アンドルー・アーチャー (第2代アーチャー男爵)
第2代アーチャー男爵アンドルー・アーチャー(英語: Andrew Archer, 2nd Baron Archer、1736年7月29日 – 1778年4月18日/4月25日)は、グレートブリテン王国の貴族、政治家。1761年から1768年まで庶民院議員を務めた[1]。ホイッグ党所属[2]。
生涯
[編集]トマス・アーチャー(1747年に初代アーチャー男爵に叙爵)と妻キャサリン(Catharine、旧姓ティッピング(Tipping、1754年7月20日没、初代準男爵サー・トマス・ティッピングの娘)の息子として、1736年7月29日に生まれ、8月31日にピアゴで洗礼を受けた[2]。1747年から1753年までイートン・カレッジで教育を受けた後[1]、1754年7月8日にオックスフォード大学トリニティ・カレッジに入学した[3]。
1761年イギリス総選挙で父とコヴェントリーの地方自治体(corporation)の支持を受けてコヴェントリー選挙区から出馬したが、無所属のウィリアム・グローヴ(William Grove)との選挙戦に臨む必要があったため[4]、保険として腐敗選挙区のブランバー選挙区でも出馬した[1]。ブランバー選挙区では無投票で当選したが[5]、コヴェントリー選挙区でも得票数2位(994票)で当選したため[4]、後者の代表として議員を務めることを選択した[1]。議会ではホイッグ党に属し[2]、ビュート伯爵内閣期(1762年 – 1763年)に七年戦争の予備講和条約に反対票を投じ、グレンヴィル内閣期(1763年 – 1765年)に一般逮捕状(general warrant)に関する採決で野党の一員として投票した[1]。以降爵位継承まで野党の立場にあったが、議会で演説した記録はなかった[1]。1768年イギリス総選挙ではコヴェントリーの自治体反対派がウォルター・ウォーリング(Walter Waring)を推したが、やはり得票数2位(633票)で再選した[4]。1768年10月19日に父が死去すると、アーチャー男爵位を継承した[2]。
1778年4月18日か25日にメイフェアのポートマン・スクエアで死去、タンワースの教会に埋葬された[2]。息子が早世したため、爵位は廃絶した[2]。長女サラが遺産の大半を継承した[2]。
家族
[編集]1761年7月23日にピアゴでサラ・ウェスト(Sarah West、1741年5月11日 – 1801年2月18日、ジェームズ・ウェストの娘)と結婚、1男3女をもうけた[2]。
- サラ(1838年5月27日没) - 1778年5月20日、第5代プリマス伯爵アザー・ヒックマン・ウィンザーと結婚、子供あり[6]。1800年7月24日、初代アマースト伯爵ウィリアム・ピット・アマーストと再婚、子供あり[7]
- エリザベス・アン - クリストファ・マスグレイヴ(Christopher Musgrave、第6代準男爵サー・フィリップ・マスグレイヴの次男)と結婚、子供あり[8]
- マリア(1789年11月9日没) - 1788年11月4日、ヘンリー・ハワード(Henry Howard)と結婚[8]
- 男子(1771年11月27日 – 1778年までに没)[2]
出典
[編集]- ^ a b c d e f Drummond, Mary M. (1964). "ARCHER, Hon. Andrew (1736-78), of Umberslade, Warws.". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年1月10日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1910). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Ab-Adam to Basing) (英語). Vol. 1 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 188.
- ^ Foster, Joseph, ed. (1891). Alumni Oxonienses 1715-1886 (A to D) (英語). Vol. 1. Oxford: University of Oxford. p. 28.
- ^ a b c Brooke, John (1964). "Coventry". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年1月10日閲覧。
- ^ Brooke, John (1964). "Bramber". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年1月10日閲覧。
- ^ Burke's Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (99th ed.). London: Burke's Peerage Limited. 1949. p. 1597.
- ^ Douglas, Robert Kennaway (1885). . In Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 1. London: Smith, Elder & Co. pp. 360–361.
- ^ a b Burke, Sir Bernard (1866). A Genealogical History of the Dormant, Abeyant, Forfeited, and Extinct Peerages of the British Empire (英語). London: Harrison. p. 10.
グレートブリテン議会 | ||
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先代 ウィリアム・グローヴ サミュエル・グレートヒード |
庶民院議員(コヴェントリー選挙区選出) 1761年 – 1768年 同職:ジェームズ・ヒューイット 1761年 – 1766年 ヘンリー・シーモア=コンウェイ卿 1766年 – 1768年 |
次代 ヘンリー・シーモア=コンウェイ卿 サー・リチャード・グリン準男爵 |
先代 マルパス子爵 ナサニエル・ニューナム |
庶民院議員(ブランバー選挙区選出) 1761年 同職:ウィリアム・フィッツハーバート |
次代 ウィンタートン男爵 ウィリアム・フィッツハーバート |
グレートブリテンの爵位 | ||
先代 トマス・アーチャー |
アーチャー男爵 1768年 – 1778年 |
廃絶 |