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トマス・ライアン=ボーズ (第12代ストラスモア=キングホーン伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョン・フレデリック・ヘリング(John Frederick Herring)による肖像画、1846年作。

第12代ストラスモア=キングホーン伯爵トマス・ジョージ・ライアン=ボーズ英語: Thomas George Lyon-Bowes, 12th Earl of Strathmore and Kinghorne1822年9月28日1865年9月13日)はスコットランド貴族クリケット選手。1834年から1846年までグラームズ卿 (Lord Glamis) の儀礼称号を使用した。

生涯

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グラームズ卿トマス・ジョージ・ライアン=ボーズ英語版第11代ストラスモア=キングホーン伯爵トマス・ライアン=ボーズの息子)とシャーロット・グリムステッド英語版の次男として、1822年9月28日に生まれた[1]。1844年から1846年まで、ライフガーズ第1連隊英語版に籍を置いていた[2]

1834年1月27日に父が死去、1846年8月27日に祖父が死去すると、ストラスモア=キングホーン伯爵の爵位を継承した[1]

アマチュアのクリケット選手として、1844年から1857年までメリルボーン・クリケット・クラブに所属、ファーストクラス・クリケット英語版の試合に参加した[3]

1850年4月30日、シャーロット・マリア・バリントン(Charlotte Maria Barrington、1826年12月29日 – 1854年11月3日、第6代バリントン子爵ウィリアム・バリントン英語版の娘)と結婚したが、2人の間に子供はいなかった[1]

1852年から1865年7月までスコットランド貴族代表議員を務めた[2]

1865年9月13日に死去、弟クロードが爵位を継承した[1]

脚注

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  1. ^ a b c d Burke's Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (99th ed.). London: Burke's Peerage Limited. 1949. p. 1925.
  2. ^ a b Cokayne, George Edward, ed. (1896). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (S to T) (英語). Vol. 7 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 290–291.
  3. ^ "Player profile: Thomas Lyon-Bowes" (英語). CricketArchive. 2011年8月26日閲覧
スコットランドの爵位
先代
トマス・ライアン=ボーズ
ストラスモア=キングホーン伯爵
1846年 – 1865年
次代
クロード・ボーズ=ライアン