デアフリンガー (巡洋戦艦)

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艦歴
発注
起工 1912年1月
進水 1913年6月14日1913年7月12日
就役 1914年10月
退役
その後 1919年6月21日にスカパ・フローで自沈
1939年浮揚、1948年解体
除籍
性能諸元
排水量 基準:26,600トン、満載:31,200トン
全長 210m
全幅 29m
吃水 9.6m
機関 ギヤードタービン18缶2基 4軸推進、63,000hp
最大速 26.5ノット
航続距離 5,600海里(14ノット時)
乗員 平時:1,112名(士官44名)
戦時:1,390名
兵装 305mm連装砲 4基8門
150mm単装砲 12門
88mm高角砲 8門
88mm単装砲 4門
500mm魚雷発射管 4門

デアフリンガー (SMS Derfflinger) は第一次世界大戦時のドイツ帝国海軍巡洋戦艦で、デアフリンガー級巡洋戦艦の一番艦である。この艦は三十年戦争で戦ったブランデンブルク陸軍元帥ゲオルク・フォン・デアフリンガーの名にちなんで命名された。

艦歴[編集]

本艦の進水1913年6月14日だったが、事故のためこの進水は失敗し、わずか数センチしか進まなかった。結局進水は7月12日に再度行われ、この時は成功した。

デアフリンガーは就役するとフランツ・フォン・ヒッパー中将の第1偵察隊に配属された。第一次世界大戦が勃発すると、1914年12月14日にはヨークシャーのスカーボロ砲撃に参加した。

その後ドッガー・バンク海戦に参加し、3発の砲弾を受けたがイギリス海軍の旗艦ライオンに砲弾を命中させている。1916年4月24日、デアフリンガーはグレート・ヤーマスローストフトに対する砲撃に参加した。

1916年5月31日ユトランド沖海戦ではイギリス海軍の巡洋戦艦クイーン・メリーインヴィンシブル第3巡洋戦艦戦隊ホレース・フッド司令官坐乗)を撃沈したが、デアフリンガー自身も21発の直撃弾を受けて大破し、その修理に4ヶ月を要した。

第一次世界大戦の敗戦後はスカパ・フローに回航された。だがイギリス軍への引渡しを潔しとしなかった乗組員によって、1919年6月21日自沈させられた。沈没したデアフリンガーは1939年に引き上げられたが、解体されたのは第二次世界大戦が終わった後である。

外部リンク[編集]