デレク・クレイトン
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デレク・クレイトン (Derek Clayton、1942年11月17日 - )は、オーストラリアの陸上競技選手(出身はイギリス)である。男子マラソンの元世界最高記録保持者。
クレイトンは、1967年の国際マラソンでそれまで重松森雄が持っていた記録を2分23秒6も更新する、2時間9分36秒4の世界最高記録を樹立した[1]。これは世界で初めて2時間10分を破るタイム(サブテン)であった[1]。当時、陸上関係者の間ではサブテンが実現するのは1970年代という意見が多く[2]、衝撃をもって受け止められた。
1968年メキシコシティーオリンピックに出場したが、7位に終わっている(当時オリンピックの入賞は6位まで)。
翌1969年、アントウェルペンのマラソンで2時間8分33秒6と、自己の持つ世界最高記録を更新した。この記録は1981年にオーストラリアのロバート・ド・キャステラが破るまで、12年間保持された。のみならず、それまでの間は唯一の2時間8分台の記録でもあった。関係者の間には距離不足を疑う声もあったが、クレイトンが福岡で世界最高記録を樹立したという前歴もあり、再計測等は行われなかった。
クレイトンの記録は現在も国際陸連公認である(参考リンク:Derek CLAYTON)が、一部には500mの距離不足としてこれを認めない立場もある[1] (年度記録ではなく"500m Short"の欄に別記載)。
1971年にはホバートのNCマラソンで年度ランキング1位を記録したが、1972年ミュンヘンオリンピックは13位に終わり、オリンピックでは入賞することができなかった。
マラソン成績
[編集]- 自己最高記録…2時間08分33秒6(1969年5月)
年月 | 大会名 | タイム | 順位 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1965.10 | メルボルン | 2:22:12 | 優勝 | |
1966.05 | NCマラソン(バララト) | ----------- | (棄権) | |
1967.08 | ターベ | 2:18:28 | 優勝 | |
1967.09 | NCマラソン(アデレード) | 2:21:58 | 優勝 | |
1967.12 | 国際マラソン | 2:09:36.4 | 優勝 | 世界最高記録、史上初のサブテン |
1968.05 | NCマラソン(ホバート) | 2:14:47.8 | 優勝 | |
1968.10 | メキシコシティオリンピック | 2:27:23.6 | 7位 | |
1969.05 | アンカラ | 2:17:26 | 優勝 | |
1969.05 | アントウェルペン | 2:08:33.6 | 優勝 | 世界最高記録、自己最高記録 |
1969.07 | マクソールマラソン(マンチェスター) | 2:15:40 | 2位 | |
1970.06 | ツララルゴン | 2:13:39.4 | 優勝 | |
1970.07 | 英連邦大会マラソン(エディンバラ) | ----------- | (棄権) | |
1970.10 | コシチェマラソン | 2:21:11 | 5位 | |
1971.08 | モウウェル | 2:24:40 | 優勝 | |
1971.09 | NCマラソン(ホバート) | 2:11:08.8 | 優勝 | |
1972.06 | ターベ | 2:20:25 | 優勝 | |
1972.07 | ユロア | 2:16:19 | 優勝 | |
1972.09 | ミュンヘンオリンピック | 2:19:49.6 | 13位 | |
1972.12 | 国際マラソン | ----------- | (棄権) | |
1973.08 | バララト | 2:17:23 | 優勝 | |
1973.09 | NCマラソン(パース) | 2:12:07.6 | 優勝 | |
1974.01 | 英連邦大会マラソン(クライストチャーチ) | ----------- | (棄権) |
脚注
[編集]- ^ a b 第21回大会 - 福岡国際マラソンプレーバック(マラソン公式サイト)
- ^ 一例として、円谷幸吉は前年に日本陸上競技連盟に提出した「マラソン競技者調書」に「向こう五~一〇年の間には一〇分台を割って八分台~九分台へ突入するものと思われます」と記していた(松下茂典『円谷幸吉 命の手紙』文藝春秋、2019年、p.140)。
外部リンク
[編集]- デレク・クレイトン - Olympedia