トーマス・ワージントン
表示
トーマス・ワージントン | |
---|---|
Thomas Worthington | |
第6代 オハイオ州知事 | |
任期 1814年12月8日 – 1818年12月14日 | |
前任者 | オスニール・ルッカー |
後任者 | イーサン・アレン・ブラウン |
アメリカ合衆国上院議員 オハイオ州選出 | |
任期 1810年12月15日 – 1814年12月1日 | |
前任者 | リターン・J・メグズ・ジュニア |
後任者 | ジョセフ・カー |
任期 1803年4月1日 – 1807年3月4日 | |
後任者 | エドワード・ティフィン |
オハイオ州下院議員 ロス群選出 | |
任期 1803年 – 1803年 | |
前任者 | 新地区 |
後任者 | ウィリアム・クレイトン・ジュニア ジェームズ・ダンラップ ジョン・エヴァンス エリアス・ラングハム |
オハイオ州下院議員 ロス群、フランクリン郡、ハイランド郡選出 | |
任期 1807年 – 1808年 | |
前任者 | ジェームズ・ダンラップ ナサニエル・マシー デヴィッド・シェルビー エイブラハム・J・ウィリアムズ |
後任者 | 地区消滅 |
オハイオ州下院議員 ロス群、フランクリン郡、ハイランド郡選出 | |
任期 1821年 – 1823年 | |
前任者 | ジョン・ベラチェ ジョン・エントレキン ウィリアム・ヴァンス |
後任者 | ジョージ・ナシー アリソン・C・ルッカー エドワード・キング |
オハイオ州下院議員 ロス群選出 | |
任期 1824年 – 1825年 | |
前任者 | ジョージ・ナシー アリソン・C・ルッカー エドワード・キング |
後任者 | アイザック・クック エドワード・キング |
個人情報 | |
生誕 | 1773年7月16日 イギリス領北米植民地 バージニア植民地チャールズタウン近郊 |
死没 | 1827年6月20日(53歳没) アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク |
政党 | 民主共和党 |
住居 | アデナ・マンション |
トーマス・ワージントン(Thomas Worthington、1773年7月16日 - 1827年6月20日)はアメリカ合衆国オハイオ州の民主共和党の政治家である。第6代オハイオ州知事。
来歴
[編集]バージニア植民地チャールズタウン(現在はウェストバージニア州)で生まれ、1796年にオハイオ州ロス郡に移った。
1799年から1803年まで準州下院議員であり、1803年、州憲法制定会議にも代表として務めた。その1803年にはオハイオ州からの初の上院議員のひとりとして選ばれ、1807年までその地位にあった。1810年12月、上院議員リターン・メグズの辞任とともに再び上院に入り、州知事選挙に当選して辞任する1814年12月まで議員を務めた。それから2年後に知事に再選されると、州都をチリコシーからコロンバスに移した。1818年での三選は狙わなかった。1821年、死去したウィリアム・トリンブル(William Trimble)の残り任期となる3期目の上院議員を目指すも、オハイオ州の現職知事であったイーサン・ブラウンに敗れ、かわりにオハイオ州下院へと戻った。
ワージントン市は彼から名づけられたものである。