デイトン・ムーア
デイトン・ムーア(Dayton Moore 1967年2月17日 - )は、MLB・カンザスシティ・ロイヤルズのゼネラルマネージャー (GM)(2006年6月 - )。
来歴
[編集]カンザスシティから200マイルほど離れたカンザス州ウィチタ出身。カンザスシティ・ロイヤルズファンとして育ち、1985年のワールドシリーズの時はロイヤルズ・スタジアム(現:カウフマン・スタジアム)の外野の芝生で観戦していた[1]。
その後、1994年よりアトランタ・ブレーブス入りし、チーム編成の達人と言われるジョン・シャーホルツGMの下、スカウト、GM補佐を務めた。
2006年6月、ロイヤルズのアラード・ベアードGMの解任を受け、後任に抜擢された。当初は結果が出ず、チームの長期低迷を脱することができなかった。しかし、その間にビリー・バトラー、アレックス・ゴードン、マイク・ムスタカス、エリック・ホズマー、サルバドール・ペレスら生え抜きの有望株が育ち、これが後の躍進につながっていく。
後述のトレードの成果もあり、2013年は投手陣がアメリカンリーグトップのチーム防御率(3.45)を記録するなど奮闘し、チーム10年ぶり及びムーアがGMになって初のシーズン勝ち越し(86勝76敗で3位)[2]。翌2014年には29年ぶりにポストシーズンに進出し、リーグ優勝。そして2015年には30年ぶりとなるワールドシリーズ制覇を果たした。
GMとしての特徴
[編集]ドラフトや海外FAでは粗削りで体格にハンディがあっても、走力、肩、パワーなどに長けた選手を好む傾向が強い[3]。トレードやFAでの補強では、GMになって数年間は古巣のブレーブス出身選手や積極的に打ちにいくフリースインガータイプの選手を獲得することが多かった(前者はブルース・チェンやブライアン・ペーニャ、後者はユニエスキー・ベタンコートやジェフ・フランコーアなど)。
トレードの成功例
[編集]- 2010年12月18日にミルウォーキー・ブルワーズとのトレードで、サイ・ヤング賞を獲得するなどエースとして君臨したザック・グレインキー、この年主力打者として活躍したベタンコートを出して、ロレンゾ・ケイン、アルシデス・エスコバー、ジェレミー・ジェフレス、ジェイク・オドリッジの若手有望株4人を獲得。このうちケイン(中堅手)とエスコバー(遊撃手)はセンターラインのレギュラーとなり、ロイヤルズ移籍後に本格ブレークした。
- 2012年12月9日にタンパベイ・レイズとのトレードで、メジャーデビュー目前で超有望株との評判のウィル・マイヤーズ、先発候補の若手右腕オドリッジらを出して、右のエースジェームズ・シールズ、先発・リリーフとして重宝していたウェイド・デービスらを獲得[4]。シールズは1年目ア・リーグ最多の228.2回を投げて13勝、2年目も227回を投げて14勝と2013年のチーム10年ぶりのシーズン勝ち越し及び2014年のチーム29年ぶりのワールドシリーズ進出にそれぞれ貢献。デービスは1年目先発して防御率5点台だったものの8勝を挙げ、2年目にはリリーフに固定で勝ち試合の8回を任されて71試合に登板して9勝2敗3セーブ・防御率1.00で被本塁打0の圧倒的な好成績、さらに2015年のワールドシリーズでは30年ぶりの世界一の瞬間には「胴上げ投手」となった。
脚注
[編集]- ^ 「ポール・ホワイト記者の目からウロコっ! 第5回 長期低迷球団の現状」『月刊メジャー・リーグ』2006年10月号 ベースボール・マガジン社 30頁
- ^ 「夜明け前 2013ロイヤルズの軌跡」『月刊スラッガー』2013年12月号 日本スポーツ企画出版社 32-35頁
- ^ “好調ロイヤルズ投手陣 最速160キロ超“剛腕”ズラリの理由”. 日刊ゲンダイ (2014年10月24日). 2017年5月13日閲覧。
- ^ 「レイズ&ロイヤルズ/それぞれの選択」『月刊スラッガー』2013年3・4月合併号 日本スポーツ企画出版社 28-31頁