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トロイ・コーサー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
トロイ・コルサーから転送)
トロイ・コーサー
国籍 オーストラリアの旗 オーストラリア
生年月日 (1971-11-27) 1971年11月27日(52歳)
ニューサウスウェールズ州ウロンゴン
現在のチーム BMWモトラッド・モータースポーツ
ゼッケン 11
ウェブサイト troycorser.com
レースでの経歴
スーパーバイク世界選手権
活動期間1992年, 1994年1996年, 1998年2001年, 2003年2011年
チャンピオン2. 1996年, 2005年
2011年 順位15位 (87ポイント)
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
377 33 130 43 45 4021,5

トロイ・ゴードン・コーサー(Troy Gordon Corser、1971年11月27日 - )は、オーストラリアニューサウスウェールズ州ウロンゴン出身のオートバイレーサー。1996年2005年スーパーバイク世界選手権チャンピオン。

経歴

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1993年にオーストラリア国内のスーパーバイク選手権、1994年にAMAスーパーバイク選手権のチャンピオンを獲得した。スーパーバイク世界選手権(SBK)にはワイルドカード枠からの出場で5度の表彰台を経験した後、1995年ドゥカティを駆ってフル参戦を開始した。フル参戦前の1994年にシリーズランキング11位を記録したことから、コーサーはゼッケン#11を現在に至るまでのほとんどのシーズンで使用している。

開幕戦ホッケンハイムではいきなりポールポジションを獲得しポテンシャルを見せつけた。第6戦ザルツブルクリンクで初優勝を果たし、その後も経験済みのサーキットを中心に勝利を重ねてカール・フォガティに次ぐシリーズランキング2位を獲得した。

1996年シーズンにはフォガティ、アーロン・スライトジョン・コシンスキーらとのタイトル争いを制し、フル参戦2年目にしてワールドチャンピオンに輝いた。1997年にはロードレース世界選手権500ccクラスに戦いの場を移しヤマハ・YZR500を駆ったが、目立った成績を上げられないままシーズン途中でチームを去ることになった。

1998年はSBKに復帰し、再びドゥカティを駆りチャンピオン争いを展開。最終戦菅生まではランキングのトップに立っていたが、ウォームアップランでクラッシュし肋骨を折り、フォガティにタイトルをさらわれてしまった。翌1999年シーズンはそのフォガティとチームメイトとなったが、前年と同じくフォガティがチャンプ、コーサーがシリーズ3位に終わった。

2000年にはアプリリアワークスチームに移籍。同社にSBK初優勝をもたらし、三たびシリーズ3位となる。翌2001年もチームに残留し、開幕戦バレンシアではダブルウィンを達成する活躍を見せたが、チャンピオン争いには絡めずにシリーズ4位に終わった。

2002年にはカール・フォガティ率いるフォギー・ペトロナスチームに参加。マシン開発に1年を費やし、翌2003年シーズンに実戦デビューにこぎ着けた。2004年の第3戦ミザノではチーム初の表彰台に立ったが、シリーズランキング9位に終わったこのシーズンをもってコーサーはチームを去った。

2005年シーズンにはアルスター・スズキチームに移籍。戦闘力のあるGSX-R1000を得たコーサーはシーズン前半に連勝を重ねた。後半には若干調子を落としてクリス・バーミューレン(ホンダ)の猛追を受けたものの、逃げ切りに成功して自身2度目のワールドチャンピオンに輝いた。翌2006年は開幕戦・第2戦と2勝を記録したが、その後はリタイヤを7度も喫してしまいシリーズランキングは4位に終わった。

2007年にはヤマハのワークスチームに移籍し、芳賀紀行のチームメイトとなった。芳賀がホンダのジェームス・トスランドとタイトル争いを展開しシリーズ2位に入った一方、コーサーは未勝利で5位に終わった。翌2008年シーズンはコーサーが巻き返してトロイ・ベイリス(ドゥカティ)に次ぐシリーズ2位に入り、芳賀が3位となった。

