ディーン・スミス (バスケットボール)

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ディーン・スミス
c. 1973年のスミス
人物
生誕 (1931-02-28) 1931年2月28日
カンザス州エンポリア
死去 2015年2月7日(2015-02-07)(83歳)
ノースカロライナ州チャペルヒル
選手経歴
1949–1953 カンザス大学
コーチ経歴 (特記無き場合HC)
1953–1955 カンザス大学 (AC)
1955–1958 空軍士官学校 (AC)
1958–1961 ノースカロライナ大学 (AC)
1961–1997 ノースカロライナ大学
ヘッドコーチ記録
勝敗 879勝254敗
受賞歴・記録
選手権
コーチ時代
  • 2 NCAAチャンピオン (1982, 1993)
  • 11 NCAAファイナル・フォー出場 (1967–1969, 1972, 1977, 1981, 1982, 1991, 1993, 1995, 1997)
  • 13 ACCトーナメント (1967–1969, 1972, 1975, 1977, 1979, 1981, 1982, 1989, 1991, 1994, 1997)
  • 17 ACCレギュラーシーズンチャンピオン (1967–1969, 1971, 1972, 1976–1979, 1982–1985, 1987, 1988, 1993, 1995)
  • NIT (1971)

選手時代
NCAAディビジョンIトーナメント (1952)
受賞
バスケットボール殿堂
1983年殿堂入り
カレッジバスケットボール殿堂
2006年殿堂入り
獲得メダル
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国のヘッドコーチ


近代オリンピック
金メダル - 1位 1976 モントリオール ヘッドコーチ

ディーン・スミス (Dean Edwards Smith, 1931年2月28日 - 2015年2月7日) は、アメリカ合衆国カンザス州エンポリア出身の元カレッジ・バスケットボールヘッドコーチバスケットボール殿堂から「伝説のコーチ」と称され、ノースカロライナ大学チャペルヒル校で36年間コーチを務めた。スミスは1961年から1997年にかけてヘッドコーチを務め、当時のNCAAディビジョンI男子バスケットボールの歴代記録である879勝を挙げて引退した[a]。また、歴代9番目に高い勝率(77.6%)を誇っていた[1]。ヘッドコーチ在任中にノースカロライナ大学は2度の全米選手権を制し、11回のファイナル・フォーに出場した[2]。ヘッドコーチになる前はカンザス大学でバスケットボール選手として活躍し、1952年には殿堂入りしたフォグ・アレン英語版の下でプレーし、全米選手権を制覇した。

経歴[編集]

生い立ち[編集]

スミスは1931年2月28日カンザス州エンポリアで生まれた[3][4]。両親とも公立学校の教師であり[3]、父アルフレッドはエンポリア・ハイスパルタンズ英語版バスケットボールチームを指導しており[3]、1934年にカンザス州の州チャンピオンに導いた[3]。このチームは1934年にカンザス州トーナメント史上初のアフリカ系アメリカ人のバスケットボール選手を起用したことで注目されていた[3]。スミスはトピカ高校英語版に通い、4年間この高校でバスケットボール選手として活躍し、4年生時にはバスケットボールでオールステート(州)チームにも選ばれた[3][5]。彼のスポーツへの関心は、バスケットボールだけにとどまらなかった。高校のフットボール部ではクォーターバック野球部では捕手としても活躍した[5]

カレッジ時代[編集]

高校卒業後、奨学金を得てカンザス大学に進学し、数学を専攻していたこともあり、ファイ・ガンマ・デルタ英語版という友愛会に入会した[5][6]。同大学在学中、スミスはスポーツに興味を持ち続け、1年生時はバスケットボール、野球、フットボールの代表チームで活躍した。また、空軍のROTC分遣隊にも所属していた。バスケットボールチームでは、1952年に全米チャンピオンを果たしている[5][6]。同大学時代のバスケットボールコーチは、バスケットボールの考案者であるジェームス・ネイスミスから指導を受け、全米バスケットボールコーチ協会の設立者でもあるフォグ・アレン英語版であった[6]。卒業後、スミスは同大学でアシスタントコーチを務めた[7]

コーチ時代[編集]

