ディック・ラジェスキー
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基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ニュージャージー州パセーイク |
生年月日 | 1926年1月8日 |
没年月日 | 1976年8月15日(50歳没) |
身長 体重 |
5' 11" =約180.3 cm 175 lb =約79.4 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 二塁手 |
初出場 |
1946年9月10日 ニューヨーク・ジャイアンツ (対ピッツバーグ・パイレーツ戦) |
最終出場 |
1946年9月22日 ニューヨーク・ジャイアンツ (対フィラデルフィア・フィリーズ戦) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ディック・ラジェスキー (Richard "Dick" Edward Lajeskie :リチャード・"ディック"・エドワード・ラジェスキー、1926年1月8日 - 1976年8月15日) は、アメリカ合衆国・ニュージャージー州出身の元プロ野球選手 (MLB) である。1946年の1シーズンだけ、長い歴史を誇る球団のニューヨーク・ジャイアンツ (現在はサンフランシスコ) に在籍した。
経歴
[編集]生まれ故郷にあるパセーイク高校、次いでフェアレー・ディキンソン大学 (メトロポリタン・キャンパス) を経てプロ入り。何年にプロ入りしたのかは不明である。
メジャーデビューを飾ったのは、1946年9月10日の対ピッツバーグ・パイレーツ戦であり、同試合には「8番・セカンド」でスタメン出場した。4回打席に入り、ヒットは放てなかったが四球を1つ選んだ[1]。その後、結果的にラジェスキーにとってメジャー最終戦となる試合はすぐにやってきた。メジャーデビューから12日後の9月22日、対フィラデルフィア・フィリーズ戦に同じく「8番・セカンド」でスタメン出場した[2]のを最後に、メジャーの舞台から姿を消した。6試合に出場して打率.200を記録、また守備面では、6試合中4試合でセカンドを守り、1失策・守備率.964という成績だった。
1976年8月15日にニュージャージー州の街・ラムジーで没し、同州・マーワーにあるマリーレスト・セメトリー (英:Maryrest Cemetery) に埋葬された[3]。
詳細情報
[編集]背番号
[編集]- ニューヨーク・ジャイアンツ
- 21 (1946)
年度別打撃成績 (MLB)
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1946 | NYG | 6 | 14 | 10 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | - | 0 | - | 3 | - | 1 | 2 | 0 | .200 | .429 | .200 | .629 |
通算:1年 | 6 | 14 | 10 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | - | 0 | - | 3 | - | 1 | 2 | 0 | .200 | .429 | .200 | .629 |
- 「-」は記録なし。
出典
[編集]- ^ September 10, 1946 PIT VS NYG - Baseball-Reference.com (英語) . 2015年2月22日閲覧。
- ^ September 22, 1946 NYG VS PHI - Baseball-Reference.com (英語) . 2015年2月22日閲覧。
- ^ Dick Lajeskie Statistics and History - Baseball-Reference.com (英語) . 2015年2月22日閲覧。