デイヴィッド・カーネギー (1813年生の実業家)
デイヴィッド・カーネギー(英語: David Carnegie the Younger、スウェーデン語: David Carnegie den yngre、1813年5月3日 – 1890年2月15日)は、スウェーデンの実業家。1830年にヨーテボリに渡って伯父デイヴィッドの貿易会社D・カーネギー社で働き、1836年に共同経営者として認められた[1]。ヨーテボリ大学に多額の寄付を行い、1859年にヨーテボリ王立芸術科学協会会員に選出された[1]。
生涯
[編集]ジェームズ・カーネギー(James Carnegie、1773年1月8日 – ?、ジョージ・カーネギーの息子)と妻マーガレット(Margaret、旧姓ガレスピー(Gillespie)、ジョン・ガレスピーの娘)の息子として、1813年5月3日にロンドン近郊で生まれた[2][1]。1830年にヨーテボリに渡り[3]、伯父デイヴィッドの貿易会社D・カーネギー社(D. Carnegie & co.、現カーネギー投資銀行)で商人としての教育を受けた[1]。1835年にはわずか22歳でヨーテボリで商業活動を行うための市民権を取得した[1]。1836年に伯父により共同経営者として正式に迎え入れられた[4]。
カーネギーはD・カーネギー社の経営者としてアブラハム・ロベルト・ロレントが1810年から1813年にかけてヨーテボリ近郊のクリッパンで設立した砂糖工場などを購入し、やがてD・カーネギー社の単独経営者になった[1]。
1845年に伯父の娘と結婚した後、スコットランドに帰国し、会社については最大株主の地位を維持したものの経営はオスカル・エックマンに任せた[1]。
1849年にストロンヴァー(Stronvar)の、1857年にイーストベリーの地所を購入した[3]。
ヨーテボリ大学に150万から200万スウェーデン・クローナという多額の寄付を行い、1859年にヨーテボリ王立芸術科学協会会員に選出された[1]。
1877年、ハートフォードシャー州長官を務めた[3]。
1890年2月15日にストロンヴァーで死去した[1]。
家族
[編集]1837年にユリエ・ボレッテ・ツォイテン(Julie Bolette Zeuthen、1838年没[注釈 1])と結婚[1]、1女(夭折)をもうけた[3]。
1845年にスーザン・メアリー・アン・カーネギー(Susan Mary Anne Carnegie、1859年没、デイヴィッド・カーネギーの一人娘)と再婚、2男1女をもうけた[3]。
- ジェームズ(1846年9月9日 – 1925年5月31日[5]) - 1872年、メアリー・ベシューン・ガレスピー(Mary Bethune Gillespie、デイヴィッド・ガレスピーの娘)と結婚[2]
- デイヴィッド・ダグラス(1848年[3] – 1856年2月13日[5])
- ジュリー・イザベラ(Julie Isabella、1850年7月10日 – 1930年11月1日) - 1881年10月4日、チャールズ・ホープ大佐(Charles Hope、1850年1月28日[6] – 1930年8月25日)と結婚[3]、子供なし[2]
注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j "Carnegie, David, d. y.". Svenska män och kvinnor (スウェーデン語). Vol. 2. Stockholm: Albert Bonniers Förlag. 1944. p. 43.
- ^ a b c Paul, James Balfour, Sir, ed. (1911). The Scots Peerage (英語). Vol. VIII. Edinburgh: David Douglas. p. 83.
- ^ a b c d e f g h Pirie-Gordon, Charles Harry Clinton, ed. (1937). Burke's Genealogical and Heraldic History of the Landed Gentry (英語) (15th ed.). p. 356.
- ^ "Carnegie, David, d. ä.". Svenska män och kvinnor (スウェーデン語). Vol. 2. Stockholm: Albert Bonniers Förlag. 1944. p. 43.
- ^ a b Cormack, A. A. (1970). "The Universities of Gothenburg". Aberdeen University Review (英語). Aberdeen University Press. 43: 163.
- ^ Who was who: A Companion to "Who's Who" (英語). Vol. 3. A. & C. Black. 1960. p. 661.