バスケットボールの指導を始めた頃[編集]

1954年6月7日アメリカ空軍の少尉に任命され、ドイツフュルステンフェルトブルク空軍基地ドイツ語版に駐留し、ヨーロッパ向けの空軍バスケットボール選手権で優勝したチームの一員であった[8]。その後、アメリカ空軍士官学校の野球部やゴルフ部のヘッドコーチを務めた[7]。しかし、彼が大きく飛躍するのは、アメリカでのことだった。1958年、ノースカロライナ州のコーチ、フランク・マクガイアがスミスをアシスタントコーチとして招聘した。1958年、ノースカロライナ大学のヘッドコーチであったフランク・マクガイア英語版は、スミスにアシスタントコーチとしてスタッフに加わるよう要請した[7]。1961年まで彼はマクガイアの下で3年間アシスタントを務め、マクガイアは、大規模なリクルートスキャンダルの影響で、ウィリアム・エイコック英語版理事長から辞任を迫られ、その結果、NCAAの保護観察処分を受けることになった。

1964年のUNC対ノースカロライナ州立大学の試合でのディーン・スミス (右) 。

数年後、エイコックはある土曜日にマクガイアがオフィスにやってきて、辞表を告げたことを思い出した。スミスは、サウスビル(UNCの主要な管理棟)の外にあるマクガイアの車の中で待っていたので、エイコックは彼を呼び寄せ、ヘッドコーチを引き受けるかどうか尋ねたのである。スミスはこれを受け入れ、翌週の月曜日に正式に採用が発表された[9]。エイコックはスミスをヘッドコーチに指名した時、30歳の彼に「勝ち負けよりもクリーンなプログラムを運営し、大学を代表することが大事なんだ」と言ったという[10]

アトランティック・コースト・カンファレンス(ACC)は、同大学の選手(ルー・ブラウン)を含む全米規模の点数稼ぎ疑惑により、ノースカロライナ州ローリーで毎年行われていたバスケットボール大会、ディキシー・クラシック英語版を中止していたのであった[11]。このスキャンダルの結果、ノースカロライナ大学はレギュラーシーズンのスケジュールを減らし、バスケットボールに重点を置かなくなった。スミスの就任初シーズン、同大学は17試合しか行わず、8勝9敗だった[7][12]。このシーズンはコーチ生涯にとって唯一の負け越しだった[13]。1965年、ウェイクフォレスト大学に敗れた後、大学構内で絞首刑にされたのは有名な話である[7]。この試合の後、UNCはシーズン終盤の11試合で9勝を挙げ[14]、その後に亘、同大学を屈指の強豪校に導くことになるのであった。1965年から1966年にかけて、スミスが指揮した同チームはACCで3位タイ以下になったことはなく[15] 、そのうち21年間は、2位タイ以下の成績を収めたことがない。それに比べ、ACCの他のチャーターメンバーは、その期間にそれぞれ少なくとも1度は最下位になったことがあった。

1960年代後半、彼のチームはレギュラーシーズンとACCトーナメントで連続優勝し、3年連続でファイナル・フォーに進出、1968年には全米選手権まで勝ち進んだ。チャペルヒルでの最後の31年間は、すべてNCAAかNITに出場していた。しかし、この時代はUCLAが12年間うち10回優勝という黄金期真っ只中であり、実際に1968年のタイトル戦でジョン・ウッデン率いるUCLAに敗れている。

初の全米チャンピオン[編集]

2007年のノースカロライナ大学チャペルヒル校の試合前に行われた1957年と1982年の男子バスケットボールチームの表彰でのマイケル・ジョーダンとディーン・スミス。

スミスが初めて全米チャンピオンを果たしたのは、マイケル・ジョーダンジェームズ・ウォージーサム・パーキンスなど、後にNBAで活躍する選手が所属していた1981-82シーズンのチームであった[16]。NCAAトーナメントで優勝した際のノースカロライナ大学の成績は32勝2敗であった[17]。同大学とともに勝ち進んだ他のチームは、ジョージタウン大学ヒューストン大学ルイビル大学だった。ACCレギュラーシーズンでは、ラルフ・サンプソン率いるバージニア大学キャバリアーズと同率1位でシーズンを終え、準決勝ではヒューストン大を68-63で破り、ジョージタウン大はルイビル大を50-46で破った。

