レーモン・ポンス (トゥールーズ伯)
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レーモン・ポンス Raymond Pons | |
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トゥールーズ伯 | |
在位 | 924年 - 944年以降 |
出生 |
900年ごろ |
死去 |
944年以降 トゥールーズ |
埋葬 | サン=ポン=ド=トミエール |
配偶者 | ガルサンド |
子女 | レーモン(3/4世) |
家名 | トゥールーズ家 |
父親 | トゥールーズ伯レーモン2世 |
母親 | ギニディルダ・デ・バルセロナ |
レーモン・ポンス(フランス語:Raymond Pons, 900年ごろ - 944年以降)は、トゥールーズ伯(在位:924年 - 944年以降)。レーモン3世またはポンス1世とも[1]。
生涯
[編集]932年、レーモン・ポンスはフランス王ラウールに臣下の礼を取るため、叔父ルエルグ伯アルマンゴルおよび義兄ガスコーニュ公サンチョ4世・ガルセスとともに北へ向かった[2]。
936年、レーモン・ポンスはシャントゥジュ修道院を創建した。940年から941年の間、オーヴェルニュを支配した。944年、ユーグ大公およびフランス王ルイ4世がアキテーヌに入り、ユーグ大公はヌヴェールでレーモン・ポンスに会い、トゥルーズ伯らが王とともに王宮に戻った時にレーモン・ポンスの伯位を追認した。
レーモン・ポンスはガスコーニュ公ガルシア2世の娘と結婚した。この妃と同一人物かは不明であるがガルサンドという妃の名が伝わっている。息子とみられるレーモン(3/4世)がレーモン・ポンスの跡を継いだ。
脚注
[編集]- ^ この人物のことを伝統的にレーモン3世と呼んでいるが、この人物の後に少なくともさらに1人あるいは2人のレーモンという名のトゥールーズ伯がいることが分かり、新しく発見された息子を指すためにレーモン3世の名が用いられることがある。
- ^ Lewis 1965, pp. 184 n. 17 and 187: フロドアルトは著書『年代記』において、トゥールーズ伯らを「ゴティアの侯(principes Gothorum)」と記しており、彼らの連れを「Lupus quoque Acinarius Vasco」として挙げ、これはガスコーニュ公サンチョのことと解釈されている。
参考文献
[編集]- Lewis, A. R. (1965). The Development of Southern French and Catalan Society, 718–1050. Austin: University of Texas Press
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