トマス・ポウィス (第3代リルフォード男爵)
第3代リルフォード男爵トマス・アザートン・ポウィス(英語: Thomas Atherton Powys, 3rd Baron Lilford、1801年12月2日 – 1861年3月15日)は、グレートブリテン貴族。ホイッグ党に属し、侍従たる議員(在任:1837年7月 – 1841年9月)を務めた[1]。
生涯
[編集]第2代リルフォード男爵トマス・ポウィスと妻アンナ・マリア(Anna Maria、旧姓アザートン(Atherton)、1820年8月11日没、ロバート・ヴァーノン・アザートンの娘)の長男として、1801年12月2日に生まれた[1]。1814年から1817年までイートン・カレッジで教育を受けた後[1]、1821年5月2日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学、1824年にB.A.の学位を修得した[2]。1825年7月4日に父が死去すると、リルフォード男爵位を継承した[1]。
1825年9月15日、ノーサンプトンシャー・ヨーマンリー連隊の大尉に任命された[3]。1831年2月3日、同連隊のThrapston Troopの大尉(captain)に任命された[4]。
ホイッグ党に属し[1]、第1回選挙法改正の第2次法案(1831年10月)に賛成票を投じた[5]。1831年10月6日に寝室侍従に任命され[6]、1835年1月10日までに辞任した[7]。1836年6月29日に(1835年10月22日付で)寝室侍従に再任、1837年6月20日に国王ウィリアム4世が死去すると寝室侍従を退任した[7]。1837年7月から1841年9月まで侍従たる議員を務めた[1]。
1861年3月15日にリルフォード・ホールで死去、長男トマス・リトルトンが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1830年5月20日、メアリー・エリザベス・フォックス(Mary Elizabeth Fox、1806年2月19日 – 1891年12月7日、第3代ホランド男爵ヘンリー・リチャード・ヴァサル=フォックスと妻エリザベスの間の娘)と結婚[1]、4男6女をもうけた[8][9]。
- アデレード・メアリー(1831年9月8日 – 1873年2月14日[8])
- トマス・リトルトン(1833年3月18日 – 1896年6月17日) - 第4代リルフォード男爵[1]
- イーディス・ガルフリダ(Edith Galfrida、1834年7月2日[8] – 1864年2月10日) - 1858年4月20日、トマス・ヘンリー・バローズ(Thomas Henry Burroughes、1924年1月17日没)と結婚[10]
- ジョージアナ・キャロライン(1836年1月9日[8] – 1897年4月7日) - 1859年4月28日、ジョン・ニコラス・ファザカリー(John Nicholas Fazakerley、1909年4月21日没、ジョン・ニコラス・ファザカリーの同名の息子)と結婚[10]
- レオポルド・ウィリアム・ヘンリー(1837年9月17日 – 1893年7月18日) - 1862年2月27日、メアリー・アチソン(Mary Acheson、1892年1月30日没、第3代ゴスフォード伯爵アーチボルド・アチソンの娘)と結婚、子供あり[10]
- エドワード・ヴィクター・ロバート(1839年2月11日 – 1930年2月16日) - 1865年6月8日、エリザベス・グウェンリアン・ワトキン=ウェイン(Elizabeth Gwenllian Watkin-Wayne、1870年11月21日没、ウィリアム・ワトキン=ウェインの娘)と結婚、子供あり[10]
- チャールズ・ジェームズ・フォックス(1840年4月25日 – 1893年4月14日) - 1871年11月9日、エイミー・シャーロット・ローズ(Amy Charlotte Rose、1911年9月30日没、ウィリアム・ジョージ・ローズの娘)と結婚、子供なし[10]
- メアリー・エリザベス・フランシス(1841年7月29日[8] – 1908年10月10日) - 生涯未婚[10]
- コンスタンス・エマ・オーガスタ(1842年12月8日[8] – 1931年9月3日) - 1867年5月7日、アーサー・ウィリアム・クライトン(Arthur William Crichton、1882年2月4日没)と結婚、子供あり[9]
- キャロライン・メアリー(1844年7月11日[8] – 1940年4月6日) - 1897年10月19日、フレデリック・ジョージ・ドートリー・ドルーイット(Frederic George Dawtrey Drewitt)と結婚[9]
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1929). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Husee to Lincolnshire). Vol. 7 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 658–659.
- ^ Foster, Joseph (1888–1892). . Alumni Oxonienses: the Members of the University of Oxford, 1715–1886 (英語). Vol. 3. Oxford: Parker and Co. p. 1141. ウィキソースより。
- ^ "No. 18232". The London Gazette (英語). 25 March 1826. p. 686.
- ^ "No. 18779". The London Gazette (英語). 25 February 1831. p. 363.
- ^ "PARLIAMENTARY REFORM—BILL FOR ENGLAND—SECOND READING—AD JOURNED DEBATE—FIFTH DAY.". Parliamentary Debates (Hansard) (英語). House of Lords. 7 October 1831. col. 340.
- ^ "No. 18857". The London Gazette (英語). 7 October 1831. p. 2045.
- ^ a b Bucholz, Robert Orland, ed. (2006). "Index of officers: L". Office-Holders in Modern Britain (英語). Vol. 11. London: University of London. pp. 1193–1237. British History Onlineより。
- ^ a b c d e f g Lodge, Edmund (1892). The Peerage of the British Empire as at Present Existing (英語) (61st ed.). London: Hurst and Blackett. p. 389.
- ^ a b c Townend, Peter, ed. (1963). Burke's Genealogical and Heraldic History of the Peerage, Baronetage and Knightage (英語). Vol. 1 (103rd ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 1474.
- ^ a b c d e f Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth P., eds. (1931). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, The Privy Council and Knightage (英語) (89th ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 1491.
外部リンク
[編集]- "トマス・ポウィスの関連資料一覧" (英語). イギリス国立公文書館.
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