ジョージタウン大とのタイトル戦は、終始互角の戦いだった。しかし、残り時間17秒の1点ビハインドのところで、ジョーダンが63-62で逆転するウィニングショットを決めたのである。その直後のジョージタウンのポゼッションで、ガードのフレッド・ブラウンが不可解にも味方選手がどこにもいないジェームズ・ウォージーのところに痛恨のパスミスを犯してしまい、ウォージーはドリブルで残り時間をつぶそうとしたが、残り2秒のところでファウルされた。ウォージーはフリースローを2本とも外してしまったが、ジョージタウン大にはタイムアウトが残っていなかったため、時間切れで放ったハーフコートショットは失敗し、スミスは7回目のファイナル・フォー出場で初の全米チャンピオンを成し遂げた。

2回目の全米チャンピオン[編集]

1992-93シーズンのチームは、ジョージ・リンチ英語版エリック・モントロス英語版、ブライアン・リース、ドナルド・ウィリアムズ英語版デリック・フェルプス英語版を擁し、ターヒールズは開幕8勝0敗でスタートして、レインボークラシックの準決勝で6位のミシガン大学ウルヴァリンズと対戦した時には全米5位にランクインしていた。2年目のシーズンを迎えたファブ・ファイブ率いるウルヴァリンズは、ラスト2秒のショットで79-78と勝利を収めた。ターヒールズは9連勝で立ち直った後、ランク外のウェイクフォレスト大と5位のデューク大学ブルーデビルズとのロードゲームで連敗した。そこからターヒールズは7連勝し、レギュラーシーズン最終週を迎えてランキング1位となった(1987-88シーズン開幕以来、初のランキング1位)。レギュラーシーズン終盤でランキング14位のウェイクフォレスト大と6位のデューク大を破り、ACCトーナメントの第1シードを獲得した。ターヒールズはトーナメント決勝に進んだが、デリック・フェルプスを負傷で欠いたまま、ジョージア工科大学に77-75で敗れた。それでも同チームはNCAAトーナメントの東地区で第1シードを獲得し、第16シードのイーストカロライナ大学(85-65)、第8シードのロードアイランド大学英語版(112-67)、第4シードのアーカンソー大学(80-74)、第2シードのシンシナティ大学(75-68)と勝ち進め、ニューオーリンズで開催されたファイナル・フォーへの切符をつかんだ。

準決勝では、スミスの母校であるカンザス大学ジェイホークス(後にノースカロライナ大学のコーチとなるロイ・ウィリアムズ英語版がHCを務めていた)を78対68で破った。1991年の全米準決勝でも同じチームが対戦し、カンザス大学が勝利し、スミスは退場させられた。1993年にUNCが勝利したことで、そのシーズンの初めに戦った宿敵であるミシガン大学 (ランキング3位) との決勝戦の再戦が決まった。1993年の全米タイトル戦は終始拮抗した戦いになったが、クリス・ウェバーがサイドライン際で2人のディフェンダーに捕まりながらタイムアウトを取ったのが最も印象的となった。試合終盤、ミシガン大学にはタイムアウトが残っておらず、2点差まで追い上げられ、その後ウルヴァリンズにテクニカルファウルを課されるなど、結局77-71でターヒールズが勝利し、スミスは2度目の全米チャンピオンをもたらした[18]。また、当時NCAAによる6年間の調査の結果、ウェバーとエド・マーティンという後援者から金銭的な取引の一連による違反行為や選手への直接支払いがあったと判断され、この出来事は「ミシガン大学バスケットボールのスキャンダル」と呼ばれ、ミシガン大学は当時のバナーや優勝タイトルをすべて剥奪するに至った。

引退[編集]

1997年10月9日、スミスは引退を発表した。以前に彼は「長年チームに与えてきた熱意を出せないと思ったら、引退する」と言っていたのである[19]。引退の予告はほとんどしていなかったため、この発表は予想外のことであった[20]。その後、30年間アシスタントを務めたビル・ガスリッジ英語版が後任のヘッドコーチに就任した。

