Owner Put His Name on Grauman's Chinese”. The Los Angeles Times. http://articles.latimes.com/2001/jan/17/local/me-13396 
  2. ^ “A philosophy for philanthropy For Minnesotan Blythe Brenden, philanthropy and engagement take center stage”. Weizmann Magazine, Weizmann Institute of Science 11. (March 26, 2017). http://www.weizmann.ac.il/WeizmannCompass/sections/people-behind-the-science/a-philosophy-for-philanthropy. "In establishing the original family foundation, the Ted Mann Foundation, before his death at age 84 in 2001, Mr. Mann stipulated that a percentage of the funds be allocated to Jewish causes; that was his only restriction. (He was Jewish, but Ms. Brenden’s side of the family was not.)" 
  3. ^ “Paid Notice – Memorials MANN, IDA”. The New York Times. (1997年12月23日). https://www.nytimes.com/1997/12/23/classified/paid-notice-memorials-mann-ida.html 
  4. ^ “Divorce settlement just not enough”. Gadsden Times. (1978年7月30日). https://news.google.com/newspapers?nid=1891&dat=19780729&id=SqcfAAAAIBAJ&sjid=R9YEAAAAIBAJ&pg=1420,4484043&hl=en 
  5. ^ Foreman, Judy (2014年3月2日). “Dr. Victoria Mann Simms, Champion of Early Childhood Education, Opens Up about Cause”. Noozhawk, Santa Barbara, California. http://www.noozhawk.com/article/judy_foreman_dr_victoria_mann_simms_early_childhood_education_20140302 
  6. ^ “Mann-Benson, Dr. Roberta”. Star Tribune, Minneapolis. (2010年10月28日). http://www.startribune.com/obituaries/detail/12809728/?fullname=mann-benson,-dr-roberta 

外部リンク[編集]