ペレグリン・オズボーン (第3代リーズ公)
ペレグリン・オズボーン Peregrine Osborne | |
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第3代リーズ公 | |
クリスティアン・フリードリヒ・ツィンケによる肖像画 | |
在位 | 1729年 - 1731年 |
出生 |
1691年11月11日 |
死去 |
1731年5月9日(39歳没) |
配偶者 | エリザベス・ハーレー |
アン・シーモア | |
ジュリアナ・ヘレ | |
子女 | トマス |
家名 | オズボーン家 |
父親 | 第2代リーズ公ペレグリン・オズボーン |
母親 | ブリジット・ハイド |
第3代リーズ公爵ペレグリン・ハイド・オズボーン(英語: Peregrine Hyde Osborne, 3rd Duke of Leeds、1691年11月11日 – 1731年5月9日)は、イングランド貴族。第2代リーズ公爵ペレグリン・オズボーンとブリジット・ハイドの次男。1711年から1712年までダンビー伯爵の、1712年から1729年までカーマーゼン侯爵の儀礼称号を使用した[1]。
生涯
[編集]第2代リーズ公爵ペレグリン・オズボーンと妻ブリジット(Bridget、1662年 – 1734年3月8日、旧姓ハイド(Hyde)、第2代準男爵サー・トマス・ハイドの娘)の次男(長男ウィリアム・ヘンリーは1690年7月31日に生まれ、1711年8月16日に天然痘によりユトレヒトで生涯未婚のまま病死)として、1691年11月11日に生まれ、12月10日にハートフォードシャーのノース・ミムズで洗礼を受けた[1]。
1713年1月29日、繰上勅書により存命中の父からキヴァートンのオズボーン男爵を継承した[1]。グレートブリテン貴族院ではトーリー党に所属した[1]。1729年6月25日に父が死去すると、リーズ公爵位を継承、1730年1月13日にリーズ公爵として貴族院議員に就任した[1]。
家族
[編集]1712年12月16日、エリザベス・ハーレー(Elizabeth Harley、1713年11月20日没、初代オックスフォード=モーティマー伯爵ロバート・ハーレーの娘)と結婚[1]、1男をもうけたが[2]、産褥で死亡した[1]。
- トマス(1713年11月6日 – 1789年3月23日) - 第4代リーズ公爵
1719年9月17日、アン・シーモア(Anne Seymour、1722年11月27日没、第6代サマセット公爵チャールズ・シーモアの娘)と再婚したが、アンも産褥で死亡した[1]。
1725年4月9日、ジュリアナ・ヘレ(Juliana Hele、1794年11月20日没、ロジャー・ヘレの娘)と再婚したが、2人の間に子供はいなかった[2]。リーズ公爵の死後、ジュリアナは1732年10月7日に第2代ポートモア伯爵チャールズ・コリヤーと再婚したが、1761年のジョージ3世戴冠式では「リーズ公爵未亡人」(Dowager Duchess of Leeds)として出席しようとしたが拒否され、「ポートモア伯爵夫人」としての出席のみ認められた[1]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1929). The Complete Peerage, or a history of the House of lords and all its members from the earliest times, volume VII: Husee to Lincolnshire. Vol. 7 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 511–514.
- ^ a b "Leeds, Duke of (E, 1694 - 1964)". Cracroft's Peerage (英語). 1 August 2007. 2021年1月4日閲覧。
外部リンク
[編集]- "ペレグリン・オズボーンの関連資料一覧" (英語). イギリス国立公文書館.
イングランドの爵位 | ||
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先代 ペレグリン・オズボーン |
リーズ公爵 1729年 – 1731年 |
次代 トマス・オズボーン |
キヴァートンのオズボーン男爵 (繰上勅書により) 1713年 – 1731年 |