トゥールーズ伯
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トゥールーズ伯(フランス語: comte de Toulouse オック語: comte de Tolosa)は、フランスのトゥールーズとその周辺地域を支配した伯爵。
歴史
[編集]1208年、異端カタリ派の鎮圧のため訪れていた教皇特使ピエール・ド・カステルノーがレーモン6世の家臣により暗殺され、この事件をきっかけにアルビジョア十字軍が結成された[1]。ラングドックはレスター伯シモン・ド・モンフォール率いるアルビジョア十字軍により荒廃した。レーモン6世は1211年に破門された上、1213年のミュレの戦いにおいて敗北し、1215年の第4ラテラン公会議において伯の財産を没収された[2]。シモン・ド・モンフォールは1215年にトゥールーズを占領したが、1218年のトゥールーズ包囲戦で戦死し[3]、レーモン6世は伯領を奪回した。
レーモン7世は、レーモン6世とイングランド王女ジョーンとの息子であり、1222年に伯位を継いだ。異端派の抵抗が続く中、1226年にレーモン7世の破門および伯領のフランス王への帰属が決定されると、フランス王ルイ8世は軍を率いてランクドックを制圧した[4]。1229年のモー条約(パリ条約)において、レーモン7世は新王ルイ9世にローヌ川以西の領地を譲渡、一人娘で相続人のジャンヌとルイ9世の弟のポワチエ伯アルフォンスとの結婚を承諾した[4]。1249年にレーモン7世は死去し、トゥールーズはジャンヌとアルフォンスが相続したが、2人の間には子供がなく、ともに1271年に死去し、広大なトゥールーズ伯領はフランス王領となった。
トゥールーズ領主一覧
[編集]- レーモン1世(852年 - 865年)
- ユニフレッド(852年 - 865)
- ベルナール2世(863年 - 866年)
- ウード(886年 - 918年)
- レーモン2世(918年 - 924年)
- レーモン(3世)・ポンス(924年 - 950年頃)
- レーモン(4世)(950年頃 - 961年頃)
- ユーグ(961年頃 - 972年頃)
- レーモン(5世)(972年頃 - 978年頃)
- ギヨーム3世(978年 - 1037年)
- ポンス(1037年 - 1061年)
- ギヨーム4世(1061年 - 1094年)
- レーモン4世(6世)・ド・サン=ジル(1094年 - 1105年)
- ベルトラン(1105年 - 1109年)
- アルフォンス・ジュルダン(1109年 - 1112年) - まだ幼少であったため、統治権を従姉フィリッパに譲渡
- フィリッパ(1112年 - 1117年) - アキテーヌ公ギヨーム9世と結婚、共治
- アルフォンス・ジュルダン(1117年 - 1148年) - 再び伯位を継承
- レーモン5世(7世)(1148年 - 1194年)
- レーモン6世(8世)(1194年 - 1222年)
- レーモン7世(9世)(1222年 - 1249年)
- ジャンヌ(1249年 - 1271年) - ポワチエ伯アルフォンスと結婚、共治
カペー家
[編集]- フィリップ3世(1271年 - 1285年) - フランス王
以下、フランス王領に統合
ブルボン家
[編集]- ルイ=アレクサンドル(1681年 - 1737年) - フランス王ルイ14世とモンテスパン侯爵夫人との三男
脚注
[編集]参考文献
[編集]- Chisholm, Hugh, ed. (1911). Encyclopædia Britannica (11th ed.). Cambridge University Press.
- 柴田三千雄 他 編『世界歴史大系 フランス史 1』山川出版社、1995年
- 福井憲彦 編『新版 世界各国史 12 フランス史』山川出版社、2001年
- エリザベス・ハラム 編、川成 洋 他訳『十字軍大全』東洋書林、2006年
- 下津清太郎 編『世界帝王系図集 増補版』近藤出版社、1987年