グレンヴィル内閣
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グレンヴィル内閣(グレンヴィルないかく、英語: Grenville ministry)は、グレートブリテン王国の内閣。ジョージ・グレンヴィルを首相とし、1763年4月16日から1765年7月13日まで続いた。先代首相ビュート伯爵がパリ条約を締結したが、イギリスが七年戦争で多くの勝利を収めていたため、世論はパリ条約がフランス王国に寛容すぎたとしてビュート伯爵を激しく批判した。これによりビュート伯爵が辞任してグレンヴィルが後任となったが、グレンヴィル内閣の顔ぶれはビュート内閣のそれとほとんど同じだった。寵臣ビュート伯爵を追い落として成立した内閣だったため、国王ジョージ3世はグレンヴィル内閣を毛嫌いした[1]。
グレンヴィル内閣が続いた2年間、13植民地の本国への不満が積もり、やがてノース内閣の在任期間中の1775年にアメリカ独立戦争が勃発した。内政でもジョン・ウィルクスの誹謗文書などの対処に追われた。
ジョージ3世は相変わらずグレンヴィルを嫌い、やがて彼を罷免して第2代ロッキンガム侯爵を首相に据えたが、結局ロッキンガム侯爵もジョージ3世に嫌われた。
内閣
[編集]役職 | 肖像 | 名前 | 在任 |
---|---|---|---|
第一大蔵卿 財務大臣 庶民院院内総務 |
ジョージ・グレンヴィル | 1763年 - 1765年 | |
南部担当国務大臣 | イグリモント伯爵 | 1763年 | |
ハリファックス伯爵 | 1763年 - 1765年 | ||
ヘンリー・シーモア・コンウェイ | 1765年 | ||
北部担当国務大臣 | ハリファックス伯爵 | 1763年 | |
サンドウィッチ伯爵 | 1763年 - 1765年 | ||
グラフトン公爵 | 1765年 | ||
大法官 | ノーティントン伯爵 | 1763年 - 1765年 | |
枢密院議長 | グランヴィル伯爵 | 1763年 | |
ベッドフォード公爵 | 1763年 - 1765年 | ||
ウィンチルシー伯爵 | 1765年 | ||
王璽尚書 | マールバラ公爵 | 1763年 - 1765年 | |
海軍大臣 | サンドウィッチ伯爵 | 1763年 | |
エグモント伯爵 | 1763年 - 1765年 | ||
補給庁長官 | グランビー侯爵 | 1763年 - 1765年 | |
陸軍支払長官 | ホランド男爵 | 1763年 - 1765年 | |
宮内長官 | ゴア伯爵 | 1763年 - 1765年 |
脚注
[編集]- ^ Whitely, p. 44.
参考文献
[編集]- Whiteley, Peter. Lord North: The Prime Minister Who Lost America. The Hambledon Press, 1996.
関連図書
[編集]- Browning, Reed. The Duke of Newcastle. Yale University Press, 1975.
- Hibbert, Christopher. George III: A Personal History. Penguin Books, 1999.
先代 ビュート伯爵内閣 |
グレートブリテン王国の内閣 1763年 - 1765年 |
次代 第一次ロッキンガム侯爵内閣 |