トマス・ポウィス (第2代リルフォード男爵)
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第2代リルフォード男爵トマス・ポウィス(英語: Thomas Powys, 2nd Baron Lilford、1775年4月8日 – 1825年7月4日)は、グレートブリテン貴族。
生涯
[編集]初代リルフォード男爵トマス・ポウィスと妻メアリー(Mary、旧姓マン(Mann)、1823年1月没、ガルフリダス・マンの娘)の長男として、1775年4月8日に生まれた[1]。イートン・カレッジで教育を受けた後[1]、1792年6月30日にケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジに入学、1797年にB.A.の学位を、1802年にM.A.の学位を修得した[2]。1794年5月9日にはリンカーン法曹院にも入学している[2]。
1800年1月26日に父が死去すると、リルフォード男爵位を継承した[1]。貴族院ではホイッグ党に属した[1]。
1803年5月9日、ノーサンプトンシャーの副統監に任命された[3]。1803年7月11日、ノーサンプトンシャー・ヨーマンリー連隊の大尉に任命された[4]。
1825年7月4日にグローヴナー・プレイスで死去、13日にノーサンプトンシャーのエイチャーチで埋葬された[1]。長男トマス・アザートンが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1797年12月5日、アンナ・マリア・アザートン(Anna Maria Atherton、1820年8月11日没、ロバート・ヴァーノン・アザートンの娘)と結婚[1]、6男6女をもうけた[5][6]。
- ヘンリエッタ・マリア(1799年2月 – 1870年1月21日) - 1827年9月10日、ジョン・キャンベル・コフーン(John Campbell Colquhoun、1870年4月17日没)と結婚[5]
- イリナ(1800年1月27日 – 1880年3月13日) - 1839年7月8日、第4代準男爵サー・ジョン・マレー・ネイスミス(1876年7月19日没)と結婚[5][6]
- トマス・アザートン(1801年12月2日 – 1861年3月15日) - 第3代リルフォード男爵[1]
- ロバート・ヴァーノン(1802年12月3日 – 1854年5月26日) - 1825年4月14日、ジェーン・ベケット(Jane Beckett、1842年11月10日没、ウィリアム・ベケットの三女)と結婚、子供あり[5][6]
- メアリー(1804年12月12日 – 1883年11月5日) - 1830年5月11日、ジェームズ・ドラモンド(James Drummond、1882年11月18日没)と結婚[5][6]
- ホレイショ(1805年11月28日 – 1877年5月31日) - 1833年2月21日、パーシー・ゴア・カリー(Percy Gore Currie、1883年4月7日没、ウィリアム・カリーの娘)と結婚、子供あり[5][6]
- エリザベス・アザートン(Elizabeth Atherton、1805年 – 1891年1月8日) - 1828年2月15日、リチャード・レオナード・アダムズ(Richard Leonard Adams、1875年8月22日没)と結婚[5][6]
- フランシス・ヘスター(1808年 – 1840年6月17日) - 1831年4月5日、トマス・ヘンリー・コーストン(Thomas Henry Causton、1854年5月15日没)と結婚[5]
- アザートン・リー(Atherton Legh、1809年9月23日 – 1886年8月28日) - 1841年9月23日、シャーロット・エリザベス・ノーマン(Charlotte Elizabeth Norman、1869年11月2日没、リチャード・ノーマンの娘)と結婚、子供あり[5][6]
- ジェーン・ルーシー(1905年12月4日没) - 1836年5月17日、ジョン・ピアース・モーリス(John Pierce Maurice、1874年7月17日没)と結婚、子供あり[6]
- ヘンリー・リトルトン(Henry Littleton、1812年3月29日 – 1863年7月10日) - 1840年11月20日、マーガレット・マティルダ・バンチョ(Margarette Matilda Bancho、1863年7月10日没、ジョン・J・バンチョの娘)と結婚、子供あり。1862年7月16日、マリア・ゴア(Maria Gore、1902年3月8日没、サー・ジョン・ゴアの娘)と再婚[6]
- チャールズ(1813年3月4日 – 1897年10月16日) - 1836年3月29日、メアリー・ケネディ(Mary Kennedy、1854年2月12日没、ウィリアム・スコット・ケネディの娘)と結婚、子供なし。1854年8月15日、アグネス・アン・リチャーズ(Agnes Anne Richards、1906年4月26日没、ジョン・リチャーズの娘)と再婚、子供あり[6]
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1929). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Husee to Lincolnshire). Vol. 7 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. p. 658.
- ^ a b "Powys, Thomas. (PWS792T)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
- ^ "No. 15666". The London Gazette (英語). 14 January 1804. p. 63.
- ^ "No. 15600". The London Gazette (英語). 9 July 1803. p. 835.
- ^ a b c d e f g h i Lodge, Edmund (1892). The Peerage of the British Empire as at Present Existing (英語) (61st ed.). London: Hurst and Blackett. pp. 389–390.
- ^ a b c d e f g h i j Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth P., eds. (1931). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, The Privy Council and Knightage (英語) (89th ed.). London: Burke's Peerage Limited. pp. 1490–1491.
外部リンク
[編集]- "トマス・ポウィスの関連資料一覧" (英語). イギリス国立公文書館.
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