トッシー・スピヴァコフスキー
表示
トッシー・スピヴァコフスキー | |
---|---|
基本情報 | |
生誕 | 1906年12月23日 |
出身地 | ウクライナオデッサ→ アメリカ合衆国 |
死没 | 1998年7月20日(91歳没) |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | ヴァイオリニスト |
担当楽器 | ヴァイオリン |
トッシー・スピヴァコフスキー(Tossy Spivakovsky, 1906年12月23日 - 1998年7月20日)[1]は、ロシア出身で、アメリカで活動したヴァイオリニスト。本名はナタン・スピヴァコフスキー(Nathan Spivakovsky)。
経歴
[編集]オデッサの出身。ベルリンでアリゴ・セラートとヴィリー・ヘスに師事する。10歳でデビューを果たし、13歳でヨーロッパ・ツアーを敢行して名声を高めた。18歳の時にヴィルヘルム・フルトヴェングラーに認められてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターに抜擢されている。1920年代から、兄のヤッシャ・スピヴァコフスキーとデュオを結成し、エドモント・クルツを加えてピアノ・トリオとしての活動も行うなど、室内楽での活動も活発であった。1933年にオーストラリアへ演奏旅行に行き、メルボルン音楽院の教授の職に就いた。1940年に渡米してニューヨークに住み、アルトゥール・ロジンスキの率いるクリーヴランド管弦楽団のコンサートマスターを務め、1943年にはバルトーク・ベーラのヴァイオリン協奏曲第2番のアメリカ初演で独奏を担当し、ソリストとしての名声を確立した。1974年から1989年まで、ジュリアード音楽院のヴァイオリンと室内楽の教授を務めた。
コネチカット州ウェストポートにて没。