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トマス・オズボーン (第4代リーズ公爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ハイランドの服装を着るトマス・オズボーン、ハンス・ヒジング英語版作、1726年。

第4代リーズ公爵トマス・オズボーン英語: Thomas Osborne, 4th Duke of Leeds KG PC FRS1713年11月6日1789年3月23日)は、グレートブリテン王国の貴族、政治家、裁判官。1713年から1729年までダンビー伯爵儀礼称号を、1729年から1731年までカーマーゼン侯爵の儀礼称号を使用した[1]

生涯

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第3代リーズ公爵ペレグリン・オズボーンと1人目の妻エリザベス(1713年11月20日没、初代オックスフォード=モーティマー伯爵ロバート・ハーレーの娘)の長男として、1713年11月6日生まれた[1]ウェストミンスター・スクールで教育を受けた後、1731年5月9日に父が死去するとリーズ公爵位を継承した[1]。1731年7月6日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学、1733年4月9日に民法学博士英語版の学位を修得した[1]。1735年2月3日、貴族院議員に就任した[1]。1739年12月20日、王立協会フェローに選出された[2]

1748年に寝室侍従英語版になり、同年11月に南トレント巡回裁判官英語版に任命された[1]。1749年6月22日にガーター勲章を授与され、1756年に巡回裁判官から王室会計長官英語版に転じた[1]。1757年3月26日に枢密顧問官に任命され、1761年に王室会計長官から北トレント巡回裁判官英語版に転じ、1774年まで務めた[1]。また、ウェスト・ライディング・オブ・ヨークシャー副統監も務めた[3]

1789年3月23日にセント・ジェームズ・スクエア英語版で死去、ハートヒルの諸聖人教会英語版に埋葬された[1]。長男と次男に先立たれたため、三男フランシスが爵位を継承した[1]

家族

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1740年6月26日、第2代ゴドルフィン伯爵フランシス・ゴドルフィンの娘メアリー・ゴドルフィン英語版(1723年ごろ – 1764年8月3日)と結婚[1]、3男1女をもうけた[4]

  • 男子 - 夭折[4]
  • トマス(1747年10月5日 – 1761年8月15日) - 天然痘で早世[1]
  • フランシス(1751年1月29日 – 1799年1月31日) - 第5代リーズ公爵[1]
  • ハリエット - 早世[4]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1929). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Husee to Lincolnshire) (英語). Vol. 7 (2nd ed.). London: The St Catherine Press. p. 514.
  2. ^ "Osborne; Thomas (1713 - 1789); 4th Duke of Leeds". Record (英語). The Royal Society. 2023年12月6日閲覧
  3. ^ Doyle, James Edmund (1886) (英語). The Official Baronage of England. vol. II. London: Longmans, Green & Co.. pp. 329 
  4. ^ a b c Collen, Henry (1849). Debrett's Genealogical Peerage of Great Britain and Ireland (英語). London: William Pickering. p. 470.
司法職
先代
ハリファックス伯爵
巡回裁判官英語版
南トレント

1748年 – 1756年
次代
サンズ男爵
先代
サンズ男爵
巡回裁判官英語版
北トレント

1761年 – 1774年
次代
スタンマーのペラム男爵
公職
先代
サー・ジョージ・リトルトン準男爵
王室会計長官英語版
1756年 – 1761年
次代
ジェームズ・グレンヴィル英語版
イングランドの爵位
先代
ペレグリン・オズボーン
リーズ公爵
1731年 – 1789年
次代
フランシス・オズボーン
オズボーン男爵
繰上勅書により)

1731年 – 1776年