ドレスメーキング (雑誌)
ドレスメーキング | |
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Dress making | |
1958年9月号(通巻90号)表紙 | |
愛称・略称 | ドレメ |
ジャンル | 月刊婦人雑誌 |
刊行頻度 | 月刊 |
発売国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
出版社 | 鎌倉書房 |
編集部名 | ドレスメーキング編集部 |
発行人 | 長谷川映太郎 |
ISSN | 0012-611X |
刊行期間 | 1949年4月(第1号) - 1993年5月(第565号) |
姉妹誌 |
『別冊ドレスメーキング』(のちの『ドレスメーキング・マダムのスタイルブック』) 『ドレスメーキングのジュニアスタイル』(のちの『ジュニー』) |
『ドレスメーキング』(英語: Dress making)は、かつて存在した日本の雑誌である[1][2]。東京都新宿区の出版社鎌倉書房が編集出版した[1][2]。1949年(昭和24年)4月創刊、1993年(平成5年)5月休刊[1][2]。
略歴・概要
[編集]長谷川映太郎が1941年(昭和16年)に創立した「株式会社鎌倉書房」が、第二次世界大戦終結後の1949年(昭和24年)4月に創刊した婦人雑誌である[1][2]。長谷川は、前年の1948年(昭和23年)7月31日、ドレスメーカー女学院で知られる杉野芳子の寄付により発足した、「財団法人杉野学園」(現在の学校法人杉野学園)の理事に就任している[3]。同年5月1日付発行の第1号(第1巻第1号)は、「4月・5月号」とされ、当初は「隔月刊」であった[2]。1953年(昭和28年)3月に発売された第25号(3月・4月号)をもって隔月刊の時代は終了、5月発売の第26号(5月号)から月刊化する[2]。監修を務めた杉野芳子は、表紙のスタイルの解説を行った[4]。当時の書き手・作家には、和服について書いた三田村環らがいた[5]。
1960年(昭和35年)1月、新春号として月刊誌『別冊ドレスメーキング』を創刊する[6][7]。同誌は、1981年(昭和56年)7月に発行された通巻103号をもって最終号とし、『別冊マダム』と合併して『ドレスメーキング・マダムのスタイルブック』となり、隔月刊となる(1994年9月休刊)[6][7]。
1964年(昭和39年)には、田辺貞之助を監修に迎えて、杉野芳子が巻頭に「すいせんの言葉」を書き、同誌編集部が編集した語学書『服飾フランス語』を発行している[8]。
1976年(昭和51年)、季刊『ドレスメーキングのジュニアスタイル』を創刊する[9][10]。同誌は、1980年(昭和55年)4月に発行された通巻18号をもって季刊の最終号とし、同年6月に発行された通巻19号(6月号)から隔月刊となり『ジュニアスタイル』と誌名を改め、1984年(昭和59年)6月に発行された通巻42号(6月号)をもって隔月刊の最終号とし、同年8月に発行された通巻43号(8月号)から隔月刊となり、1985年(昭和60年)12月に発行された通巻59号(12月号)をもって同誌名の最終号とし、翌1986年(昭和61年)1月に発行された通巻60号(1月号)をもって、『ジュニー』と誌名を変更した[10]。
1993年(平成5年)5月1日付で発行された第565号を最終号として、休刊した[1][2]。2年後の1995年(平成7年)1月23日、長谷川映太郎が満83歳で死去、鎌倉書房は解散となった[11]。『ジュニー』は営業権を扶桑社が引き継ぎ、同年4月に新たに第1巻第1号(4月号)が発行された[12][13]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e ドレスメーキング、国立国会図書館、2012年6月28日閲覧。
- ^ a b c d e f g ドレスメーキング、国立情報学研究所、2012年6月28日閲覧。
- ^ 学校法人杉野学園寄付行為、学校法人杉野学園、2012年6月27日閲覧。
- ^ 『ドレスメーキング』通巻90号、p.3.
- ^ 『ドレスメーキング』通巻90号、p.131.
- ^ a b 別冊ドレスメーキング、国立国会図書館、2012年6月28日閲覧。
- ^ a b 別冊ドレスメーキング、国立情報学研究所、2012年6月28日閲覧。
- ^ 服飾フランス語、国立国会図書館、2012年6月28日閲覧。
- ^ ドレスメーキングのジュニアスタイル、国立国会図書館、2012年6月28日閲覧。
- ^ a b ジュニアスタイル、国立情報学研究所、2012年6月28日閲覧。
- ^ 合祀者名簿、日本出版クラブ、2012年6月27日閲覧。
- ^ ジュニー、国立国会図書館、2012年6月28日閲覧。
- ^ ジュニー、国立情報学研究所、2012年6月28日閲覧。