トマス・アーチャー (初代アーチャー男爵)
初代アーチャー男爵トマス・アーチャー(英語: Thomas Archer, 1st Baron Archer、1695年7月21日 – 1768年10月19日)は、グレートブリテン王国の政治家、貴族。ホイッグ党に所属し、1735年から1747年まで庶民院議員を務めた[1]。弟に庶民院議員ヘンリー・アーチャーがいる[2]。
生涯
[編集]アンドルー・アーチャーと妻エリザベス(Elizabeth、旧姓ダッシュウッド(Dashwood)、サー・サミュエル・ダッシュウッドの娘)の長男として、1695年7月21日にウォリックシャーのノールで生まれた[1]。弟に庶民院議員ヘンリー・アーチャーがいる[2]。1712年7月25日、オックスフォード大学トリニティ・カレッジに入学した[3]。
1726年8月11日、キャサリン・ティッピング(Catherine Tipping、1754年7月20日没、初代準男爵サー・トマス・ティッピングの娘)と結婚、1男2女をもうけた[4]。キャサリンは裕福な相続人であり、アーチャーはこの資金を元手に議会選挙への影響力を得た[4]。
- キャサリン(Catherine、1790年8月12日没) - 1750年8月11日、第4代プリマス伯爵アザー・ルイス・ウィンザーと結婚、子供あり[5]
- アン(1775年6月20日没) - 1756年3月13日、エドワード・ガース=ターナー(後の初代ウィンタートン男爵、初代ウィンタートン伯爵)と結婚、子供あり[6]
- アンドルー(1736年7月29日 – 1778年4月18日/25日) - 第2代アーチャー男爵[7]
1734年イギリス総選挙で弟とともにウォリック選挙区から出馬、それぞれ228票と219票(得票数3位と4位)でトーリー党候補に敗れたが、選挙申し立ての末1735年2月にアーチャー兄弟の逆転当選が宣告された[8]。議会では首相ロバート・ウォルポールを支持し[4]、1741年イギリス総選挙でブランバー選挙区に鞍替えして、無投票で再選した[9]。ブランバー選挙区は初代準男爵サー・ヘンリー・ゴフが掌握していたが、ゴフは1741年の総選挙で議席をアーチャーに譲り、以降アーチャーはブランバー選挙区の2議席を租借した[9]。アーチャーは同年末までにウォルポールを見捨てて野党に転じたが、1742年初にウォルポール内閣が崩壊すると与党に転じた[4]。1741年12月31日に父が死去すると、その遺産を継承した[1]。
1747年イギリス総選挙で政府にブランバー選挙区の2議席を指名させ、自身が庶民院議員を退任する代償として[4]同年7月14日にグレートブリテン貴族であるウォリックシャーにおけるアンバースレイドのアーチャー男爵に叙された[1]。ブランバー選挙区とウォリック選挙区のほかにはコヴェントリー選挙区でも1議席への影響力を有した[10]。
1750年3月[1]から1753年5月までフリントシャー首席治安判事を務め、1757年にコヴェントリー市裁判所判事(recorder)を務めた[1]。
1768年10月19日にピアゴで死去、11月3日にタンワースで埋葬された[1]。息子アンドルーが爵位を継承した[1]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1910). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Ab-Adam to Basing) (英語). Vol. 1 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 188.
- ^ a b Matthews, Shirley (1970). "ARCHER, Henry (1700-68), of Hale, Hants.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年1月11日閲覧。
- ^ Foster, Joseph, ed. (1891). "Appleyard-Azard". Alumni Oxonienses 1500-1714 (英語). Oxford: University of Oxford. pp. 29–50.
- ^ a b c d e Matthews, Shirley (1970). "ARCHER, Thomas (1695-1768), of Umberslade, Warws. and Pirgo, Essex.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年1月11日閲覧。
- ^ "Plymouth, Earl of (E, 1682 - 1843)". Cracroft's Peerage (英語). 2 April 2003. 2021年1月11日閲覧。
- ^ "Winterton, Earl (I, 1766)". Cracroft's Peerage (英語). 31 August 2003. 2021年1月11日閲覧。
- ^ Drummond, Mary M. (1964). "ARCHER, Hon. Andrew (1736-78), of Umberslade, Warws.". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年1月11日閲覧。
- ^ Matthews, Shirley (1970). "Warwick". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年1月11日閲覧。
- ^ a b Sedgwick, Romney R. (1970). "Bramber". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年1月11日閲覧。
- ^ Cruickshanks, Eveline (1970). "Coventry". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年1月11日閲覧。
外部リンク
[編集]- "トマス・アーチャーの関連資料一覧" (英語). イギリス国立公文書館.
グレートブリテン議会 | ||
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先代 サー・ウィリアム・ケイト準男爵 ウィリアム・ブロムリー |
庶民院議員(ウォリック選挙区選出) 1735年 – 1741年 同職:ヘンリー・アーチャー |
次代 ウィルズ・ヒル ヘンリー・アーチャー |
先代 サー・ヘンリー・ゴフ準男爵 ヘンリー・ゴフ |
庶民院議員(ブランバー選挙区選出) 1741年 – 1747年 同職:ヘンリー・ゴフ |
次代 ジョセフ・ダマー ヘンリー・ゴフ |
名誉職 | ||
空位 最後の在位者 サー・ロジャー・モスティン準男爵
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フリントシャー首席治安判事 1750年 – 1753年 |
次代 プリマス伯爵 |
グレートブリテンの爵位 | ||
爵位創設 | アーチャー男爵 1747年 – 1768年 |
次代 アンドルー・アーチャー |