引退後、スミスはノースカロライナ大学のバスケットボールプログラムに大きな影響を与えた。2003年に低迷するチームを指揮していたマット・ドハーティ英語版の後任としてスミスはロイ・ウィリアムズ英語版がヘッドコーチに就任するかどうかの決断について相談した[21]。ウィリアムズは3年前にガスリッジが引退したときに、ヘッドコーチの座を辞退したことがあった[22]

2010年7月、スポーツライタージョン・ファインスタイン英語版は、スミスの伝記を書く予定だったが、スミスの記憶力が低下しているため棚上げにせざるを得なかったことを明かした[23]。その直後の2010年7月17日、スミスの家族は、彼が「進行性神経認知障害」であるとする手紙を発表したが、アルツハイマー病などとは公にはされていない。手紙には彼は何人かの選手の名前を思い出すのにも苦労し、しかし彼はそれらの選手との彼の関係が何を意味したかを忘れることができなかった。讃美歌ジャズのスタンダード曲の歌詞も覚えていたが、コンサートには行かなかった。旅行にはなかなか行けないが、かつてのチームをテレビで見ることは続けていた。ウィリアムズは、「彼にはいい日もあれば悪い日もある」と言ったことが書かれている[24]

死去[編集]

ディーン・スミスは2015年2月7日の夜、家族に囲まれたチャペルヒルの自宅で83歳の生涯を閉じた[25]。2月12日、チャペルヒルのビンクリーバプティスト教会で個人葬が行われ、その後、UNCキャンパス内のオールドチャペルヒル墓地に埋葬された[26]。2月22日、ディーン・スミス・センター英語版で公開追悼式が行われた[26]