2009年シーズン、コーサーはルーベン・チャウスと共に、SBK新規参戦となるBMWのマシンを駆ることになった[1]。初年度の最高位は第10戦ブルノのレース1での5位、年間ランキングでは13位を記録した。2010年もチームに残留、第5戦モンツァでBMWに初表彰台(3位)をもたらし、第8戦ミサノでポールポジションを獲得する等の活躍を見せ、ランキング11位に成績を伸ばした。

2011年シーズンもBMWに残留、チームメイトにはチャウスに代わりレオン・ハスラムを迎える[2]

記録

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SBKにおいてコーサーは地元フィリップアイランドバレンシアでそれぞれ4度のポールポジションを獲得している。これは1つのサーキットでの最多タイ記録である。

また1つのサーキットで10回以上表彰台に立った事例はSBK全体で8つあるが、そのうち4つはコーサーが達成したものである - ミサノで13回、ラグナ・セカフィリップアイランドで11回、ドニントンで10回。

スーパーバイク世界選手権

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(キー)

マシン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 順位 ポイント
R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2
1995年 ドゥカティ 10 8 3 3 2 Ret Ret Ret 3 5 3 1 2 1 2 6 1 8 3 Ret 2 2 1 3 2位 339
1996年 ドゥカティ 2 2 1 1 Ret Ret 5 4 1 1 2 2 Ret 1 6 5 4 9 4 2 1 1 3 NC 1位 369
1998年 ドゥカティ 2 6 2 2 3 4 2 3 7 3 2 2 Ret 7 1 2 7 1 6 5 3 3 Inj Inj 3位 328.5
1999年 ドゥカティ 2 3 1 1 6 3 7 6 4 4 3 1 2 2 6 2 5 13 Ret 2 2 2 Ret 7 8 14 3位 361
2000年 アプリリア 4 3 Ret 1 9 5 8 Ret 8 6 7 6 1 1 1 5 3 1 6 Ret 4 7 7 Ret 7 3 3位 310
2001年 アプリリア 1 1 3 3 6 C 2 6 Ret Ret 11 3 5 7 7 9 3 2 8 13 9 11 6 3 2 Ret 4位 284
2003年 ペトロナス Ret 7 5 8 Ret 12 13 Ret 12 14 16 Ret 7 10 8 Ret Ret Ret 6 9 7 7 8 Ret 12位 107
2004年 ペトロナス Ret 11 13 5 2 7 9 5 4 Ret 7 9 10 Ret 5 Ret 10 7 12 10 Ret 7 9位 146
2005年 スズキ 1 3 1 1 1 1 1 3 2 2 3 3 1 2 1 2 4 4 3 13 2 C 5 4 1位 433
2006年 スズキ 4 1 1 Ret 2 2 3 2 Ret 6 Ret Ret 5 4 6 6 Ret Ret 3 14 Ret 9 3 2 4位 254
2007年 ヤマハ QAT
9
QAT
3
AUS
5
AUS
5
EUR
2
EUR
3
SPA
4
SPA
9
NED
17
NED
4
ITA
5
ITA
6
GBR
3
GBR
C
SMR
2
SMR
5
CZE
7
CZE
Ret
GBR
2
GBR
3
GER
3
GER
5
ITA
Ret
ITA
4
FRA
3
FRA
4
5位 296
2008年 ヤマハ 3 7 2 Ret 3 5 5 10 12 8 2 Ret 4 2 2 5 2 4 8 3 Ret 3 3 3 6 3 3 6 2位 342
2009年 BMW 8 22 9 9 Ret 15 10 10 Ret DNS 15 17 Ret 22 Ret 20 5 10 8 6 11 Ret 9 10 Ret 9 13位 96
2010年 BMW 9 7 9 10 4 12 5 5 8 3 12 7 5 5 3 10 DNS DNS 10 Ret Ret 12 15 11 Ret Ret 11位 165
2011年 BMW 10 19 9 13 6 Ret 7 5 13 Ret Ret DNS 10 Ret 9 Ret 15 12 12 Ret 9 9 14 16 15位 87

ロードレース世界選手権

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クラス チーム マシン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 ポイント 順位
1997 500cc ヤマハ YZR500 13 Ret Ret 12 Ret 14 14 11 23位


脚注

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外部リンク

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