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ NCAA stats”. NCAA. NCAA. 2006年10月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年2月1日閲覧。
  2. ^ Dean Smith Biography”. Hall of Famers. Naismith Memorial Basketball Hall of Fame, Inc.. 2007年5月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2006年10月29日閲覧。
  3. ^ a b c d e f Wolff, Alexander. “Growing Up, 1931–49”. Sports Illustrated. オリジナルの2004年9月12日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20040912204255/http://sportsillustrated.cnn.com/features/1997/sportsman/sport2.html 2006年10月29日閲覧。 
  4. ^ Smith, Dean E.”. Kansas Sports Hall of Fame. 2007年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2006年10月29日閲覧。
  5. ^ a b c d Mike Puma (2006年5月18日). “The Dean of College Hoops”. ESPN. オリジナルの2008年10月10日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20081010154817/http://sports.espn.go.com/espn/classic/bio/news/story?page=Smith_Dean 2006年10月29日閲覧。 
  6. ^ a b c Wolff, Alexander. “College Years, 1949–53”. Sports Illustrated. オリジナルの2005年12月18日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20051218024109/http://sportsillustrated.cnn.com/features/1997/sportsman/sport3.html 2006年8月16日閲覧。 
  7. ^ a b c d e Wolff, Alexander. “Starting Out, 1953–65”. Sports Illustrated. オリジナルの2005年4月9日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20050409174227/http://sportsillustrated.cnn.com/features/1997/sportsman/sport4.html 2006年10月29日閲覧。 
  8. ^ Davis, Jeff. Dean Smith: A Basketball Life, Rodale, Inc., New York, 2017, pages 65 and 73. ISBN 978-1-62336-360-4.
  9. ^ Huffman, Diane. UNC chancellor recalls bold decision to hire Dean Smith. WNCN, February 8, 2015.
  10. ^ Chansky, Art. Blue Blood:Duke-Carolina: Inside the Most Storied Rivalry in College Hoops. New York City: St. Martin's Press, 2006. ISBN 0-312-32787-0
  11. ^ A.J. Carr (2006年3月16日). “Dixie Classic scandal left bad taste”. The News & Observer. オリジナルの2007年3月11日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20070311194053/http://www.newsobserver.com/122/story/418466.html 2006年10月29日閲覧。 
  12. ^ Adam Lucas (2002年12月19日). “Smith's First Five Teams To Reunite Tonight”. Tar Heel Monthly. オリジナルの2007年3月23日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20070323193043/http://tarheelblue.cstv.com/sports/m-baskbl/spec-rel/121902aaa.html 2006年10月29日閲覧。 
  13. ^ In 36 seasons as North Carolina head coach, Dean Smith's only losing season was his first”. Twitter. ESPN (2015年2月8日). 2015年10月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年2月8日閲覧。
  14. ^ Wolff, Alexander. “Installing the System, 1965–82”. Sports Illustrated. オリジナルの2005年9月15日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20050915054908/http://sportsillustrated.cnn.com/features/1997/sportsman/sport5.html 2006年10月29日閲覧。 
  15. ^ Wolff, Alexander. “Breaking Through, 1982–1997”. Sports Illustrated. オリジナルの2004年9月12日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20040912204303/http://sportsillustrated.cnn.com/features/1997/sportsman/sport6.html 2006年10月29日閲覧。 
  16. ^ Curry Kirkpatrick (1982年4月5日). “Nothing Can Be Finer”. Sports Illustrated. オリジナルの2009年2月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090204095114/http://sportsillustrated.cnn.com/si_online/flashbacks/jordan/820405/ 2007年8月5日閲覧。 
  17. ^ Tarheel Monthly A Magical Season - Celebrating the 20th Anniversary of the 1982 NCAA Champs Archived August 18, 2007, at the Wayback Machine.. Published March 2002. Retrieved on August 13, 2007.
  18. ^ Adam Lucas (2003年3月30日). “THM: Looking Back At 1993”. Tar Heel Monthly. オリジナルの2007年11月17日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20071117134154/http://tarheelblue.cstv.com/sports/m-baskbl/spec-rel/033003aaa.html 2007年8月8日閲覧。 
  19. ^ “END OF AN ERA”. Online NewsHour:Dean Smith Retires: October 9, 1997 (PBS). (1997年10月9日). オリジナルの2006年3月25日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20060325222343/http://www.pbs.org/newshour/bb/sports/july-dec97/dean_10-9.html 2006年10月29日閲覧。 
  20. ^ Ensslin, Paul; Asher, Mark (1997年10月9日). “North Carolina Coach Dean Smith to Retire Today”. The Washington Post. https://www.washingtonpost.com/archive/sports/1997/10/09/north-carolina-coach-dean-smith-to-retire-today/30e1563a-4c8b-4356-9529-64b37b22931e/ 2020年7月2日閲覧。 
  21. ^ “Goin' to the Chapel (Hill)”. Sports Illustrated. (2003年4月14日). オリジナルの2006年6月17日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20060617011150/http://sportsillustrated.cnn.com/basketball/college/news/2003/04/14/williams_leaves_ap/ 2006年10月29日閲覧。 
  22. ^ Eddie Pells (2003年11月9日). “Williams still not thrilled about move”. Lawrence Journal-World, 6News. オリジナルの2007年7月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20070708181424/http://www2.kusports.com/news/2003/nov/09/williams_still_not/ 2006年10月29日閲覧。 
  23. ^ John Feinstein (2010年7月12日). “Not wanting to break the story, I can now discuss Dean Smith”. オリジナルの2010年7月15日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100715082056/http://www.feinsteinonthebrink.com/index.php?id=7173105808224240770 2010年7月15日閲覧。 
  24. ^ Pickeral, Robbi; Tomlinson, Tommy (2010年7月17日). “Dean Smith's disorder doesn't diminish his spirit”. News and Observer. オリジナルの2010年7月19日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100719170847/http://www.newsobserver.com/2010/07/17/585763/dean-smith.html 2010年7月17日閲覧。 
  25. ^ Carolina's Dean Smith passes away at age 83”. www.unc.edu. 2015年2月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年2月8日閲覧。
  26. ^ a b “Loved ones mourn Dean Smith”. ESPN.com. (2015年2月12日). オリジナルの2015年2月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150213105807/http://espn.go.com/mens-college-basketball/story/_/id/12316909/dean-smith-north-carolina-tar-heels-honored-mourners-private-service 2015年2月13日閲覧。 

外部リンク[編集]